「俺……」
エレゼン黒魔道士は目元を片手で抑えて呟いた。
目の前にある不可思議な光景が、達観めいた声音を作り出した。
「これは夢だと思います」
ぐりぐりと目頭の辺りを押して、吐息を吐く。
そうして抑えていた手を下ろすと、爽やかな薄緑の目で改めて現状を見遣る。
空は青くない。どちらかと言えば夜空に近い。
太陽は見えないし、どんよりとした黒と紫の星空が広がっているが、その星々が近くにあるせいで星明りが強い。
そして土地はよく見知ったエオルゼアの土地でもなければ、惑星ハイデリンでもない。
全く馴染みのない未知の惑星。ウルティマ・トゥーレ。
「たぶん、寝際に聞いた噂話が耳に残っていたせいですよ。これ。荒唐無稽すぎる」
「まあ僕もそうだと思うよ」
少し前を進む白い髪のミコッテはそう返事した。
魔導書を腰から提げている召喚士である。今日、黒魔道士のルナが共に依頼を片付けた相手だ。生真面目なルナとは真逆で、飄々としている態度と人好きのする笑顔の下に、食えない人間性を併せ持っている。
星明りと、少し向こうに見える人工物の灯り。それから連れているイフリート・エギが彼をぼんやりと照らしていた。白い髪と耳がそんな景色から浮き出ているようだった。
「その夢に、僕を連れてきてくれるなんて、嬉しいじゃない」
「今日一日一緒でしたしね」
「それにしても、星が近いなあ」
見上げた召喚士、ヒューリはそう言って金色の目を細めた。
「夢でも宇宙に来れるのは嬉しいね」
普段茶化した口調のヒューリが、ほんの少しだけ本音のようなニュアンスで話すものだから、ルナは少し気になって問いかけた。
「宇宙が好きなんでしたっけ?」
「そそ。だってほら、宇宙はアラグの夢でもあったし。ヌーメノンにもその手の書物がいくつかあるんだけれど、こればっかは自分で行けるものじゃないからさ」
「確かに?」
ルナにはそう返答する他なかった。宇宙なんてあまりにも壮大すぎて、星に想いを馳せることもほとんどしたことがない。そもそもがルナはシェーダー族であり、多くのシェーダー族がそうであるように、洞窟暮らしを常とする種族であるせいかも知れない。
土の上をさくさくとヒューリは歩いていく。特に目的があるという風でもなく、ただただこの星を歩くことを楽しんでいるように思える。
「あ」
不意にヒューリが声を挙げた。
ととと、と速足で進んでいくので、ルナは慌ててその後を追う。彼の視線の先にいる、白い何かを視認した。
黒魔道士はもちろん、召喚士の背丈よりずっと小さい。つるつるとした表面はゆるい曲線を描いている。そして頭に光輪を持っている。そんな何かだ。
「やあ。ここの人?」
躊躇いも何もなく、ヒューリは何かに声を掛けた。くるりと振り返った何かには、目らしい輝きがある。
この土地の住人らしい何かは、点灯する灯りのような目でしばらく二人を見ていた。これも耳にした噂話の中にあった、イーアという種族に違いない。
滅び、再現された種族がいるという噂話自体が突拍子もなさすぎて、全く不可解だと思っていたが、夢というものはそんな噂話を律儀に再現する柔軟性があるらしい。
そして佇むイーア族は言葉を発した。
「……これは驚いた。まさかまた肉体のある生命体が訪れるとは」
「また?」
「終わりを待つだけの時間も無為ではないと……。なるほど」
「あの?」
二人の問いかけにもマイペースな態度で応じなかったイーアだが、ややあって二人のキャスターへ尋ねた。
「サンプルを取るにふさわしい。やはりサンプルは数を揃えねばな」
「はあ?」
ルナが首をかしげているのも構わず、イーアが「問い」を発した。
「問おう。生命とは、宇宙とは何ぞや?」
「生命、宇宙……?」
ルナは素直に考え込んだ。
それらは一緒にしてもよいものなのかどうか? 単純にこの宇宙を見上げただけでは、恐怖感がなくもない。
だが、宇宙のみならず生命とくると、また話は違う。
(あ、そうか)
ふと、ルナは思い至った。
命も、宇宙も、それから様々な知識も学問も、まだまだ未知のものだ。これからきっと生涯をかけて探索して、歩んでいくものに違いない。
