時間がどの程度経ったのか、まるで分からないニブルヘイムの村に戻ると、一人の女の姿があった。
 肌が土色をしており、ところどころ皮膚が腐り落ちている。
 黒い髪をした魔女、その名はキルケラ。
「これであなたの望みは、達しましたね?」
 白い髪のプリーストは頷いた。
 魔女が差し出した、小瓶を受け取る。中味は水薬である。
 その蓋を開けようとした時、ふとキルケラは尋ねた。
「ヴィス=シェロ。あなたがそうまでして、あの魔術師を蘇えらせた理由は?」
「理由?」
「彼を現世に送り返さず、死人同士ここに留まれば、この先永遠に、ここで共に過ごせたはずです。大事なものも忘れ、あなただけを見て」
「魔女のセリフじゃねえな」
 苦笑、しかし琥珀色の眼光は鋭く、キルケラを見据える。
「ここは寒い。魂はやがて冷えて、ここにいる他の奴等みたいに、いずれ嬉しさも楽しさも、感じなくなるだろ。俺と一緒にいたとしても、そんな生気のない姿になるのを、あの自尊心の高い一夜が、良しとする訳がねえ。それに―――」
 瓶の蓋を落とすと、からんと転がる硝子の蓋。
「人形みたいに、何も感じなくなった一夜を、…俺は見たくねえからな」
「…あなたは、このニブルヘイムには相応しくない」
 頭を振り、吐息を吐きながら、魔女は唸るように続けた。
「ここは、成せず後悔し、未練を残す者が来るところ。あなたは…、あなたのように、生気に溢れ、死してなお誰かを救おうとする者は、危険すぎる」
「だからこその、この水薬だろ?」
 全てを忘れるための。
 生気なき死人として生きるための。
 水薬を、一気にヴィスはあおって呑み込んだ。
 その奇怪な味に、顔をしかめる。足が縺れ、膝を折り、プリーストはその場に倒れた。
 ふわりと宙に漂う帽子を取り、魔女はプリーストを見下ろした。
「…なんて、」
 幸せそうな顔。
 暫くキルケラは、そうしてプリーストの寝顔を見下ろしていたが、やがてくるりと踵を返すと、己の舘に戻っていった。


 掌に、ぺたん、と置かれた合鍵。
 扉の鍵を外し、開く。
 暫く戸口から中を見ていたが、マジシャンのローブの裾を上げて中に入り、自分の部屋の中を見て、驚く。
「…部屋、片さなかったんだな」
「うん。だっていちにゃ、絶対帰ってくるもん」
 迷いの欠片もない、断言。少しばかり苦笑しながら、部屋の中をじっと観察した。
 装備もそのまま。本棚と、ベッドの横に積み上げられた魔術書。
 ただ違ったのは、ベッド横のサイドテーブルにあるバンブーバスケットの中で、たれねこの早瀬さんが、ハンカチの布団でお休みしていた。本当に、帰ってくると疑っていないのが分かった。
 リィンらしい。と思いつつ眺めていると、背中からぎゅっと抱きしめられた。肩に乗っかる頭から、ウサミミが垂れる。
「…良かった、いちにゃ、帰ってきた」
「…ごめん」
 帰ってくると信じて疑わなかったリィンでも、死んだという事実は痛いものだったに違いない。
 吐息をつくと、腕と身体を離したリィンが、何かを一夜の首に掛けた。
 見下ろすと、古いロザリーが胸元で鈍く光っていた。
「次は絶対死なせない。いちにゃ、帰ってきたから、絶対ヴィスっこには渡さない。でも」
 振り返り、リィンを見遣る。にこりと笑い、額をくっつけ、目を閉じる。
「忘れなくていい。いちにゃはちゃんと、ウサのこと見てるの知ってるから」
「リィン」
 口が勝手に、名前を呼んだ。
 ん? と聞き返して笑む、リィンの顔。
「愛してる」
 きょとんとすりリィンの顔に、少し恥ずかしなり、赤い頬を隠すように、斜め下にうつ向いた。
「いや、自分でも良く分からないんだが…。なんだかそんな気持ちに…、なっ…て…」
「いちにゃーっ!」
 がばっ、ささささっ、ぼすっ!
 擬音にするとそんなところだろうか。つまり、抱きつかれて持ち上げられ、ベッドまで運ばれて落とされたわけで、服を脱ぎながらベッドに足を掛ける、アサシンクロスの姿。
「な、なんだ…!?」
「う? ちょっと突っ込みたくなった〜」
「笑顔で言うな! よ、良く考えろリィン、まだこの身体は子供だ。転生すると、個人差はあるが、ある程度までは急成長するはず。少し辛抱した方が良いと、俺は思うんだが!」
 珍しく饒舌な喋りに、リィンは暫くきょとんと見ていたが、満面の笑み。
「じゃ、ちっちゃいいちにゃ抱けるのは、今だけだよねぇ〜?」
「!?」
 にじり寄り、ローブを剥ぎ取り、ベルトに手をかけられ、
「待て、待て! お前の、その…あんな大きいモノは、入らないだろう!?」
「だいじょーぶだいじょーぶー、一回中で出せばヨくなってくるよ〜。今のうちから、たくさん慣らせて、あ、げ、りゅ」
「や、やめっ…、こらーー!」
 力ずくで勝てる要素など、何一つなく。
 その晩は一睡も出来なかった。


 夜、何処かの酒場で、赤い髪のバードがグラスを傾けていた。
 隣に座った客に気づいて見遣る。青い髪のハイウィザード。
「ん…、あ! 一夜、一夜か?」
 声を掛けると、ハイウィザードがこちらを見た。感慨深く、バードは息をつく。
「驚いた…、転生したんだな!」
「ああ。いつかは迷惑をかけた」
「ああ、いや、気にすんな」
 ハイウィザードの言うのは、確かこの酒場で酔いつぶれた彼を、途中まで送っていったことだろう。そんなに昔の話ではないだろうに、ひどく懐かしい。
「にしても、見違えたな。転生したってだけじゃなくて、表情とかも、なんか柔らかくなった。何かあったのか?」
「ああ…、そうだな…」
 酒も入り、機嫌も良さそうに、ハイウィザードは口許に笑みを刻む。
「思えば、この酒場で出会ったあたりの時期からだったな」
「なんだなんだ、聞かせろよ」
 身を乗り出し、バードは言う。
「あれは…」








Special Thx @Iさん