最初はただの遊びみたいなもんだった。
 狩り仲間のロードナイトがこう言ったのがはじまり。
「おいイクス。これ欲しいか?」
 彼が手にしていたのはクリップだ。ビタタカードの刺さったヒールクリップであるが、おおよそ騎士が使う代物ではない。露店に並んでいたものを買ったが、その値札の価格がひと桁少なかったのだという。要するに店主が値段を書き間違えたのだろう。
 イクスは最初こそ目を見張ったが、すぐさまいつもの表情に戻った。どこか冷めたような、退屈そうな表情のそれ。
「欲しい」
「俺にPvで勝てたらくれてやるよ」
 にやりと自信満々に彼のロードナイトは言った。
 イクスは今でこそスナイパーだが、その当時はまだハンターだった。ハンターだったイクスと本当にPvに行くことになっても、ロードナイトは笑みを崩さなかった。
 当然である。V型のロードナイトがハンターなどに負けるはずがない。しかも相手はD=Aの二極ハンターだ。弓は堅い相手を射抜くには難儀するため、これはどう考えても分が悪い。
 だが、イクスは勝ったのである。
 相手の油断も勝因ではあった。だがそれが実力に依るものだと後々誰しもが思い知った。それから後も、Pvでイクスから金品を巻き上げた者はいなかったからだ。
 以来、こんな話が冒険者の間でにわかに広まった。
 卵色の髪をした男のスナイパーに勝負を挑まれたら、是が非でも逃げろと。


 プロンテラの裏通り、目立たない建物と位置ではあるがひとつの酒場がある。
 L字型のテーブルに、取って付けたかのようなテーブル席が奥に数個。大半の客は立ち飲みをしており、あるスナイパーもそれに倣っていた。
 金茶の髪に焦げ茶色の瞳を持つスナイパーの男である。やや長身で年は二十歳の半ばといったところだろうか。
 この酒場の常連であるが、今夜はまだ目的を果たしていない。というのも、この酒場は一晩共にする相手を探すために利用されているのである。
 今日はどうにも利用客が少ない。よく見るあのアコライトハイも姿を見せていない。こんな日もあるか、とスナイパーはもう一杯エールを注文した。これを飲み干してもめぼしい相手が見つからなければ、今日はもう帰ることにしよう。欲求を満たしたい気持ちはあったのだが、相手がいないことにはどうしようもない。
 思えば今日は特に狩りの成果が奮わなかった。狩り場はよく使うコンロンタンジョンだったが、収入源であるロイヤルゼリーや古木の枝がどうにも集まらなかった。もちろん他の収集品で幾日か暮らしてはいけるが、これではなかなか装備が揃わない。
 今のところ欲しいものと言えば、深淵カードの刺さっているイクシオンの羽という弓だ。これがなかなかの高額であり、まだまだ目標の金額に達しそうもない。深淵の騎士が気まぐれでもいいからカードを落としてくれたらいいのだが、そんな幸運にはまだ出会っていない。
 そんな時、からんと戸口のベルが鳴った。新たな客だ。
 入ってきた客は一斉に注目を浴びた。見ない顔である。その手には今しがた思い浮かべていたイクシオンの羽があり、名前の通り開いた羽のような美しいそれは、位置からしてまるで体から羽が生えているように錯覚する。
 客もまたスナイパーだった。当然だ、それはスナイパー専用装備である。卵色の髪に、瞳は珍しいことに紫だった。
 きょろきょろと辺りを眺めたスナイパーは、少し怪訝そうに表情を曇らせた。他の客は入ってきた新しい客に少なからず興味を示しており、その好色そうな多数の視線が己に絡みつくのを嫌悪したのだろう。だが席を探して辺りを見回した彼は、立ち飲みのバーだとすぐに分かったのか、カウンターまでやってきた。そう、すぐ隣にだ。
 金茶の髪をしたスナイパーは、そっと隣にいる同職者を観察する。学生帽の下にある顔は意外に小綺麗で、聖職者あたりを一瞬イメージした。が、いかんせん目つきや気配が鋭すぎる。猛禽類のそれだ。
「んーと……」
 棚に並ぶ酒瓶を眺め、同職者は注文を決めあぐねているようだった。ふと、隣にいる金茶色の髪をしたスナイパーの手にあるエールを見て、
「あれと同じやつ」
 と指差した。それを受けてマスターは静かに頷くと手慣れた動作でエールを出す。杯を傾ける同職者を横目に問いかけた。
「エールが好きなんですか?」
「別に。なんでも良かったところに目についた」
