モロクに降り注ぐ日差しも和らぐ、夕刻のことだった。
 ダッダッダッと動物が走るような音が響いてくる。耳慣れたペコペコの走る音である。そこから騎士が降りたのか、がしゃりと鎧の金属音も続いて聞こえた。
 たまり場にしているテントの中、プリーストの優李はテントの入り口を注視した。ちらりとテントの入り口にしてある幕が動き、数センチの隙間から誰かの目が見えた。
「……怖いわよ。誰?」
 女性らしい声を少し低く、尋ねる。覗き見る目が中を探るように動き、幕がばさりと上がった。
「誰もいない?」
 姿を見せた逆毛頭のロードナイトは、入るなりそう言った。テントは広いが、そこには優李の姿しかなかった。
「だーれもいないよ。みんな狩りに行ってるし」
「イクスも?」
「リル、ほんとイクスくん好きよねえ」
 とある男プリーストの話しが出た瞬間、優李がにやりと笑った。赤面したロードナイト……リルは「wwwwwwwwwwっうぇwwwwwwww」と照れ隠しの逆毛語を反射的に出した。
「好きだからwwwwwwwww仕方なすwwwww」
「まあいいから落ちつきなさいよ」
 動物を宥めるような手振りで優李が言う。すーはー、深呼吸をしたリルが真顔に戻った。落ちついたのを確認し、うんうんと頷いた優李は続ける。
「でも夜までにプロ入りするんじゃなかったの?」
「いや……、その、あれなんだ」
「どれよ」
「wwwwwwwwwwwwww」
 突っ込むと、やはり逆毛語で笑いながらリルが両手で何かを突き出した。きちんと畳まれたセイントローブである。
「どしたの、セイントとか」
「+7wwwwwwwダチに探してってwwwww頼んでたからwwwwwwwwもらってきたwwwww」
「あらやだ、あたしのために?」
「ちがwwwwwあいつのwwwwwwwwwwwためwwwwwwwwwww」
 要するに、イクスのためだと言いたいらしい。優李が呆れたような表情を見せるが、すぐに気を取り直す。
「そういえば欲しいって言ってたもんね。闇セイントだったっけ? 今ちょうど鴨ちゃん戻ってきてるし、婆cだってすぐ手に入るんじゃないかな」
「なんwwwwwだとwwwwww鴨どこwwwwwww」
「イクスくんとペアで狩り」
「なに?」
 真顔になったリルが聞き返す。反応が気に行ったのか、優李がしたり顔が続けた。
「気になる? 鴨ちゃん男プリ好きだもんね。うちのギルドって男プリはティルトくんくらいだけど、あの人結婚したし」
 うんうん、と頷きながら優李は続ける。
 件のチェイサー、カモノクのプリースト好きはギルド内では有名なのだった。問題を起こしたことは今までにないため優李は平然と構えていたのだが、リルは対照的に表情を曇らせた。
「何だか嫌な予感がする。狩り場は?」
「ジュノーの脇にあるカピマップだって。ジュノーのポタあるけど?」
「ぜひお願いします優李先生」
「よろしい」
 破顔した優李が、ワープポータルを唱えた。


 イクスがカモノクに連れられて来た狩場は、ジュノー付近にある渓谷であった。カビのモンスターであるパンクとデーモンパンクが湧き、奴らはよく魔女の星の砂を落とすのだと言う。
 V型弓チェイサーの狩りというものを初めて見たが、これが中々の殲滅力と安定感だった。装備もいいものを揃えているらしい。それもそうか。何ヵ月も婆園に籠っていれば装備も充実しよう。
 弓でのボウリングバッシュでパンクが沈んでゆき、エキサーサイズを使い分けることで硬いデーモンパンクにも対応しているようだった。
「SP大丈夫なのか?」
 派手な立ち回りにイクスはそう質問した。すると存外にチェイサーは余裕そうな表情を見せる。
「マニピあるし大丈夫。それに俺にはコレがあるしな」
 ちらりと見せる短剣は初めて見る武器だった。首を傾げていると、口元を緩ませたカモノクは小声で言う。
「月光剣。SP吸収するやつ」
「それかなり高……」
 語尾が掠れる。数十Mはする高価な品だ。
「何ヵ月も婆園に籠もるとなると、やっぱ物資が尽きるわけよ。んでこういう装備が欲しくなる。兄貴がクリエイターやってるんでね、定期的に補充に来てはくれるけどさ」
「支援なくても狩れるんじゃないのか?」
「ん? マニピあれば月光剣使わなくていいしさ、それに誰かとの狩りっつーのはそれ以上の大事なもんがあるだろ? それに俺、アンタと狩りしたかったし。こいつとは楽しそう、で行く狩りが好きだしさ。うちのギルドはみんなそうだぜ」
