れいえん【冷炎】

通常の発火の前段階に見られる、低温の青白く弱い炎。 炭素数が多い炭化水素やエーテルの酸化反応で生じる、ホルムアルデヒドの励起による放射を指す。

 それは、炎の記憶だ。
 じわじわと燃え広がる様を見ていたら、いつの間にか大きくなった火がすべてを焼き尽くす。
 それがいいんだ。
 なんにも残らなくていい。


「やあ」
 美しき白の学術都市、その最後の砦と揶揄される食事処。
 学問にかまけて食事を疎かにする者たちの食を支える店、ラストスタンドの端で、この都市と似たような白い髪と耳をしたミコッテが手を挙げた。
 オープンテラスの席に風はなく、凪いでいる。積まれた本と小さいサンドイッチの乗った皿をテーブルに置いているミコッテの男は、愛嬌たっぷりにエレゼンの男へ笑いかけていた。
「君もヌーメノンの帰り?」
「はい」
「気になる書物は見つかった?」
「ええ」
 エレゼンのルナは黒いローブを纏う腕を上げて、積まれた本の山を指す。アーティファクトの一部であるネックレスが音を立てた。
「そこにありました」
 ミコッテが金色の目を瞬かせる。ムーンキーパーの丸い瞳孔が、彼を実年齢より幼く見せている。
「上から2番目」
「エーテル循環学とその応用法? そりゃ悪かったね、僕の一番の目当てだ」
「ええ、自分もです」
「お詫びに奢るよ。何がいい?」
「貴方の奢りは怖いですよ」
「ええ?」
 笑ったミコッテがウェイターを呼び、同じものを、と手元にあるカップをチラと見る。半分ほど残っているチャイ・トゥ・ヴヌーがすっかり冷めた様相で佇んでいた。
 人当たりよく、明るく、話しぶりも上手い。
 場を盛り上げるのが上手い冒険者というのが、どんなパーティにも必ずいるものだ。
 召喚士のヒューリはまさにそんなミコッテだった。
 激情的にならないよう自分を律すればこそ、その真逆の態度となる黒魔道士のルナにとっては、対極のように思える。
 ただ、この召喚士がその振る舞い通りの人物ではないことを、うっすらルナは気付きはじめていた。
 だって、ああ。彼が敵と対峙する時の目といったら。
 ひどく利己的で好戦的で、他の何を犠牲にしても敵を捻りつぶしてやるという意思を感じたのを覚えている。
 彼とは出会って日が浅く、つかみどころのないこのミコッテのことはまだ良く分からない。軽薄そうで、しかし知識に貪欲だ。
 ただ一つ言えるのは、彼は強い召喚士であること。
 破壊の力に特化した黒魔道士の自分と拮抗するほどにだ。
 興味、悔しさ、負けたくない。様々な想いが綯い交ぜになって、このムーンキーパーのミコッテを気にする所以となっている。
 最初は知人の紹介で討滅戦のパーティを組んだが、黒魔と召喚というキャスター同士である以上意識していたところ、「火力勝負しよう」と笑いかけてきたのは記憶に鮮明だ。
 実際、彼は強かった。召喚獣から感じる威圧はすなわち、彼のエーテル質の強さでもある。エーテルとアラグの秘術、そして巴術が複雑に絡み合った力。
 黒魔道士のそれとは違う質の力だ。
 運ばれてきたチャイからシナモンやシロップが香る。掴みどころのないミコッテは、気楽に足を組んで書物に視線を落としている。時折別の本を開いて情報の整合性を取り、裏付けを手帳にメモしていく。
 ルナの一番目当ての本は、どうやら借りられそうにない。
 傍らにはいつもイフリート・エギが存在しており、今もぴたりと寄り添っていた。
「巴術士の……」
「うん?」
 ぽつりと話しだしたルナに、ヒューリは顔を上げて首を傾げる。
「カーバンクルは、宝石に術者のエーテルを注いで創り出すと聞きました」
「そうだね。合ってる」
「ここ最近で、召喚士が普段エギを連れる様子を見なくなりましたが」
「ああ。最近はマシだけど、召喚士ってやつはあんまり風評がよくないからね。エギを出すのはやめようって奴が増えてきたんだ」
「貴方はそうしないんですか」
「そりゃあ、カーバンクルの姿で創るのも吝かではないんだけれど、特別意識しないとなぜかイフリート・エギになっちゃうんだ。ずっと一緒だったし。それに」
 ちら、とヒューリはエギを見遣る。宙に浮き、蛮神を小さく象ったものは偶像的とでもいうのだろうか、下半身がない。炎を纏ってそこに在る。その炎の中に眼光を感じて、すこし背筋が冷える想いだ。
「願望、かな」
「願望……?」
「いつか死ぬとき、死んだときは形を遺さず焼き払って欲しいね」
 すっかり冷え切ったチャイのカップを手にし、さらりとミコッテは言った。
 驚いた。強大な極性を扱う黒魔道士は常々覚悟していることだが、召喚士の彼がそんな終わりを想像しているのは意外であったし、何より彼は「願望」と宣ったのが気になった。
 もちろんルナにもその覚悟はある。それは黒魔道士のジョブクリスタルを手にした時から、星極性の制御を誤れば焼死体が一個出来上がることになるからだ。
 そんな覚悟ではなく、あくまで願望だと。
「どうして、それを望むのです?」
「さあね。何かを遺して死にたいって性質じゃないことは確かだよ。キャスターが遺すものにロクなものはない」
 おどけたように言い、少し肩を竦めて彼は続ける。
「或いは……うん……まあ。僕の意識、思考、魂を紐解いていけばわかるのかもしれないけれど。無意識下にあるような記憶エーテルとかね」
「本当は自分で気付いているんじゃないですか?」
「今日は食い下がるなあ」
 けらけらと笑うミコッテに、ルナは唇を引き結んで黙った。笑っていたミコッテが「ごめんごめん」と言って、テーブルに頬杖をつく。
「ねえ、ルナくん」
 その姿は毒婦のようでもあり、妖精のようでもあった。
「僕が死ぬときには、きみに燃やしてほしいな。跡形もなく……燃やし尽くすくらいの気持ちで」
 微笑む顔からはどんな感情も読み取れない。ルナはしばし黙って、「ええ」と頷いた。
「慶んで承りますよ」
「うん、期待してるよ」
 笑うミコッテの目が満月のような輝きを放っていた。