 ぶっきらぼうな喋りと気だるげに頬杖をつく仕草が、妙に似合っていた。矢筒をずらして身体を傾け、エールで喉を湿らせる。その矢筒を見て、「おや」と思った。矢の一本一本から溢れる負の気配。カースアローだ。
「珍しいものを下げているんですね」
 自分も弓使いの一人である。普通のスナイパーならば属性矢を下げているところだ。だが心あたりもあった。対人をする弓手はこういった呪いの矢を使うこともある。
「対人スナなら珍しくないだろ。Gvしてる連中なら使ってる奴も多い」
「でも今日は日曜ではありませんよ?」
 GvGと呼ばれるギルド対抗の攻城戦は決まって日曜に行われる。勿論日曜のその時間ならば、呪いの矢を持つ弓手は増えるだろう。だが今日は違う。
 卵色の髪をしたスナイパーは、ため息交じりにこう言った。
「こんな髪と目をしたスナイパーに絡まれたら、ゴメンナサイして逃げろって噂を聞かなかったか?」
「もちろん知っていますよ」
 話しは聞いたことがある。同職なのも興味を引いた一因だろう。
 卵色の髪に紫の目をしたスナイパーに勝負を挑まれたら逃げろ。決して正面から戦うな。
 実際、彼に負けて貴重な装備やアイテムを失った者は少なくない。取り返そうと躍起になった者も中にはいたが、次の話しはなかった。返り討ちに遭ったのだというのはすぐに予想がつく。
 いつからそれが始まったのか、なぜそんなことを続けるのか。それは知らない。そんなことを気にする人間の方が少ないかも知れないが。
「なぜそんな勝負を?」
「退屈なんだよ」
 エールの入った杯を傾け、彼は紫の瞳を細める。そうすると存外にやさしい表情になり、目を見張った。薄い笑み、だがそこにあるのはやさしさと同居した酷薄さと侮蔑だ。
 その表情を見て、なんとなく分かった。彼は天賦の才がある男なのだろう。それ故に色のない、霞んだ世界にいるのだ。
「世の中退屈なことばっか。別に装備とかアイテム欲しさにやってるわけじゃねえよ。モノ賭けたほうがみんな真剣になるって気付いただけだ。けどどいつも弱い、手ごたえも意気地もない。復讐しにきた奴もいたけど、一回返り討ちにしてやったらもう来なくなった」
 くだらねえ、と言葉を吐き捨て、彼はエールを一気に飲み干した。
「そのうち噂も膨れあがりすぎて、向こうから勝負挑んでくるやつもいなくなっちまって。仕方ねえからこっちから挑発してるってとこだな」
 かたんと置かれた杯を、彼は暫く見つめていた。ぼうとした様子で魂でも抜けたかのようだったが、ふと気付いたようにこちらを見る。にこりと笑ってこう言ってきた。
「アンタ、俺と勝負する?」
「遠慮します。勝ち目の見えない勝負はしない主義なので」
「つまんねえ」
 ため息と共に、顔の向きを正面に戻した目が虚空を見る。
 暫くその横顔を眺めていたが、今度は自分が何かを思いついた。
「そうですね、勝てない戦闘はしませんが、あなたといい勝負になる事柄のアテはあります」
「ふうん?」
 返事は一見そっけなさそうではあったが、そのアメジストのような紫の目に強い光が宿る。
 と、カランと戸口の鈴が鳴り、その紫とよく似た髪色をしたアコライトハイが入ってきた。こちらの顔を見つけ、にこやかに近づいてくる。
「こんばんわ」
「今晩和」
 テンプレートのような挨拶が済むと、アコライトハイは隣のスナイパーに視線を移した。確かこのアコライトハイ、弓手が好きだということだったはずだ。何度か抱いたことがあるが、危うくネコ役をやらされそうになった経験もある。可愛い顔をして、その本性は狩りに長けた獣だ。
 以前このアコライトハイが話していた好みと、隣のスナイパーは合致している。折角の獲物を横取りされてはたまらないなと思っていたところに、アコライトハイは隣のスナイパーに話しかけた。
「初めて見る顔だね。よければ何か奢らせてよ」
「えらく気前がいいんだな」
「誰にでもするわけじゃないよ」
 アコライトハイはマスターに、「例のやつ」と注文を出した。ややあってバニラのアイスクリームにクリームリキュールがかかったものが出てきた。
「あ、これ美味いな。なんか紅茶ぽい匂いがする」
「ここの裏メニューなんですよ」
 舌に広がる甘みを楽しむ彼に、アコライトハイはにこやかかに応えた。金茶色のスナイパーは、その様子に首を傾げる。この店に裏メニューなどあっただろうか?
