ERICH JAEGER, In UPEO, 2040


 驚いたよ。
 何がって、あいつのことさ。うちの隊の四番機。TACはNEMO。本名は……えーと、確か、キリヤ・ミノス。
 ついこの間、「レナやフィーの機動のコピーばっかはやめとけ」って言ったばかりなんだぜ。なのにあいつ、まるで人が変わったみたいな鋭い機動をするようになったんだ。
 ほんと、人が変わったみたいな動きだよ。え、さっきからそればっかだって? だって本当なんだぜ。俺の後ろをついてくるヒヨコみたいな感覚だったのにさ、いつのまにか鷹になってんだ。撃墜数も増えたし、俺だけがこう思ってるんじゃないと思うぜ。
 でも……機体から降りると元のあいつなんだ。ちょっとぼうっとして冴えない感じで、何を考えているか分からないっていうよりも何も考えてないみたいな、さ。
 あいつ、どうしたんだろう。



KYRYA MINOS, In UPEO, 2040


 機動を変えるのなんて、案外簡単だなと思った。というより、今までの自分が何もしなさすぎたんだとも思った。
 過去に名を馳せたエースを検索すれば、動画が山ほど出てきた。どれもこれも昔のもので画質は悪かったが、よく残っているものだ。なるほど、それらを見ればどの機動も全く理に適っている。素晴らしい。最適な機動を選ぶことで、反応速度も格段に上がった気がする。自分自身も、機体のレスポンスも。
 基地内の自室にいるときにすることと言えば、寝ることと情報の検索しかない。食事も訓練も食堂やトレーニングルームでやるからだ。今日はたまたま、ブロードバンド配信されているテレビをつけた。珍しいことだ。シャワー直後の濡れた黒髪を、わしわしと拭きながらそれを眺める。
 GBS局の、「大空を舞う鋼鉄のエース」という番組タイトルテロップが目に入って注視した。
 男のナレーターが番組を進めている。
『この世界に生きる者で歴史に名を刻む働きを残す事の出来るパイロットは少ない。彼らがパイロットとして活躍しうる肉体的なピークは若いうちだ。ただそのピークは、人間としての精神的な熟練を迎えるのに比べても、あまりにも早すぎる』
 自室にある丸椅子に腰を掛ける。この前時代的なデザインは割と気に入っている。骨董市で買ったものだ。
 画面を見ながら、ああ確かになと思った。機体を消耗品だと呼ぶ人間もいるが、パイロットだって消耗品のようなものだ。戦闘ストレス、耐Gストレス、戦闘時による怪我……原因は様々だろうが、戦死せずとも数年で乗れなくなるパイロットも少なくない。
 この番組の主役である男が映った。ほどほどに髭をつけた逞しい男だ。
 確か、ゼネラルリソース社のアビサル・ディジョン。四十路を超えた今もなお、ゼネラルのエースパイロットを務めている男だ。
『いつの日か……誰もが肉体の限界を感じるだろう。それは、悪い事ではない』