「冒険すべき世界……ですかね」
ゆっくり、少しだけ手探りするように答えると、「そうか」とイーアが呟く。
「君にもまた、探索すべき未知が残っているのだな。まだそんな生命体が幾人もいる……羨ましいことだ。同時に素晴らしい」
そのイーアの言葉には、様々な感情が観て取れた。しかしルナがその全てを感じ取るには、時間があまりにも足りない。そんな気もした。
「して、もう一人は?」
声を掛けてから黙っていたヒューリに、イーアが尋ねる。金色の目をぱちくりさせたヒューリは、うすらと笑って自信満々に言った。
「42」
一瞬、ヒューリが何を言っているのかわからなかった。
あまりにも簡素で意味のわからない答えだと思った。
しかしそれを聞いた途端、イーアはぶるりと震えて、
「おお! それこそ、生命・宇宙・そして万物についての究極の疑問の答え! 究極の真理!」
どういう身体をしているのか分からないが、頭と思しき部分がぽこんと風船のように分離して、ルナは「ぎゃっ」と声を挙げてしまった。
突然感極まってしまったイーアを後目に、「行こ」とヒューリがルナの手を引く。衝撃的な絵面も相まって、何度も頷いたルナがヒューリと共にそそくさと逃げだした。
しばらく土の上を歩いて、星の海を映した湖の辺りまでやってくると、ルナは問いかけた。
「ヒューリくん、なぜ42なんです?」
「んー?」
「さっきの……究極の答えがどうとか……」
「ああ。33か42で悩んだけど」
「んん……?」
まだ話が見えず、ルナは首を傾げる。
「巴術師のルーツって知ってるよね?」
「算術でしたっけ」
「そそ。算術界では33と42はいわくつきの数字でね。でも33については違うなって小話を耳にしたことがあったから」
「どういうことです?」
「説明すると長くなるから、今度資料あげる」
「ええ……?」
「まあでも、万物の真理なんて滑稽だし思いあがったものだと思うよ」
何てこともなさそうに、ヒューリは言って傍にいるイフリート・エギをつついた。
「真理を得るなんて、自分で死期を早めるみたいなものじゃない? 実際彼らはそうなったみたいだし。まあ彼らがどうしようが僕の知ったことじゃないけれど、少なくとも一つの星の表面に張り付いている僕らくらいのものなら、未知も残すくらいでちょうどいいよ」
「何か……怒ってます?」
「いいや、ぜんぜん?」
はは、と召喚士は笑った。知識欲に関しては、ヒューリもルナと同じかそれ以上の強さがあるはずだ。
(だから、なのかな……)
親近感と、それに伴う悲観を少しだけルナは感じたが、ヒューリはそこな嫌悪を感じたのかもしれない。
「まあ……面白い終わりではあるかな。ああいう生命の葛藤している感じは好みだよ」
「本当に?」
「本当本当」
くるくる回って、おどけて見せたヒューリが、湖の端でよろめいた。
「あ」
「えっ」
「あー」
「わーー!?」
呑気な声を出しながら湖に落ちていくヒューリを、追いかけるようにルナは湖に飛び込んだ。
かくん、と身体が震えた。
「は」
カウチで横になっていたルナは、はっとして辺りを見た。
自分の家だ。いつもの本棚に囲まれたカウチである。
「あ、起きた?」
片手にいくつかの本と、マグカップを持ったヒューリが戸口に立っていた。少し髪がぼさぼさになっていて、彼もまた寝起きであることが見て取れた。
そういえば昨晩の依頼の後、いくらか語り合って、あの記述がどうだとかあの噂がどうだとか、議論を繰り返したのだった。
「コーヒー飲む?」
「ああ、はい……すみません」
「じゃこっち飲んでて」
カウチの横にあるテーブルに、ヒューリは手にしているマグカップを置いた。シャーレアン製の陶器のマグに黒い液体が揺らめいている。その横に本を置いて、
「あとこれ。例のやつ」
「例のやつ……?」
寝ぼけ声でルナが聞き返す。ヒューリが耳を揺らして、笑顔を作った。
「資料、渡すって言ったでしょ? いい夢だったね」
「え」
驚いて目を瞬かせていると、ヒューリはさっとウインクをして背を向けた。