ロザリーが首にかけられ、鎖の冷たさに震えるかと思えばそうでもなかった。
「……なにこれ」
 齢は十を数えるかという位の頃だ。アコライトの兄が懐から出したロザリーが胸元にあるのを見て尋ねると、兄は答えた。
「やる。持っていたほうがいい」
「なんで」
 問いつつも、内心では分かっていた。兄弟はモロクにある神官の家の子だったが、弟の目の色だけが紫だったからだ。
 頭の固い父は紫色の目を見るや否や、悪魔だと言って憚らなかった。その風当たりは大変厳しかった。
「見かけだけ、形だけでも信仰している風にしていたほうがいい。本当はそうじゃなくてもいいから」
 黙って弟はロザリーの裏を見た。自分の名前が入っている。わざわざ手に入れたのだろうか。兄とて子供だというのに。
 兄の顔をまっすぐ見れなくて、ただじっとそのロザリーを眺めていたのは覚えている。
 ぺたぺたと胸元を触る手がロザリーを見つけられない。目を開けるとそこは住んでいた実家ではなく、アルデバランの橋の下だった。夢でも見ていたのだろう。
 ロザリーはというと、今は別の男の手にある。盗られたのだが未だに取り返していない。相手は同じスナイパーなのだが、実力で取り返すこともできるだろうに、していない。
 気に食わない男だ。飄々として口先が上手い。会うと大概抱かれることになるのがまた悔しい。
 まあいい、今日こそは取り返してやろう。ここのところ、どうも相手に絆されすぎだ。いつもは大概wisが入って夜に会うのだが、確か昼間は良く崑崙で狩りをしているのだと言っていた。行けば会えるだろう。
 そう思うと狩り道具だけを手に取って、カプラ職員のところまで走った。


「あれ、ルトラさん」
 崑崙のカプラの前には、目論見通りに金茶色の髪をしたスナイパーがいた。思惑通りだと、それはそれで気に食わない。
「会いに来てくれたんですか!」
 颯爽と駆け寄り、抱き寄せようとする金茶色のスナイパーを見て、顔面を掴んで制止した。
「人前で抱きつくなって言ってるだろ……!」
 少し小声で、しかし威圧は忘れずに離した。残念そうな顔をしたスナイパー……ユーというのが彼の名だが、本当の名は知らない。ユーは「分かりました」と言ってすぐに笑顔を見せる。
 出会ったのはひと月かふた月程前か。出会った時に見たこいつの笑顔と今の笑顔は、同じもののはずなのに違う気がする。昔はそれこそ、どこか空々しいというか、心の中では何を考えているのか分からないそれだったのに。
(……なんか最近は、本当に俺に会えて嬉しいってツラだ)
 そう思い、じっとユーの顔を見ていると、彼は軽く首を傾げた。
「どうしました?」
「いや、なんでもない。腹減った」
「じゃあ、そこの出店で食事でも買いましょう。俺も腹減りました」
「お前の奢りでよろしく」
「いいですけど……ルトラさん大食いだからなあ」
 そう言いながらも出店で食事を買い、「あっちに行きましょうか」と離れ島まで移動した。崑崙に来るのは随分久しぶりで、最近では首都でも地方料理が食べれるようになったが、崑崙のものはあまり出回っていない気がする。
「でも、本当に珍しいですね。ルトラさんが俺に会いに来てくれるなんて」
「別に会いにきた訳じゃ……ああ、メシ奢らせには来たけど」
「ひどいなあ」
 苦笑するスナイパーを横で眺めて、食事を咀嚼する。
「まともなメシ、久しぶりだな……普段野宿同然だし」
「そうなんですか。俺はたき火でつくる大味料理なら振る舞えます。焼いた肉と、スープと、パンとかですけど」
 その発言に、「へえ」とイクスは……いや、ルトラは目を見張った。
「思ったよりマトモじゃん。サベージまるごとつっこんだ鍋とかだと思ったぜ……前のギルドにいたときは、ギルメンのハイプリがメシ作ってくれたんだけどな」
「ああ、たかりに行ってたんですね」
「そーそー、タダメシだし……って、おい言わせんなよ」
 突っ込み返すとくすくすとユーが笑う。
