IVAN RODINA, JAN 6 1988


「娘の、アリッサだ」
 一度だけ、父の娘に会ったことがある。父の娘……つまり俺とは義理の姉弟にあたる少女だ。
 父と俺には血のつながりがない。養子になったのは幼い頃だった為、実の両親の顔は知らない。今となっては興味もなかった。興味を持つ暇がなかったと言うほうが正しいだろうか。
 そんな下らないことを考える暇があれば、一分でも長く訓練をしろ。イメージトレーニングを欠かすな。養父はそう口を酸っぱくして言い、俺はそれに従った。
 十六を迎えた時、父は義姉を俺に引き合わせた。義姉はひとつ年上で、赤い髪をしていた。歳の割には落ち付きのある少女だったのを記憶している。
 あまり喋らない女性だった。内気という言葉がよく似合った。言葉も少なに、ただじっと俺のことを伺い見ていた。どんな人間なのか判断しようとするかのように。
 会ったのが一度きりなら、「それ」一度きりだ。最初で最後、彼女が言った言葉を今でも何故かよく覚えている。もしや喋れないのかと思っていたが、発せられたその声は涼しげに澄んでいた。
「作ってもいいわ、あなたとの子供」
 そう言って、笑った。
 父が、俺達に子供を作れと言ったのだった。