「……まあ、そうだな」
 言われて納得する。だからこのギルドは居心地が良いのだ。あのリルだって、逆毛であることを除けば気楽な狩りができる。難しいことを気にしなくて良い気安さがあるのだ。
「さて、ポーション少なくなったし、ちっと休憩して戻るか。靴に砂絡んで疲れたろ」
 言われて足元に意識を向ける。確かに砂が多く、どうも歩きにくいと思っていたが、砂が絡んでいたせいだったらしい。
 頷いてカモノクの後に続くと、岩間にある洞窟へと案内された。少し奥まで入れば砂もなく、靴を一度脱いで入りこんだ砂を落とす。
 夕刻から夜になろうかという時間だ。洞窟に入ればもちろん暗い。チェイサーは荷物からカンテラを取り出し、手早く火を入れて地面に置いた。
「ふー、大分狩ったなー」
 そんなことを呟きながら、カモノクが荷物を広げた。収集品を整理するらしい。
「隣座れよ。荷物整頓しようぜ」
「ああ」
 言われるままカモノクの隣に座り、魔女砂やら拾った収集品をまとめる。それらがひと段落し靴をはき直していると、不意にカモノクが話しかけてきた。
「マスターに拾われたんだって? アンタみたいなプリがいるなら、俺すぐにでも婆さんのとこから戻ってきたんだけどな」
「……入ってたギルドがなくなったんだ。このギルドに入ったのは偶然さ」
 それからイクスは少し目を伏せた。過去を振り返るように。
「……いいギルドだよ、ここは」
「だな。俺も事情あってこのギルドきたクチだから。昔のこととか、きついことがあったのなら聞くぜ?」
「別に……。ありきたりな話だ。誰が悪いわけでもなく、みんな各々の都合でギルドを……あるいは冒険者をやめた。それだけだ」
「誰もいなくなって、ギルドもなくなったってか?」
 カモノクが言うと、こくりとイクスは頷いた。
 そうだ。誰が悪いわけでもない。皆個人の都合でやめたのだ。それがまた余計にじれったかった。
 どうしようもないもどかしさ、それは今のギルドに入ってからは忘れつつあったが、やはり思い出してしまうこともある。じわりと胸を焼く辛さは消えなかった。
 不意にカノモクが白ポーションを差し出した。気づかってくれているのだとすぐにイクスは悟った。それを手にして半分ほど飲み、残った白ポーションを返したところで妙に切ないような悲しいような気持ちになった。
 弓を引くチェイサーの、思ったより繊細な動きをする指がプリーストの肩を抱く。安心させるようにしっかりと抱きよせ、ぽんぽんと肩を叩く動き。髪を撫でる指先の動きも、普段ならば拒むところなのだが、この時ばかりは黙ってじっとしていた。
 いや、自分がこのままでいたかった。
 少し頭を傾けて、カモノクがイクスの顔を覗きこんだ。口の端を上げて頬笑んだのが見え、同時に黒髪が揺れる。髪の根元は金髪だ。理由は知らないが、染めているのだろう。
 そんなことを考えながら見ていると、その顔が近付いてくる。唇が触れ合うかというところで、どこからか砂を蹴る音が響いてきた。ともすれば聞き逃してしまいそうな音だが、次第にそれが大きくなる。
「……んだ、一体?」
 舌打ちを一つして、カモノクが振り返った。音はどんどん大きくなり、イクスもまたその方向を注視していたが、危険を感じて不意に立ち上がった。
「かああああああああ……もおおおおおおおおおおおおお!!!」
 地の底から響くような叫び声に、洞窟の中にいた二人は慄いた。洞窟の入り口から見える外は日も落ちて暗く、そんな暗がりからペコペコに乗ったロードナイトが鬼気迫る様子で突撃してくる。
「げっ……」
 さすがのカモノクも呻いた。イクスは身の危険を感じて壁際に寄ったが、逃げ損ねたカモノクが突撃してきたペコペコに吹っ飛ばされる。砂埃が舞い、イクスは口元を押えて目を細め、手で己の周りを仰いだ。砂埃が少し収まってくるころ、目の前の惨状を見遣る。
 壁に激突してノビているペコペコに、地面に倒れ、もみくちゃになったカモノクとリルの姿があった。
「い、いってええええ……。オイコラなにしてくれんだこの逆毛……」
 相当痛かったのか、ぎこちない動きで身体を起こしつつ、すぐさまカモノクはリルの胸ぐらを掴んだ。リルの目がカッと開かれる。その目の光は強い。
