かいこう【邂逅】

思いがけなく会うこと。めぐりあい。

「なんとか言えよ!!」
 怒号。それから吹き飛んだカップが地面に跳ねる音。
 木製のカップは割れることこそなかったが、中身のエールらしい液体を床にぶちまけて転がった。
(あーあ、もったいない)
 視線を少し先の床に向ける。レッドルースター農場で作られるリムサ・ロミンサのエールは格別のうまさだ。霊災で多くの麦畑を失ったが、培った技術は失われていない。ミコッテの手元にあるワインもそんなリムサ・ロミンサで作られたワインである。味わい深く申し分ない。
 視線を怒号の主に向ける。相手は黒魔道士だった。その向かいにナイトらしい男が座っている。神話装備と呼ばれる青と白の鎧は多少の体格差を容易に隠してしまうが、まあ恐らくは男。ヒューラン、それも背丈からしてミッドランダーだろう。
 対して、同じミッドランダーらしい黒魔道士はまくし立てていた。
「話が違うじゃねえか! あんな相手だと知ってりゃ……!」
「知ってたら、なんだっていうんだ?」
「ああ!?」
 ナイトの声音はやはり男だった。黒魔道士の青年に、落ち着いた声音で話した。
「まだ二層だ。知らない相手なんてごまんと出る。この程度で吠えられても困る」
「ぐっ……」
 この程度、がよほど黒魔道士のプライドを傷つけたらしい。一瞬にして黒ずくめのローブ姿は黙った。
「それで」
 エールを片付けはじめた給仕の女に手振りで詫びたナイトは、黒魔道士を見てもいなかった。
「どうするんだ? ルノーの相手が出来ないなら抜けてもらうしかないが」
 マスク越しでも解る黒魔道士の不機嫌さ。やがてローブの下から何かを取り出して、バンと叩きつけた。
「せいぜい上手くやれよ! 冷血クソ野郎!」
 足音荒く、吐き捨てた黒魔道士はバーを去っていく。一部始終を見ていたミコッテは、ふらっと立ち上がった。ナイトに視線を釘付けになったまま、歩み寄ろうとするのを同席していた冒険者が引き止めた。
「おい、聞いてんのかヒューリ! なあ頼むよ、うちに来てくれたら薬とか優先的に売るからさあ、な?」
 猫なで声を使い分ける冒険者が伸ばそうとする手を振り払い、ヒューリと呼ばれたミコッテは件のナイトのテーブルへ歩を進めた。
「ねえ、ナイトさん」
 声を掛けると、ナイトが振り返った。想像よりずっと平べったい顔つきをしていた。東洋人か、とヒューリは思い至る。黒髪を後ろで一つに括っていた。
 己が優男だのなんだのと周囲に言われているのは知っている。笑顔を作れば警戒を解きやすいのも。だからにっこりと笑って話しかけた。
「突然ごめんね。今さっき話してたこと、聞いていたんだけどさ。バインディングコイルに挑んでるの?」
「そうだが?」
 嘆息したナイトが、給仕の運んできた新しいエールに口をつけた。出した懐からチップをテーブルに置くと、給仕はそそくさとそれを取って去っていく。
 ミコッテが出した名はバハムートを戒めている拘束艦に続く道を意味している。第七霊災で現れたバハムートが、拘束艦の中で再生を待っているというのが冒険者たちの間に広がる噂だった。
「見たところ、同じパーティの黒魔さんとは仲違いしてしまったようだけど?」
「そうだな」
「ここに一人、優秀な召喚士がいるんだけど、その腕前を試してみたくない?」
「優秀だとどうしてわかる?」
 ナイトが何の気もなしに問うと、ヒューリは手袋を外して手の甲をナイトに翳してみせる。
 赤い石のついた指輪が光っていた。ナイトは少し驚いたように目を見開いて、すぐに澄ました態度に戻す。
「なるほど」
「何ならダイブボムの安置だって的確に示せるよ」
「だろうな。服を見ればわかる」
 ナイトの琥珀色の目が、ヒューリのアラガンキャスターチュニックを一瞥した。
「問題はルノーだ。俺は黒にだってあいつを何とかできると思ったんだが」
 少しだけ寂しそうな目でナイトは呟く。金色の目を瞬かせて、「うん」とヒューリは肯定した。黒魔道士にもその手のスキルはあるが、召喚士のそれほど楽ではないのも事実だ。召喚士を名乗ったミコッテは首を傾げる。
「不可能ではないと思うよ。召喚にやらせることでさっき抜けた黒さんに文句言われそうなら、黒魔に着替えてくるけど」
「いや、いい。それはそれで傷つくプライドもあるだろう。そんな理由で着替えてもらうのもどうかと思うしな」
 つまり組もうと言っているのだ。このナイトは。
 それに気づいてパッとヒューリは笑った。
「それじゃ」
 ナイトがテーブル上に置かれたままだったリンクパールを取る。それを差し出しされてヒューリは素直に受け取った。
 ナイトがふと、白銀のガントレットをつけた手を上げた。
「一つ。いいか」
「なに?」
「なぜバハへ行く?」
「んん……」
 少し考え、ヒューリは腕を組む。
「色々あるけど……一言で言うと興味かな」
「バハムートへの?」
「すべてさ」
 に、と笑うヒューリの口元から、ムーンキーパーの特徴である鋭い犬歯が見えた。
「月の衛星が実はアラグの人工物でした! それだけでも胸躍るものがあるし、しかもそいつがバハムートを封じてた……って噂でしょ。もちろん召喚士としては蛮神と戦うのはエーテルに刻まれた使命って感じだし?」
 嘘なのか本当なのか、いまいち掴みどころがないおどけた話し方。
 一転、「それに」と少し真面目な声でヒューリは一息置き、唇を開く。
「宇宙がね、好きなんだ。月に打ち上げてそこから落ちてきたシロモノに触れるのは楽しいよ」
「……ある意味、一番説得力があるな」
 ナイトは向かいの席を勧め、給仕を呼んだ。
「好きなものを頼めよ。奢りだ」
「へえ! 太っ腹だ」
 喜んでヒューリは給仕にナイトと同じエールを注文した。ちらりとさっきまで座っていたテーブルを見るが、誰もいなければ飲んでいたワインも片されている。ほとんど空だったから構わないと言えばそうなのだが。
 同じテーブルでヒューリを勧誘していた冒険者たちはいつの間にか去っていたようだった。
「そうだ、きみ、名前は?」
 東洋人のナイトは静かに答える。
「マキ」
「可愛い。マキちゃんね。僕は」
「ヒューリ」
 名乗るより先にマキが言った。おや、とヒューリは目を瞬かせる。
「アンタの同行者が大きな声でそう言っていたからな」
「わあ。聞いてたの?」
 関心したように呟くが、マキは笑顔も見せない。こういう男なのだろう。
 やがて運ばれてきたエールを手に取り、乾杯の形を取ろうとグラスを上げた。乗ってきそうな愛想のある男ではなさそうだとヒューリは思っていたが、意外にもマキは同じ形を取った。
 コン、と木製のジョッキが鈍く小さく触れ合う音を立てた。