「まあ死んだら君に肉体は焼いてもらうとしてさあ」
串焼きの身を食べきった、串だけをぷらぷらと指先で揺らして、ヒューリは言った。
「はい?」
「魂があるべきところに還るのはいやだなあ。星海で他人とごっちゃになってまっさらになるんでしょ? 気持ちわるいじゃん」
「気持ちわるいって」
呆れた様子で、ルナはパンを千切った。
それは星の理で、とてつもない例外がなければそこから外れることはない真理、摂理だ。
蛮神ですら魂はエーテル界にあるのだ。
「僕は僕でいたいんだよね。他人と一緒にされるなんて死んでもごめんだ。もしそうなったら化けて出ようかなあ」
「よしてよ」
冗談っぽく笑うヒューリに、ルナもつられて笑う。
いつだっただろう。そんな話をしたことがあった。
ウルダハの目抜き通りを一目散に走る男の姿があった。
黒魔道士の長いローブを振り乱して、アーティファクトの一種である装飾品が首元でじゃらじゃらと揺れ鳴っている。
ナル回廊のアルダネス聖櫃堂、その扉は開け放たれており、エレゼンの長い足を縺れさせながら黒魔道士はそこに滑り込んだ。
その姿を認めた白いカウル姿のララフェルが、少し厳しい顔で歩みよってくる。
「アズリーさん。お待ちしていました」
「あの! あの、本当に……」
焦りが過ぎて言葉がまとまらない。ララフェルの女は「ええ、ええ」と落ち着かせるべく何度も頷いた。
「みえていますよ。遺言状どおり、まだ弔いもしておりません。葬斂はルナ・アズリー氏に必ずお願いするようにとのことでしたので」
「その遺言状って……」
「彼が持って見えましたよ」
神聖な雰囲気の聖櫃堂で、壁際に立つ男をララフェルは指す。ミッドランダーの青年リテイナーが、所在なさげな不良のような体で立っている。場所が場所であるために、罰が悪そうな様子に近い。そんななんとも言えない表情をしていた。
「アズリーさんご本人が引き取りにいらっしゃるのを確認したいということで、待ってみえました」
「…………」
言葉が出なかった。ルナはざわつく心身をなんとか収めて、息を細く長く吐き出していく。か細い声が、「ありがとうございます」とだけ呟く。ますますリテイナーの男は罰が悪そうだった。
ララフェルが気遣わしげに続ける。
「貴方が荼毘に付すということでしたらお引渡しいたします。そうでなければ教団の者で簡易な葬儀でも」
「いえ! いえ……」
ルナは顔を上げて強く否定した後、顔を伏せた。
「俺が……引き取ります」
震える手をぐっと握りこんだ。カウルのララフェルが「こちらです」と踵を返した。
「何しろ希望が火葬ということでしたので、別所に安置してあります」
ウルダハは土葬が主体である。なにしろナルザル教団が推している葬儀形式だからだ。
しかしお布施の額次第でより質の良い埋葬となるこの国において、ギルを積めば火葬を選べないこともない。選ぶ余地のある金持ちの一部には火葬を選ぶ者がいる。よって、敷地内にも簡易な火葬場が設けられている。
白カウルのララフェルに案内され、そこに通されると空気がひんやりとしていた。
円形の室内は天井がなく、煙を逃す造りになっている。さほど雨が多くないザナラーンの空ではあるが、雨水を逃がす造りが床の端には見て取れ、天井に近づくほど砂塵の跡があった。