「うるっさあああああああい! おれの! イクスに! 何する気だったこのっ、このっ……! プリン頭チョイサ!」
「あぁ!?」
 殴りかかろうとしたカモノクをマグナムブレイクで吹き飛ばし、距離を取ったリルが威嚇するように両手を頭の位置で上げ、何かの構えを取る。とは言ってもモンクのようなそれではなく、どこか間抜けなのだが。普段ならきっちりセットしている赤い逆毛頭も、今は崩れて落ちてしまっていた。
「トサカ野郎が! こんな美味そうで、夜は色々奉仕してくれそうなプリに手出さないとかないだろ! 大体まだお前の男じゃねえだろうが! キスくらいいいだろ!」
「横恋慕禁止! 横恋慕禁止!」
 お互い妙な構えで威嚇をし出す。
「何のコントだ、これは……」
 頭を抱えながらも、イクスはすっ転がった杖を拾った。注意を引こうと杖で地面を叩く。キッとこちらを向いた二人の顔を見比べ、イクスはリルに問いかけた。
「リル。お前、プロにいるはずじゃなかったのか?」
「wwwwwwwwwwwwwっうぇwwwwwww実はwwwwwww嘘wwwwwwwww」
「嘘ついた理由は?」
 端的に尋ねると、リルの逆毛的な笑顔がひきつった。時間が流れる。十秒、二十秒……。
 喋る気がないと判断し、ため息をついたイクスが言った。
「……俺は嘘つきは嫌いだ。先にモロクに戻るから二人でやってろ」
「ちょwwwwwwwwwwwwww」
「おい待て俺は無関係d」
 口を挟んだカモノクに杖の先を突きつけて牽制する。反射的にカモノクが黙った。
「下心を知らなければ慰めてくれたのは嬉しかった。だから清算はしておいてやる」
 取り出したブルージェムストーンを手に、イクスはワープポータルを唱えた。さっさと一人入ると、その姿が消える。取り残された二人は、毒気を抜かれたようにお互いの顔を見合わせ、一瞬の後に掴みかかった。


 モクロに戻ってきたイクスは、まずたまり場にしているテントに顔を出した。テントはギルドハウスとして使われているが、寝泊まりしている場所は各々違う。寝泊まりできるだけのスペースがないだけなのだが。
 テントの中には、マスターを務めているパラディンと優李の二人がいた。仲良く談話をしているところに入ると、二人ともが「おかえり」と笑う。
「……ただいま」
「あれ、鴨ちゃんとリルは?」
「二人が喧嘩になったから置いてきた」
「喧嘩?」
 マスターがすかさず尋ねた。イクスは言いづらそうに視線を彷徨わせたが、吐息をひとつ吐いて正直に話した。
「チェイサーに迫られているところにリルがやってきて、喧嘩に」
 口にするとどことなく罪悪感が浮かび上がってくる。だが嘘を嫌いだと言った胃前、自分が嘘をつくのは嫌だった。
「リルが嘘をついた。大した嘘じゃないが理由を言わないのが……少し気に入らなくて。あのチェイサーも気づかって慰めるフリをして、下心アリアリだった」
「ははぁん、どっちもいつもなら軽く流せるのに、相乗効果で必要以上に苛々しちゃった、みたいな?」
 優李がそう言うのにイクスは頷いた。少々センチメンタルな気分になったのも良くなかったのだろう。カモノクが慰めてくれたのも、リルが来てくれたのも嬉しかったはずなのに、だ。
 黙り込んだイクスに、「あのね」と優李は切りだした。直ぐ脇の木箱から、何かを取りだす。セイントローブだ。
「+7のね、セイントなんだけど。リルってばこれを取りに行ってたんだよ。イクスくんにあげるんだって。これ渡すためにデートするつもりだったみたい」
「え……」
「恥ずかしくて言えなかったんだよ、きっと」
 そう言われてみれば、今日の昼間に行ったニブル谷の場所を決めた際、リルは当初狩りの予定ではない様子だった。そういうことなのだろうか?
 マスターが口を開いた。優しく諭す、という言葉がぴったりの、ゆっくりとした口調で。
「イクスくん。君なりに少なからずリルのことを好いてくれているのだろう? だから怒ってしまったんだ。鴨のこともそうだろう? あの子は少々困った言動も取るが、優しいのは本音だ」
「…………」
 泣きそうな様子で眉を寄せ、手にしていた杖をぎゅっと握った。息を大きく吸って吐けば、モロクの少し乾いた冷たい空気が肺を刺す。
 ややあって、肩の力を抜いた。
「……迎えに行ってくる」
「ジュノーポタ、いる?」
「頼む」
 優李が微笑んで見せた。