あの夕暮れの色が忘れられない。
イシュガルドの抜けるような空。回廊に深く差し込む夕焼け。
たぶんずっと、あれは脳裏に残る光景だ。
「原初の魂が震えない?」
ヒューランの青年が訝し気に聞き返す。
「もうダメかも知れないね」
けらけらと面白そうな口調で、ミコッテの男がそう言った。テーブルに足を乗せ、新調したばかりのウェザード・アルマンダルを読む姿は、召喚士のものである。
リムサ・ロミンサ上甲板層にある、「溺れた海豚亭」での出来事である。
冒険者ギルドでもあるそのビアホールが彼らの拠点だった。寝泊りしている宿も目の前にあることから、彼らに声をかける際にナイトはよくそのビアホールを訪れていた。
「ぜーんぜんダメなんだってさ。そもそもラースが溜まらないみたい。あれじゃただの斧術士……いや、それ以下かもねぇ」
「どういうことだ」
「アレキなんてとんでもないってことだよ。このパーティも解散かもねえ」
少しも動揺のない様子で、さらりと召喚士は言った。「そんなことあるえるか?」とナイトは呟いたが、理由はもう分かっていた。
「相当ショックだったみたいだよ。あの騎士様が死んだこと。よく仇取るまで戦えたって思ったからね。あ、新しい戦士か暗黒騎士探したら教えてよ。マキちゃん」
にへ、と笑うミコッテに、ヒューランはミッドランダーのナイト、マキは渋面を作った。
マキは件の戦士と、お互いのパーティぐるみでの付き合いがあった。レイドの際は合流して攻略することもしばしばであった。
どちらかと言えば天然、腕は上の下。しかし人一倍向上心があるのが件の戦士であるし、これまでどんな強敵に打ちのめされても何度でも自身を奮い立たせてきた。互いの一癖二癖もあるパーティメンバーたちをまとめてくる精神的に強さを持っていた。基本的に大らかな性質は、マキとは全く逆だった。
打てば応えるこそ、効率重視のマキも組んでいられたのかもしれない。マキは去る者追わずと言えば聞こえはいいが、攻略の際の厳しい言い回しと効率厨のスタイルでこれまで何人もの冒険者との別れを経験してきた。これがただ上手いだけの戦士でも続かなかっただろうし、大らかなだけの冒険者でも続かなかっただろう。
「お前、あいつを切り捨てたいのか?」
「ん?」
予想外のことを聞いた、というような驚いた顔で召喚士はナイトを見た。
「マキちゃんがそんなこと言うとはね。僕らの中で一番に彼を切り捨てるのはマキちゃんだと思ったけど」
「……やめたいって言うやつだけだ、切り捨ててるのは」
ミコッテがきょとんとした顔を見せて、すぐに笑う。
「あ。自覚はあったんだ。はは、それでどうする? さっきも言ったけれど、相当重症だよ」
「今あいつは?」
「アンカーヘッドだよ。この時間だと夕陽かな」
「…………」
彫りの浅いすっきりとした顔立ちの眉根を寄せて、マキは踵を返した。
あの夕陽の色、それはあの戦士の脳裏にひどくつよく焼き付いただろう。
(そんなのは俺だって同じだ)
魚商「ハイアライン」の階段を上がりながら、マキは苛立ちを足元にぶつけた。
かの戦士に同行してイシュガルド教皇庁へ向かった時はサブ職の竜騎士になっていたが、マキにとってもタンクの矜持をひどく傷つけられた一見だった。
手の届く範囲だったというのに、目の前の戦士もあのフォルタン家の騎士も守ってやれなかった。タンク、それもナイトのこの俺が。
ハイアラインを出てしばらく進むと、夕焼けの色が視界に飛び込んできた。ゆるやかな坂を上がり、アンカーヘッドに出る。水場とその真ん中に彫像が見えた。
リムサロミンサの絶景ポイントだ。
「……海に落ちるぞ」
彫像の裏をのぞき込むと、柵もない縁に戦士が腰掛けていた。声に気付いた姿が振り返る。
短い茶髪が海風に揺れる。普段は溌剌として元気だというのに、すっかり心労が彼の顔に陰を落としていた。
「マキさん」
「突き落としてやろうか」
「やめてくださいよ」
困った顔で笑った戦士に、「冗談だ」と仏頂面でマキは返答した。
「原初の魂が使えないって聞いたぞ」
「あ……はは。もう情けないったら」
困り顔で笑っていた戦士が、やがて所在なさげに視線を彷徨わせる。
「ほんと……情けないですよね。戦士がラース溜まらないとか、原初使えないとか。ヒューリさんに大笑いされちゃいました」
「原因はわかってるのか。あいつの仇はしっかり取ったろ」
問いかけに、戦士は黙った。この顔はわかっている顔だ。
困った笑みを崩せないまま、戦士は視線をラノシアの海へと戻した。
「何だかもう良く分からなくなっちゃって。トールダン七世も蒼天騎士たちも、自分の民のために……平和のためにあの道を選んでしまっただけで、間違ってはいなかったと思うんです。守ろうとしただけで」
「平和を盾に蛮神を選んだ奴らだぞ。それにお前が慕ってたオルシュファンだって、殺したのはゼフィランだろうが!」
思わず語調を強めたマキに、戦士は驚いたような顔をしたが、すぐに元の困ったような笑顔に戻った。
「マキさん優しいですよね。わかっているのに、俺は……」
俯いた戦士が黙り込んだ。眉根を寄せて、マキはその様子をしばらく見ていた。
「ね。ダメだったでしょ」
ミコッテの召喚士、ヒューリが戻ってきたマキにそう言った。
それに答えず、マキは何かを強く決したような表情でヒューリを見据えた。あまりに真剣な目つきに、ヒューリも少し構える。
「お、おお? 何、どしたの」
「アルテマウェポンを覚えてるか」
「え、あぁ。もちろん。詩人さんが拡大解釈しちゃったおかげで、ずいぶん強くなったアルテマウェポンくんでしょ。けっこう通ったよねえ」
「あれはお前があることないこと、話を盛るからだろうが。まぁいい、ちょっと一緒にモードゥナまで来てくれ」
「え、なに、デート? ルカちゃんについにフラれた?」
ルカというのが件の戦士の名だ。いちいち取り合っていては話にならないので、マキはさらりとその発言を流す。そんな関係じゃない。真面目な話だ。
「お前のその虚言癖に近い軽口が必要だ」
「へぇ」
にぃ、とヒューリが八重歯を見せる。面白そうだと顔中でヒューリは語っている。
「何を企んでるの、マキちゃん」
「戦士の荒療治は戦闘以外ないだろう。大事な奴を守れなかった自分に甘えてるんだ、あいつは。その上、オルシュファンを殺した奴らに肩入れして原初の魂が震えないだと。それならもう一度あの戦いをやり直す」
「ナイツ・オブ・ラウンドをもう一回か」
テーブルに投げ出した膝の上に乗っている、開いたままの本を勢いよく閉じたヒューリが、
「乗った」
と悪い笑みを浮かべていた。