DARYL "BLAZE" RODINA, JAN 6 2011


『次は世界のちょっとしたニュースです。ウスティオ国内で窃盗の後、三人を殺害した強盗犯が無事逮捕されました。犯人は逃亡中に立ち寄った国境付近の飲食店にて店主への暴行に及び、逆に取り押さえられ――』
 自宅の自室で見ているテレビの中ではその犯人が捕まったらしい店が映っており、小さい店とその店主がインタビューに応じていた。薄灰色の髪をしたその店主は男にしては小柄だ。とても強盗犯を捕まえられそうな体格ではないのだが。
「……目の色、俺と同じだな」
 ぽつりとブレイズが呟くと、膝の上で眠っていたカークが目を覚ました。テレビのモニターを見て突然立ち上がり、短く吠えだす。驚きつつもブレイズは宥めるが、カークは一向に落ちつかなかった。
「おーい、どうした」
 吠える声を聞きつけたのか、扉を開いてピクシーが顔を見せた。その眼の下にはクマが目立つ。それでも帰ってきた時よりは随分顔色が良い。
「いや、何故かカークが興奮して」
 脇の獣を宥め、テレビを消す。カークは吠える対象を失い、暫く部屋をくるりと回るように歩いたが、やがて先刻と同じように床に伏せた。
「落ちついたみたいだな。じゃ、メシにするか」
「仕事は終わったのか」
 目の下のクマを気にして言うと、養父は親指を立てた。
 ブレイズがこの家に帰ったのは二日前のことだったが、帰った瞬間はテーブルをひっくり返す勢いで驚かれた。それもそうだ、ブレイズのみならず、ウォードッグの面々は死んだことになっていたからだ。
 ピクシーは文字通り涙しながら喜んでくれたが、それもつかの間だった。どうやら死亡が通達された後、彼は仕事も手につかなかったらしい。養父の今の仕事は書籍の翻訳業だが、締め切りを目前にしても仕事がまだ書斎に残っている状態だった。
「まあまた次の締め切りが来るけどな……。せっかく帰ってきたんだ、余韻が薄れる前に祝いたい」
「俺は別に必要な……」
「その意見は受け付けない」
 やや強引な養父の言葉に、ブレイズは少し眉を潜めた。が、すぐに諦めた様子で立ち上がった。あの頃よりは性格が丸くなったかも知れない。
 結局サンド島は、戦争終結に伴い再開された軍縮によって基地は閉鎖となった。今はただ誰もいない建物が残るばかりである。もともとは国立野生動物保護区に指定されているような島だ。そのほうがあるべき姿なのだろう。
 ウォードッグがラーズグリーズだという事実は、未だ公式には伏せられたままだ。全機撃墜の記録も一般の人々の目には触れられない。ピクシーにはただ、「死亡した」との事実だけが下りていただろう。
 思慮に耽っていると、ピクシーはこう話しかけてきた。
「今まで一体どこで何していたんだ? 心配したんだぞ」
 どこから説明したものかと頭の中であれこれと文章を組み立てる。が、それらはすぐに霧散した。とても話しきれる内容ではない。
「……ハエ落とししていた」
 そうあまりに端的すぎる説明をすると、ピクシーは意外にもすぐに納得した。調理をする横顔はなぜか苦笑しつつも懐かしそうだった。
「無事でよかった。トゲも取れたみたいだしな」
「どういう意味だ」
 ため息をつきながら言う様は、自覚はしているという風に見えたのだろう。パスタをテーブルに置いたピクシーの手が、笑いながらブレイズの赤い頭を軽く撫でた。
 カルボナーラのパスタをフォークの先でつつく。正直まだ生きた心地がない。一口、二口と口に運び、染み込む暖かさがまだ作りもののようで実感がなかったが、嬉しくない訳ではなかった。それもまた、自分は変わったなと思う原因の一つだったが。
「なあダリル」
 不意にピクシーが口を開いた。フォークの先に巻いたパスタを口に運ぶ手を止め、向かいの席に座っているピクシーを見遣る。
「まだ、空飛びたいか?」
「……?」
 真意を図りかねて養父をじっと見た。彼は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「俺の古い戦友に、今もまだウスティオの基地で勤めてるやつがいる。お前がまだ飛びたいなら、そこでまた飛べるようにに手配してやる」
「……俺がいなくなったら、また寂しくなるんじゃないのか?」
 出てきた言葉にピクシーは驚いた。これまでのトゲトゲしい態度からは、こんな言葉を想像できなかったのだろう。だが彼はうっすらと頬笑み、こう返した。
「約束だからな、息子の夢は叶えてやらないといかん。それにだ、やっぱりお前は父親似だよ。お前は空の上にいるほうがいい、そんな気がしたんだ」
「そうか」
 返事を返すブレイズを、やはりピクシーは懐かしそうな目で見ていたが、「そうだ」と思いだしたように席を立った。やがて戻ってきたピクシーの手には、近所の写真屋の名前が印刷された封筒があった。
「現像頼んでおいたぞ」
「ああ……」
 頷いてそれを受け取る。閉鎖されたサンド島から送られてきた荷物の中にあったカメラ、その中フィルムの現像のことだろう。元はハミルトンのものであったそれは、今はただ言い得ぬ感慨を沸き起こさせる。
 封筒を開けて中を出す。食べかけのパスタを横にずらし、中身を確認する……だけのはずだった。
 自分で撮った写真は殆どない。現像されてきたのはサンド島の風景や飛んでいる戦闘機が大半だったが、その中で一枚だけ毛色の違うものがあった。
 白い画面の中、一人の人物が大きく映っている。白はシーツだ。顔と肩までしか映っていないが、裸の肩がむき出しになっている。赤い髪はブレイズのそれだが、青い目は目蓋が落ちていて見えなかった。
 寝顔だったのだ。自分でも信じられないような優しい表情だった。寝息が聞こえてきそうな。
 暫くは、呆然とそれを見ていた。こんなものを採った覚えはない。当然だ、被写体である自分が写っていて、しかもこんなに安らかな寝顔を見せているのだから。
 では誰が撮ったのだろう。裸で寝る習慣はないのに。どう考えたって事後に決まって……そう思った瞬間に、はっとした。
 あのカメラをくれたハミルトンか、それともチョッパーか。確かチョッパーと一度だけ交わった時もすぐ見える位置にカメラを置いていたはずだ。
 どっちだ? どっちが撮ったんだ?
 そういくら問いかけたところで、どちらも死んでいるのだという当たり前のことにしか行きあたらない。どんな気持ちでこれを撮ったのかも、ただ想像することしかできない。
 どうしようもない事実と遺されたそれに、静かに頬を濡らした。








やさしく触れれば
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