「……まあでも、理由あって抜けたけどさ。そいつスナの旦那と上手く行ってないんだ。ギルドにいるスナって俺だけだったし、思い出させてもなーと思ってさ」
 言いつつ、件のハイプリーストを思い出す。女のハイプリーストだったが、知り合いのスナイパーと結婚したのだ。
 上手く行っておらず、憂い顔の彼女を思い出す。
 少しの沈黙の後に、ユーは囁くように言った。
「優しいですね」
 ぽつりとした一言だったが、意外な一言だった。優しいと言われたことなど、今まであっただろうか。
「どーかな」
「優しいですよ」
 この言葉は本心だと、言い聞かせるようにユーはもう一度言った。それにまた、心を動かされる。
 どちらかと言うと、優しいのは俺じゃなくてこいつだ。怒ったところなんて見たことがないし、多少無茶を言っても怒ったりしない。本心で想ってくれているのが分かってしまう。
「ま……それでいいけどさ。なんで家族にまでなったのに上手くいかねえんだろうな。所詮他人だからかな」
「他人だからかなぁ。他人だから面白いんだけど、どうにもならない時もあります。俺とルトラさんも他人だからいろいろできるんですし。コンバットナイフつきつけられたり、ベッドの上で楽しんだり、酒だって飲めるし、喧嘩もできるし、笑うこともできる」
「そーだな……なんか一部よけいなもんも混ざってるけど。なんか俺らしくねえな、最近特に」
「少し丸くなりましたね。出会った時はとにかく退屈しているって感じで、その後は殺気ばかりで」
「所帯でも持ったらこんな感じになんのかねえ」
 少し複雑な気持ちだった。丸くなったのはこいつのせいだ、明らかに。
 そんなルトラの気を知らずに、ユーは少し嬉しそうに言った。
「所帯かぁ。フェイヨンかコンロンあたりに小さな家買って暮らすのとか良いですねぇ。ルトラさんと一緒に」
「は、つまり俺に嫁になってほしいと」
 冗談めかして皮肉ぽく言ってやれば、「まさか」とでも言ってくれると思ったのだが、
「嫁になってくれますか?」
 とユーが笑顔で言った。笑ってはいるものの、目と声は真剣だった。こちらが笑い飛ばせないほどに。
 口が勝手に聴き返す。
「それプロポーズか?」
「プロポーズに、なるのかなぁ。嫁というか、今すぐじゃなくても良いから、この先で、家族になって貰いたいです」
 唇が確かにそう形作って、言った。思わず息を飲んで沈黙するしかなかった。
 今まで、はっきりと言葉にするほど自覚はしていなかったのだ。それが今その言葉を聞いただけで分かってしまった。
 自分は、家族が欲しかったのだ。これは自分も気づいていなかったけれども、一番欲しかった言葉だったのだと。
「な……んか、すごく、照れた」
「俺だって照れくさいですよっ!」
「うわやっべ 顔あっつ!」
「どれどれ」
 するりと下から顔を覗くユーを、ぺちんとはたこうとする。普段ならクリーンヒットするところが、がっしりと手首を掴まれて防がれた。
「おい!」
「いいじゃないですか、気になるんですよ。嫌な顔されてたらちょっとショックですし」
「嫌な顔とかできるかよ……」
 そう言うのが精一杯だった。嬉しい、と言えれば一番良いのに、これくらいしか言えない自分がもどかしい。
「よそから羨ましがられるような家族になりたいですねぇ。仲がよいとか、いつも明るいとか。信頼しあっているのがよくわかるとか」
「つまり、あれだ。えーと、幸せそう」
「うん、そう、幸せそう。しかも、一人でじゃなくて二人で幸せになっているのが良いですね。そのうち家族に良い思い出がいっぱいあるって、言って貰えるようにがんばりますよ?」
 頼むからそれ以上言うな、と思った時には遅かった。
「そだな……」
 返答した声が涙で滲んで、声が擦れていた。泣いてしまうくらい嬉しかった。
 








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