黒いローブの両手に、本が三冊どさどさと積まれる。客人の召喚士が借りた本を返しに来たのだ。
「ありがとね~」
満足そうに笑う召喚士に、自宅の玄関先で黒魔道士のルナは目を丸くした。昼のクガネは暖かな陽気だ。
「もう読んだの?」
三冊とも、貸したのは昨夜なのに。そんなルナの表情を汲み取って、召喚士ヒューリは「うん」と頷いた。
「回りくどい表現のところはかい摘んでだけどね。この著者、話がとにかく遠回しなんだもん。さすが大学教授の著書って感じ」
耳を揺らしてそう答えるヒューリは、空いた両手で肩を竦めた。
「でも興味深かったよ。朝飯忘れて読んじゃった」
「それなら何か食べていきます? そろそろ昼飯の支度をしようかと思っていたので」
「そう? じゃ是非」
言うが早いか、大胆に敷居をまたぐミコッテは、その最中でトトトと壁際によろめいていった。
こつんと自身の身体を受け止められた壁を見て、「あれ?」と呟く姿に、本を降ろしながらルナは首を傾げる。
「どうしたの?」
「え、ううん。何でも」
「ヒューリくん。もしかして、またあんまり寝てない?」
「いやいや~ちゃんと寝たよ、三日前に」
「ちょっと」
一気に剣呑さを増したルナの声に、ヒューリは振り返って愛想笑いをする。
彼は大抵笑顔を欠かさないが、これは愛想笑いだとルナは直感した。
「普段から眠りは浅いほうだし、大事じゃないよ」
「浅いとか深いとかそういう問題じゃない。寝床貸すから休んで。嫌なら宿まで送ってもいいから」
「ええー、別にルナくんの寝床は嫌いじゃないけどご飯……」
「ご飯ならいつでも出すよ。起きてからちゃんと食べなよ」
「もうちょっとくらい寝なくても大丈夫だって」
「……分かった」
問答の末に肩を落としたルナが、吐息を吐くとすぐさま胸を張り背に手を伸ばした。白い石造りの杖を構えて、それを召喚士の目の前に付き出す。
突き付けられたアスフォデロース・スタッフを見て、ヒューリは一気に顔色を変えた。
「ちょっ……」
「スリプル」
強烈な眠気を催すエーテルを受けて、大きく前後不覚になりながらも召喚士は抵抗を試みたようだったが、やがて膝から崩れ落ちるように眠りに落ちていく。連れていたイフリート・エギが消滅し、完全に意識を失ったことを裏付けた。
小柄なミコッテの身体を受け止めて、予想よりも重たかったそれに「うぐ」と声を挙げながらも、ルナはぐっと抱え上げた。
意識のない人間はことさら重たく感じる。よろめきながら居間のソファまで一歩ずつ足を進めて、彼をゆっくりと降ろした。いかにスリプルと言えども、多少の衝撃を受ければ起きてしまう。
先日彼が眠るの見たときは、ミコッテらしく身体を丸くしていた。今日は無理矢理寝かせたからか、だらりと四肢を投げ出してソファで眠る様を見せている。なんとなく彼が違う人間に思えた。
ヒューリが着るアラグ様式のキャスターチュニックは深い青色をしており、その胸の上で転がるクリスタルはネックレス状だ。少し迷ったが、手を伸ばして装飾を外し、テーブルへ置く。寝ている間に首を絞めては大変だ。
既に眉間には皺が刻まれているが、唸る気配も起きる様子もない。
(たぶん……また悪い夢を見てる……)
そうでなければこんなに辛そうな顔をして寝るもんか。
彼がアラグに明るいのと同様、ルナ自身は魔大戦の知識を多少は持ち合わせている。黒魔法と白魔法のぶつかり合いが第六霊災の引き金になり、千五百年前のことだというのにエオルゼアにはその影響がまだ色濃く残る場所があるのだ。
エーテルを扱うということ。その危険性。濫用することは己や環境を侵すことになる。
ならば召喚術は? 蛮神のエーテルを変質させると言えば簡単だが、異形のエーテルを取り込んで扱うなんて正気とは思えない。ましてトランス状態にありながらデミを顕現させているなんて。