「本当に気前がいいですね」
 こちらもそう言ってやると、アコライトハイは先ほどとは違う、どこか含みのある笑みを見せた。
「顔が好みだから。それに……」
 ちらりと目配せをし、そっと耳元に唇を寄せる。
「後で感想も聞きたいしね」
「そういうことだと思いましたけどね」
 ため息交じりにそう言うと、じゃあまた、とアコライトハイは別の相手を求めて去っていった。


「まさかボードゲームとかカードゲームの勝負じゃないよな」
「違いますよ」
 すぐ近くの安宿に連れ込んだあたりで、彼はそんなことを言った。そちらでも些か自信はあるが、勝つかどうかは分からない。
「そう言えば、名前はなんて言うんですか?」
「名前……あー」
 少し逡巡した後、彼は答えた。
「イクス」
「イクスさん。いい名前ですね」
「俺はそう思わないけど」
「俺はそう思います」
 切り返せば、目を細めて逸らした顔に照れがまじる。へえ、とスナイパーは目を見張った。酒場にいた時も思ったが、色々な表情を見せる男だ。
「そっちは、名前何て言うんだよ」
「俺ですか? そうですね……」
 今度はこちらが逡巡する。本名は名乗らないようにしているため、こういう時に使っている通称を名乗った。
「ユーでいいですよ」
「You?」
「いいえ、Yew」
 イチイの木を指すそれを通称に選んだのは、別段深い意味はない。考えた当時にはあったのかも知れないが、時が経つにつれ記憶から薄れていった。
「ふうん……」
 返答をする彼の吐息が深く吐きだされる。どことなく甘い吐息。
「どうかしました?」
「いや……なんか……あつくて……」
 肩を竦ませたイクスが身体を震わせる。よろめき、支えようとユーが伸ばした腕を振りほどき、その反動で更にふらついた。身体が傾いてベッドに尻餅をつく。
 ぴんときた。
 先刻酒場で、あのアコライトハイが彼に奢ったアイスクリームを思い出す。あれに媚薬でも盛ったに違いない。
『後で感想も聞きたいしね』
 耳にやたら残ったあの一言が、頭の中で繰り返される。そうか、そういうことか。
 起き上がろうとするイクスの腕を押えこみ、制した。
「何の勝負か言っていなかったですね。俺、寝技なら自信ありますよ」
「は……?」
「抱かせてくださいってことですよ」
 呆けていた彼の顔が、その真意を察する。ベッドに乗り上げて馬乗りになることで、突き飛ばそうと動いた身体を防いだ。
 彼の腕に巻かれている赤いスカーフを外し、両の腕を縛りあげる。次いで自分の腕に巻いていた同じ赤のスカーフで、ベッド端と拘束されている手首を繋いだ。
「おい、てめえ……!」
「やめる気はありませんよ」
 上着のジッパーを勢い良く降ろしてみると、紫の瞳に絶望めいた色が浮かんだ。それがすっと胸をすく。いくらか細かい傷があるものの、厚くもなく薄くもないしなやかな胸板を指でなぞった。息をつめるその音一つから、様々な情報が読み取れる。絶望の他にと言えば、戸惑い、快感、抵抗の意志。
 目一杯に力の篭ったイクスの腕が、逃れようと無茶苦茶に動いた。余計に結び目がきつくなる気もするのだが、既に冷静ではないようだった。
「やめろ、おいやめろ!」
「お断りします」
 肌の上をなぞり胸の突起を捕まえると、びくりと全身が震える。朱のさした頬と濡れた瞳は、しかし反抗の意志を持っていた。縛られたベッドから逃れようと、さらに暴れる。馬乗りになっていなければ危ないところだ。
 暴れ疲れた腕、その指先が震えていた。媚薬の効果は良く出ているようだ。ベルトを外してズボン類をずらすと、勃ちあがった男性自身が顔を出す。
 ちらりと視線を彷徨わせて、何か使えそうなものがないか探すが特に何も見当たらない。仕方がないので指を丹念に舐めた。臀部の割れ目に指を滑らせると、流石に身体が逃げようとずり動かす。勿論その程度で逃げれる訳もないのだが。