夜更けの火葬場には松明の火が設けられており、中央には木棺が安置されている。
「一通りの用意は済ませておきましたが……何か手助けが必要でしたら呼んでください」
「……ありがとうございます」
礼を述べると、ララフェルはすぐに部屋を出て扉を締めた。
しばらく、ルナは動けないでいた。ようやっと腕を上げて木棺の蓋を開く。
よく燃えるようにオガ屑が詰められ、申し訳程度のニメーヤリリーが脇に添えられていた。愛用していた魔導書と羽根ペンも副葬品として埋もれている。一介の冒険者に対する直葬にしてはマシな形といえる。
そして、あまり見ないようにしていたその人物を、そろそろとルナは見た。
尻尾があるせいか、横向きに寝かされている彼の顔は白い。まったく血の気がないどころか、生の匂いを一切感じない。
そこで寝ているミコッテの男は微動だにせず、納棺されていた。
ルナは息を細く、細く、長く吐く。
考えたことがないわけではなかった。
いつだったか彼と交わした約束は、彼が死んだ時には遺体を燃やすというものだったし、そんな約束をしてから「そうなった時」のことを想像したことがないわけじゃなかった。
だから何度かは想像したことがあるのだ。彼が死んだときのことを。
(どうして)
でも現実は、ずっとずっと息苦しくてめまいがする。
薄緑の瞳に水膜が張っていくのが分かったが、腕が他人のものになったようで拭うこともしなかった。
(ねえ、どうして)
どんな死に方を、とは思わなかった。
震える手が棺に手を掛ける。そのせいでより手の震えが目立つ。
(早すぎるよ)
何も今じゃなくても。そう思った。
冒険者なのだからいつ死んでもおかしくはない。そんなことは重々承知していたとしても、感情が追いつかない。
何よりも、眠る時はあんなに毎度毎度うなされていた彼が、こんなに静かに横になっている。
そんな安らかな眠りを得たのが死の際なんて。
「っう……」
嗚咽が部屋に響いた。
ああ、早く燃やさなきゃ……。
「ねえ、まだ寝てるの?」
そう言われた気がして、ルナは緩慢に目を開けた。
揺れる南国の樹が見える。それがいい塩梅の木陰を生み出していて、心地よさを味わいながら仰向けで横たわっていた。
ゆっくり起き上がり、辺りを眺めると静かな波の音と共に海辺を認めた。
静かな浜辺だった。知ってる場所だ。砂浜は広く平たく、少し紅がかった砂と透明なうすエメラルドの海が静寂を生み出していた。
サベネア島の端。ああ、ええと。なんという浜辺だったか。
(魚や釣りに詳しいヒューリくんなら、すぐに答えてくれるんだろうけれど……)
その彼の声がした気がするのに。
ゆっくり立ち上がって、寄せては返す浜辺に目を向けると、思い描いた人物がそこに立っていた。
死んだはず、俺が燃やしたのに。
とは不思議なことに思わなかった。夢なのだろうかと思えばそちらのほうがずっと説得力があった。
砂を踏みしめながら、浜辺の彼に近づく。浅瀬に立ち、脱いだブーツを手にして海の方を見ていた。
波打ち際から3ヤルムといったところか。波はとても穏やかで、立っているだけの彼もまた、静かだった。
先ほど聞いた声は気のせいだったのだろうか?