 画面の中の男……ディジョンが語る。彼は何を思って、この語りをしているのだろう。
『ただ、その限界を超える精神力を持つ者は、それを口にする必要がないだけなんだ』
『しかし、彼は肉体的にも、精神的にもピークを迎えたまま世に名を残そうとしている。彼の名はアビサル・ディジョン。ゼネラルリソースのエースの名を欲しいままに大空を、舞う』
 そのナレーターが喋り終わるのと同時に、ポーンとアラートが鳴った。画面をひとつタッチすると、たちまちウェブカメラが開いた。
『いる?』
「フィー」
『あ、今日はいるわね。いつも居留守使ってるでしょ、きみ』
 モニターが開いているウインドウの中で、茶髪の女が悪戯っぽく笑った。ざっくりと後ろで髪を結った年上の女である。同僚のエリックと同い年だったと思うが、どうにもエリックが子供っぽいく彼女が大人びているせいで、そんな風にはとても思えない。
「だって、無期限の待機命令って言ったじゃないか。出ないとまた顰蹙買いそうだし」
『そうかもね。まあいいわ、業務連絡を口頭で伝えます』
「はいはい」
『もう、ちゃんと聞いて。一週間後、1300時にチョピンブルグ森林地帯にてゼネラルリソースと両部隊合同の飛行訓練を行います。場所は後ほど正式に電送される添付資料にて確認のこと』
 それを聞いて、ふと首を傾げた。脳内の情報を引っ張りだしてくる。
「南西のほうだっけ、チョピンブルグって。あそこニューコムの研究所が近くになかったっけ」
『ニューコム・バイオのナノ・テクノロジー研究所ね。大丈夫よ、今回の訓練はゼネラルの領空内で行われるから。あのアビサル・ディジョンとも合同よ。きっと勉強になるわ』
「フィーは勉強家だよね。まあディジョンって大物だし、きっと今頃エリックも興奮してるんだろ。今年のマン・オブ・ザ・イヤーも取ったエースパイロットだもんな」
 そう言うと、フィーは少し驚いたように横髪を揺らした。赤い飾りがゆらめく。
『訓練参加者はあなただけよ』
「え、僕だけ?」
『一人だけしか訓練参加枠がないのよ。今回の訓練次第では次もあるかも知れないけど、ニューコムの動きがあれば私たちは出動しないといけないし、万年人員不足のUPEOじゃきみ一人が精一杯、ってわけ。で、最近きみの戦果上がってるのがパーク司令の目にとまったみたい。きみは興味ないの?』
「ないって言うと嘘になるけど……。まあ、映像と会うのじゃ大違いだし」
『きみらしいね。新しい機体も二機配置されるわ。ここのところの活動のおかげでちょっとした平和が来てるって感じだけど、ちゃんと待機しててね』
「了解。またパーク司令に睨まれたくないし」
『ふふ、じゃあね』
 ぷつんと通信が途絶えて元のブラウザ画面へと戻った。
「……なんか、パーク司令が体よく僕を訓練に追いやった感じもするけど。まあいいか」
 間もなく、添付ファイルつきの電子通達書が送られてきた。