 狩りをする時の高揚に似ている。多少は逃げてくれたり抵抗してもらわないとつまらない。組み敷かれているこのスナイパーもそれは知っているはずだというのに。
 割れ目から狙いを定めたそこに指を沈みこませると、途端に身体が強張った。指先に当たる少し硬い感触を探し当てると、そこを繊細な動作で擦る。たちまち押し殺した甘い声が耳に響いた。
 ぎゅっと瞳を閉じて、ただその感覚に耐えている表情を見る。
「目を閉じると余計感じますよ? 男と寝るのは初めてですか?」
 問いに反応して、目を開いたイクスがユーを睨みつけた。文句の一つでも言いたいのだろうが、震えて歯がカチカチと鳴っている。恐怖か悔しさか、あるいは快楽か、それは分からないが。
 中が小慣れたところで指の数を増やし、同様に攻め立てると喰いしばった口の間から、時折子犬が啼くような声がした。
「モノを賭けて戦いを挑まれたなら、あなたの身体が欲しくて来た者もいただろうに」
「っく、ん……、んん……!」
 紫色の目が涙に濡れている。水に沈みこんだ宝石のようだと思った。涙が溢れだして、彼が感じているのだと分かる。それが薬を盛られたせいもある、としてもだ。
 それまでじくじくと内を苛めていたが、それも少し可哀想かと思い、勃ったまま出番を待っていた自身のそれを取り出す。これから何かをするか示すように、先端を入り口に擦りつけた。怯えた身体がその入り口をぎゅっと閉じたが、緩むのを待って一気に奥まで挿入した。
「ふ、あ……あああああああっ、あああっ!!」
 泣き叫ぶ声と同時に、びくんと自分の下にある身体が跳ねた。見れば腹から胸にかけて、白濁とした液体が広がっていた。
「……可愛いなあ」
 微笑ましい気持ちでそれを見下ろしていると、呼吸と喘ぎを繰り返す唇が途切れ途切れに言った。
「……ろして、やる」
「うん?」
 聞き返せば、涙の溢れる目がユーを睨んだ。
「ころしてやる、殺してやる……っ! 殺してや……」
 そんな物騒な文句を言うことすら愛おしくて、思わず舌舐めずりをした。それから唇に噛みつくように口付ける。噛まれるかと思ったがそれはなかった。身体はどこまでも快楽に正直で、口づけにすら深く溺れるように互いを貪った。
 その様子を見て、ああ、彼の身体は自分を欲しているのだとわかる。腰を穿つには十分すぎる誘いだった。


 強すぎる快感にぴくりぴくりと震える身体を見下ろし、ユーは拘束していたスカーフを解いた。一つは自分の腕に、ひとつはサイドテーブルに畳んで置く。
 久々に誰かに溺れた気がした。こちらも留まる事を知らずに食べつくしたせいか、さすがに疲れを感じる。あちこちにつけた鬱血の痕に満足しつつ、不意に視線を横に向ける。
 壁際に手荷物と共に置かれている弓に目が行く。羽を模した美しい弓だ。同時に自分が欲しがっているそれ、なのだが。
 ただそれを手に取る前に、手荷物から零れている細い鎖に視線が吸い寄せられる。そっと指先引っかけて取りだしてみると、それはごくごく一般的なロザリーだった。
「……意外に信心深いんですかね」
 ぽつりと呟きながらロザリーの裏面を見ると、そこに名前が彫り込まれていた。イクス、ルトラ……、その後は滅茶苦茶に傷がつけられているため読めない。察するに、ファーストネーム、ミドルネーム、消されているのはファミリーネームだろうが、十字を持つほど信心深い人物が家名を消すというのは違和感がある。ミドルネームが洗礼名だとしたら余計にだ。
 しばし逡巡した後、ユーはそのロザリーを首から提げた。この「勝負」に勝ったらあの弓を頂こうかと思ったが、こちらのほうが面白そうだ。それに名を忘れずに済む。取り返しにくることも、少しは期待できるかもしれない。
 イクシオンの羽に軽く触れ、女性にするようなやさしい口づけをして、
「じゃ、また」
 ベッドで眠る彼にそう呟いて、ユーはその部屋を出た。








Special Thanks @ vergissmein! (後日談をいただきました : payback