黒魔法、白魔法のように自然由来ではないものが、ずっと身体の最中に同居している影響は色濃いに違いない。
彼は、うなされていることへの自覚は全くなかった。あったとして、彼が自分を大事にするようにはーーとても思えないけれど。
あれこれ考えたが、ルナは頭を振って思考を取りやめた。先日そうして交感したのがバレたので、ばつも悪かった。
まずは昼飯。そして本でも読みながら、見守ることで寝かしつけた責任を全うしよう。
そう思ってルナは傍にあるテーブルセットの椅子に腰掛けた。
それから数時間は経った頃、だらりとソファに投げ出された腕がぴくりと動き、ルナは「おや」と読みかけの本を閉じた。
「おはよう」
声をかければ、やや焦点の合わない金の双眸が薄っすらと開き、緩慢に瞬きを繰り返す。
状況の把握に数秒を有したのか、ややあって剣呑に眇められた視線を向けてきた。
「おはようより先に、言うべき事が有ると思うんだけど?」
「……あー、もうそろそろ夕飯時だよ?」
不満の感情を表すように召喚士の尻尾が神経質に揺れる。
彼がシロガネを訪問したのは昼前だったというのに、既に日は随分と傾いている。
スリプルで強制的に寝かしつけたとはいえ、随分と長い間身じろぎもせずに滾々と眠り続けていた。
本人の弁とは裏腹に、蓄積された疲労が随分溜まっていたという事だろう。
「人の意識を強制的に奪ったことについては?」
「それはヒューリ君の不摂生から来たところだからね、自業自得だよ。……ソファで寝苦しくなかった?」
こういう時、彼の威圧感は凄まじく強い。ほんの少しだけ揺らぎそうになりつつも、ルナは努めて平静な声で反論した。
なんだかんだルナも平気で睡眠を抜く人間なのであまり強くは言えない。言葉を巧みに操るという点ではミコッテの青年には敵わない。言葉を重ねることでやぶ蛇になるのを防ぐように、意図的に議論の矛先を変えた。むすりとしながらも、ヒューリは起き上がりながら答えた。
「お陰様でしっかり休めました」
「それは良かった」
返答に、ルナは自然と表情を緩ませた。
内心はどうであれ、ミコッテの青年も不毛な言葉のやり取りを続けることは利にならないと判断したのだろう。
相変わらず寝顔は穏やかとは言い難いものだったし、魘される気配もなかった。逆にそんな様子が彼らしからぬものを思わせて心配にはなったが、目を覚ませば何時も通りのようだ。
「それで、ご飯はどうする? お詫びに用意するけど」
「もちろん食べるよ。誰かさんの仕業でお昼食べ損ねたから」
座り直したヒューリが、自身の目元をぐいぐい押さえてあくびをした。また詰め寄られる前に、ルナは席を立つ。
昼に使う予定だった食材がまるっと残っているからそれを使うとして、夕食ならば更に何か一品追加すれば丁度いいだろうか。
もう一皿に何を作るか思考をするエレゼンの青年に、「ねえ」とミコッテの青年が声をかけた。
「ルナ君、昼は結局どうしたの?」
「多分起きないだろうなあと思ったから、一人で適当に済ませたよ」
「へえ、意外とそういうこところはマメなんだ」
「食べずに動けなくなったら笑えないからね?」
幼少期にグリダニアで仲間と住んでいた頃、幸いにも食事に困った経験は殆どない。
とはいえ、街中に住居があるわけでもなく無闇矢鱈に獣を狩れば鬼哭隊に目をつけられる可能性があった。
食べられる時は努めて食事を摂ることを意識すべき、それは当時の生活から自然と根付いたもので、冒険者となり自宅を持つようになってからも変わらない慣習だ。
食事は三食摂るように。そうしっかり言い聞かせていた養子のエルネストもその言葉を律儀に守っているらしく、気づけば彼は自分よりも大きく逞しく成長した。