「ヒューリくん」
己が出した声も、なんとなく発せられているようないないような、よくわからない感覚だ。
少なくとも、彼には伝わったらしい。振り返ってにこやかに何かを話している。明らかに話掛けられているのに、なんと言っているのかわからない。
困った顔をして立っていると、砂浜にブーツを投げ捨てて小走りに近づいたヒューリがルナの腕を引っ張った。無邪気な顔をして波打ち際を走り回る。
やはりこれは夢なんだ。
だって彼はもういない。夢だとしたら、エーテルの残滓が見せるものなのだろうか。それともルナ自身の願望によるものなのだろうか。
だって、ああ。ずるずるに長い黒魔道士のローブがこの南国でちっとも暑くないし、水に足を取られているはずなのにふわふわと軽いのだ。
いつもだって溌剌としてはいたけれど、屈託なく笑って楽しそうに何かを話しているのを見ると……あまりにも無邪気すぎて、現実ではないんだと思ってしまう。
「ヒューリくん、待って」
つよく引き留めると、振り返った彼は少し驚き、そして寂しそうだった。
それもまた、現実では見た事がない顔だった。あからさまな弱みを決して見てない性質だったし、いつもどこかで壁を作っていた。
ヒューリが手を引き直す。今度はゆるく、こちらが歩むのをきちんと確かめながらのもので、いつの間にか彼はきちんとブーツを履いていたし、その場は海辺ではなかった。
サベネアには間違いがなかったが、先日終末の混乱があったヴァナスパティの森林の中にいて、その森はあの時と同じく劫火に燃えていた。
「……!!」
驚いて見上げると、週末の獣が空を絨毯のように覆っている。
地獄絵図。つないだ手が汗ばんでいる。
それでも彼はさくさくと、散歩しているように歩んでいくのだ。
それはヴァナスパティであり、パガルザンであり、アラミゴ、ギムリト、そして終末のアーモロートであった。
戦火、あるいは一方的な蹂躙。災いと苦しみの炎。
街並みがアーモロートかと思いきや、冷めきったカレマルドになり、冷えた街並みがグリダニアの穏やかなものになる。
過ぎ去っていくのは風景だけでなく、見知った顔の人々が何人もいた。子どもも、大人も。見知った友人たちもいたし、かつて養った子も恋人を連れて歩いていた。。
声をかけようと思っても、引かれる手は柔らかくも強くてそれを許さなかった。
不意に離れた手に焦って、「あ」と言葉が漏れる。
さっきそうだったように、彼は波打ち際に立っていた。元いたラザハンの海だった。
背中がさみしくて、少し肩が落ち込んでいる。
「ヒューリくん」
声をかけると振り返る彼の顔も、いつものような笑顔ではなかった。
素の顔だ。なんの感情もない。
ルナは、これが本当の彼だと思った。
「君が見せたかったものだったんですね」
彼は笑いも悲しみもせずルナを見ている。ルナはそのまま続けた。
「違うかな……。本当はこういう静かな海だけ見せたかったのかもしれないけれど……。自分の中に残っているものを見せたかったのかなって」
完全に向き直ったヒューリが肩を竦める。だって君がここだけじゃ納得できないみたいだったから、なんてそんなことを言ってきそうな様子で。
そんなところがいつもの彼らしさを思わせて、少しだけルナの緊張は緩んだ。
「でもヒューリくんにとっては、どれも流れていってしまうものなんだね」
言いながら、俯いた。認めたくない現実は、夢の中でも追い縋ってくる。
「そして、俺も……」
陽光に照らされる足元の海水に影が落ちる。顔を上げると、ヒューリが少し困った顔でルナを思いっきり突き飛ばした。
直後、音もなく波がうねって目の前の人物を一息に飲み込んだ。
目を覚ますと、ランタンの灯りが部屋を照らしていた。
「あ、起きた。大丈夫?」
ベッドサイドに座る長身の男は、かつて子どもの頃に養った青年だった。
緑色の髪の下から、心底心配していた様子の目が安堵する様子が見える。
「エルネストくん……」
「びっくりしたよ。海で溺れたって! 心配したんだよ……」
ルナが養っていた頃とは打って変わり、ずいぶん大きく成長した彼が心配そうな表情をする。子どものころの面影は十分に残っているのもあり、なおさら申し訳なかった。
溺れたのか。よく思い出せないけれど、記憶が混濁しているせいなのだろうか。
夢の内容はハッキリと覚えているのに。
「ごめん……」
「いいよ、無事だったんだから。すぐ助けられたって聞いたし」
そう言うと、席を立ったエルネストが「飲み物持ってくるね」と笑顔を見せた。
パタンと扉が閉まり、部屋が自室であることを改めて見知る。
はあ、と息を吐いた。溺れた、溺れたか。
やっぱり夢だった。どこまでが夢だったのだろう。あの穏やかな海、戦火と街並み。しゃべらない彼……。
と、コンコンとノックの音がした。
返事をする前に来客のほうが扉の向こうで話しだした。
それを聞いた途端、そわ、と背筋をすっとしたものが通った。
「――ルナくん、まだ寝てるの?」