KYRYA MINOS, In Chopinburg, 2040


<<間もなく訓練空域に入ります>>
 一週間後、何の弊害もなく実施された合同訓練のために、キリヤはチョピンブルグの森林地帯上空を飛んでいた。
「……ていうか、本当に僕一人だし」
 周りには味方機が誰もいなかった。どうにも個人スパルタか何かのような気分になってくる。
 程なくしてゼネラル側の機体を二機発見した。コールサインからして、GRDF――ゼネラルリソース・ディフェンスフォースに間違いない。
<<お前がUPEO側の訓練参加者か? GRDFのキース・ブライアンとアビサル・ディジョンだ!>>
<<キリヤ・ミノスです。今回はよろしくお願いします>>
<<なんだ、まだ若造じゃねえか>>
 野太く威勢の良い声が無線から流れてきた。少々耳が痛い。どちらかというと音声量的な意味でだが。
<<キース、そう言うな。若いパイロットほど訓練しがいがある。始めよう。キリヤだったか、いいな?>>
<<はい>>
 妙な違和感が心を支配した。どくんと心臓が脈なるような、浮足立つ感覚というか。重力のせいだろうか。そんな気分に被せるように、キースの声が響いた。
<<さて、UPEOの若造! ゼネラルのエースについて来られるか?!>>
<<……ま、見せてくれ。まずは小手調べだ。私の後についてこい>>
 ディジョンのF-15S/MTがスピードを上げた。その真後ろについて彼の後を追う。その途端に、ロールしながら左下方へと降りていった。慌ててそちらへ頭を向ける。
 すいっと次は右方向へと機動を変えた。そこから上下左右へとアクロバット飛行が続く。
<<まだまだっ! このまま真っ黒んなって墜ちんな!>>
 キースのF-16XFがぴったりと横に張り付いているのが見えた。彼は確かディジョンの片腕だというエースパイロットだ。メディアに露出している回数は圧倒的にディジョンだが、彼も腕が立つパイロットだと有名だ。
<<もっと、ぶつけるつもりでいい。ついてこい!>>
「……!」
 柔と剛を合わせた無線の声は目の前のディジョンのものだ。さらに速度を高めて進んでいくディジョンに、文字通りぶつけるくらいの勢いで追いすがる。さすがゼネラルのディジョンだ、こんなに激しい機動でも危なげがない。
<<次、射撃! 休む間ないぞ!>>
 キースの声に応じて、ディジョンがするりと左へ抜ける。
 奥から何かが飛んでくるのが見えた。レーダーにはデコイの文字。なるほど。
<<ミサイルの誘導が効かん。機銃で撃て! いいか、正確に狙えよ! 実力を見せてみろ!>>
 キースの声が無線を通して響いた。こんなに叫んで、彼は疲れないのだろうか。
 大した機動もしないデコイ機を撃ち落とすのは、難しいことではなかった。機銃でそれらを撃ち落とすと、次にレーダーが捉えたのは地上物だ。あれも訓練用だろう。
<<推力に頼るな。空力を生かせ。勘ではなく、HUDから機動を読み取れ!>>
 的確なディジョンのアドバイスを意識する。感覚に頼らずに数値とHUDの様子に気を配った。地上ターゲットを破壊し終わると、キースの何か言いたげな呻きと、ディジョンの言葉が耳に入る。
<<その腕、覚えておこう>>
 彼の声に、また胸のあたりが浮くような感覚があった。ふわりと心臓が浮いたような、鷲掴みにされたかのような。
(なんだこれ……)
 思わず胸をさすってみる。違和感は消えない。健康状態に別段おかしなところはないはずなのに。
 そうしていると、急なアラートが鳴った。
<<各機、緊急指令! ゼネラルリソース領空内において、ニューコム機による認可されていない化学物質の散布実験を確認。訓練を中止、ただちに現場に急行し、投下された落下傘コンテナを破壊せよ>>
<<ったく! 良い加減で、お出ましときた>>
<<ニューコムのトンボども>>
 ゼネラル側にも通信が入ったのか、キースとディジョンがそう零した。指定された現場へすぐに向かうが、他の機影は見えない。だが目標であるらしいコンテナを確認した。同時に、ニューコムの機体がいくつか見える。
<<タッチダウンさせるな! おい若造、訓練の成果を見てやる。あのコンテナを破壊してこい>>
<<あなたたちは?>>
<<他の機体は俺たちの獲物だ。けど分かってるだろうな、しくじったら俺がもらうぞ!>>
 ごうっとキースがキリヤの脇を抜けてニューコム機へ向けて飛んでいく。苦笑したディジョンも後を追うのを見て、コンテナにターゲットを決めた。
(コンテナは八つ……。一直線に並んでる)
 真正面に捉えて、ミサイルの代わりに機銃でまず三つ撃ち落とした。そこでミサイルアラートが響く。ロールで緊急回避したのは良いが、コンテナが脇を通り過ぎていく。
<<お前らの相手はこっちだ!>>
 たった今こちらを攻撃してきたニューコム機を、キースが背後からミサイルで撃ち落とした。ターンし、慌ててコンテナに照準を合わせた。ロックオンに慣れた身体が照準の合わせにくさを実感する。訓練は上手くいったが、しかし。
(推力に頼るな。空力を生かせ。勘ではなく、HUDから機動を読み取れ)
 先の助言を思い出す。HUDが示すとおりに、空力を考慮して照準をぴたりと合わせた。
<<この手際が、UPEOの限界だな>>
 粉々になったコンテナを横目に、ディジョンがぽつりと呟くのが聞こえた。
 周りを見遣る。ニューコム機はキースが最後の一機を追いまわしていたが、じきに撃墜された。空にいるのはディジョンにキース、それにキリヤ自身だ。遠目にゼネラル機がやってくるのが見えてレーダーを確認するものの、UPEO機はなかった。そのことを言っているのだろうか。
「ゼネラルの、ディジョン……」
 呟いた声が、まるで自分のものではないような感じがした。









まだ知らない
It may be love.