出会ったばかりのときはあんなに細くて小さくてひどく不健康そうだったのに、今の姿を見るときは少しだけ誇らしくなる。
「……ルナ君の昼って、それ?」
「うん?」
昔の事や食事の内容、諸々に思考を割いていた結果、目前の青年からの問いかけに対する反応が自然と生返事になった。
ヒューリがテーブルの上のものを指差す。
「一応聞くね。それ、なに?」
「え、あ……」
再度の問いかけに意識が現実へと戻ってきて、思わず口を噤んだ。
自分一人で済ませるのならば、と昼飯にはストックしていた食べ物をつまみつつ読書をしていたのだ。
養い子の前ではある程度しっかりとした人間を演じてきたつもりだが、ルナは基本的に手を抜けるところは抜く大雑把な人間だ。
近年シャーレアンから齎された"それ"は、一般的には賛否両論が多い事を重々承知しつつも、エレゼンの青年にとっては非常に重宝し常食しているものだった。
"それ"をうっかり、テーブルの上に乗せたままだったことを、たった今思い出した。
この状況で誤魔化しも何もあったものではない。ルナは諦めたようにそれの名前を口にした。
「何ってまあ、賢人パンだよね……?」
「賢人パン!」
呆れたようにミコッテの青年は復唱する。
「そんなもの食べてるの?」
「そんなのって……味に目を向けなければ便利なものだよ」
知の都シャーレアンにて作られた「賢人パン」は、ある一点の問題を除けば非常に優秀な食事だ。手軽で栄養価も高く、読書や学習・研究の合間にも片手で食べることができる。学術都市国家にうってつけの食べ物である。
ただ、栄養の為に練り込まれた野菜と魚粉のせいで味に難があるというだけだ。たった一点、しかし非常に難のある欠点ではあるが。
「その味が大事だって思わない?」
「一応好き嫌いはしないように心がけている主義だからね」
あくまで誠実に、ルナは答える。
うまいかまずいか、で言われれば「まずい」寄りの賢人パンだが、食べられないほどではない。
少なくともヘルスブレッドと比べればずっと食べ物の味をしているだけマシだ。そう主張したい。
とはいえ、これを口にしている事自体、養ったエルネストは非常に理解に苦しむものであるらしく、何度か苦言を呈されている。
なるべく人前で口にすることを控えていたが、自宅だったのですっかり気が抜けていたのだ。
「これに慣れると、意外とどんなものでも食べられるようになるよ」
「……ねえ。まさか夕飯も」
ヒューリに懐疑的な視線を向けられ、気まずそうにたじろぐ。
普段の愛想のいい表情、会話のときに時折見せる冷たい色、戦闘の時にしか見かけない眼光。
そのどれでもない、ただただ理解に苦しむといった表情を向けられるのは流石に居心地が悪い。
ちがうよ、と手を振りながらルナはアピールしつつ、
「人様がいるのに流石にそれはないよ。自分だけならともかく、楽しんで食事をすることには徹底的に不適当な食べ物だし」
「そんなの好んで食べてる人が言っても、全く説得力が無いよ。まともな献立の夕食なら、まあいいけどさあ……」
朝飯を抜いて読書をしていたくせに、ヒューリは未だに冷ややかな目をしている。
呆れを隠さない声でそう返されて、反論の言葉は自然と消えた。
「で、献立なに?」
ソファの上で尻尾を揺らしながらヒューリは尋ねる。多少は機嫌を直したのか、声音は少しの興味を感じ取れた。
「ええと……鶏肉キノコ炒めとラプトルシチューでどうです? ギルバンをたくさん頂いたので」
「あー、ナインアイビーにたくさん生えてるやつ?」
「そう、それです」
「アリアリのアリ」
ソファから飛び起きて、先程までルナが座っていた椅子に腰掛けたヒューリが、笑顔を見せた。
籠盛りになっているギルバンーー小さいキノコに感謝しながら、ルナは籠を手に取る。
芳香が鼻をついた。楽しげな夕餉になりそうだ。
※奏さんとの合作です