吹雪の寒さで尻尾が震えあがった。
重い体を引きずって――文字通り引きずっているのは自分の身体ではなく、ヒューラン族の青年だが――クルザスの雪にまみれた岩肌を踏みしめた。
巨石の丘にほど近い洞窟の出入り口である。年中雪に覆われるクルザスだが、洞窟の内部はじっとりと湿っている。黄金色の洞窟として名高いオーラムヴェイルという場所だ。
もっとも、その黄金色は金銀財宝のそれではなく、身体を蝕む有毒ガスが正体だ。
「あー……空気おいしい」
皮肉たっぷりにミコッテ族の召喚士が言った。毒沼の発するガスで鼻が完全におかしくなっている。加えてこの寒さを受けて、空気を楽しむ感覚が麻痺していた。
召喚士の後ろから、タイタン・エギがやはり人を一人背負って浮かんでいる。岩でできた両手がその人物を支えていた。背中に黒魔道士の杖が見える。
「ルナくん、大丈夫?」
タイタン・エギに背負われているエレゼン族の青年が呻いた。真っ青な顔をして、かなり気分が悪そうだった。普段は余裕そうな顔をしている召喚士も、さすがに眉根を寄せている。
(実を食わせたから死んだりはしないと思うけど……)
黒魔導士の青年がモルボルの触手にひっぱたかれて毒沼に突っ込み、黄金色の植物が噴出するガスをたっぷり浴びた様を思い出す。それがつい数十分前のことだ。
同じくオーラムヴェイルに自生している怪樹の実には、それらの毒素を中和する効能が認められている。とはいえ、毒素という霊属性に強く傾いた身体はすぐに回復しない。そしてこの強い氷エーテル――吹雪は堪えるだろう。
二人を抱えて最寄りの街にどうやって戻ろうか、考えるだけで気が重い。召喚士が背負っている青年は完全に意識をなくしているから、もはや実を食わせるどころではない。こっちはこっちで悠長にしていられない容体だ。
(ここから最寄りといえばアドネール占星台だけど、途中でクルザス川があるのがネックだな。かといって次に近いのはモードゥナだし……。南下して七谺越えてからも結構歩くんだよね)
悩んでいたころ、吹雪の音に紛れて大きな足音が聞こえてくる。人のものではなく、複数のチョコボであると察した召喚士が、背中の青年を下ろして吹雪の中に飛びこんでいった。
「おーーーーい!! そこのキャリッジ止まって!!」
吹雪から現れたチョコボが大きく鳴いた。手綱を引いた御者が顔を出す。
「おいおい、冒険者か!? こんな吹雪で何してる!」
ハイランダーの男が呆れ半分の顔で言った。召喚士は肩をすくめた。そしてすぐに真剣な顔を見せた。
「冒険者仲間が二人、オーラムで倒れたんだ。すぐ休ませないと。頼むよ、街まで乗せてほしい」
「ぬう……対価は?」
人助けと商売の間で揺れる壮年のハイランダーが尋ねた。
「運賃を相場の三倍。それから着くまで暖かさをご提供」
召喚士が腰に下げている魔術書を軽く叩く。察したハイランダーがそれを見て言った。
「術士か、アンタ。よし、アドネールまでなら乗せてやる」
「恩に着るよ」
召喚士はすぐに二人をキャリッジに乗せるべく、オーラムの入り口まで駆け戻った。
ふんわりと意識が戻ってきて、黒魔道士のルナが目を覚ますと暖かい一室の中だった。お世辞にも広いとは言えない室内ではあったが、暖炉がパチパチと爆ぜて十二分な暖気を作り出している。
無骨な石造りの壁は、オーラムヴェイルがあるクルザス様式の建物であると容易に察した。
(ヒューリくんは……)
辺りを見渡すまでもない室内で、彼がいないことを知る。あの召喚士のミコッテ族はマイペースな青年だ。知り合いを見捨てるような男ではないものの、安全圏に入れたら「あとは自分でやって」とどこかへ雲隠れするタイプである。
おおかた、今回も既に姿を消したのだろう。
(彼らしいな)
独り言ちて納得したルナは、オーラムヴェイルの景色を思い出して身震いする。腕試しとしてオーラムヴェイルに入った冒険者のパーティが戻ってこないと、双蛇党に飛び込んできた依頼があったことも思い出した。
元々、ルナとヒューリは双蛇党で別の依頼を受けていた。つつがなく終わった討伐任務の報告に立ち寄った詰所で、すぐに受けた緊急依頼だった。冒険者のパーティは双蛇党に属する者たちだったからだ。
オーラムヴェイルはイシュガルドにあるが、立地としてはグリダニアからすぐ近い隣国だ。冒険者たちが無理に入り込んだというのに、イシュガルドの兵が入り口付近を捜索に向かってくれたそうで、その際に何名か負傷したらしい。
双蛇党は――いや、グリダニアは直ぐに人員を出したかったのだ。こういう時、同じ冒険者は早馬代わりにされる。
(実際、着いたのは早かったんだけどなあ……)
モルボルが次々孵化する奥地で、冒険者パーティのうち三人がすでに養分にされていた。息がある一人だけを連れて撤退する際に、モルボルに叩かれたところまでを思い出して、ルナは頭を抱えてため息をついた。
その頭が重いし、熱っぽい。ヒューリが怪樹の実を口に押し込んできたところまでは覚えているので、瘴気と毒気はマシになっているはずだ。となるとこれは、弱った身体につけ込んできた単なる風邪だろう。口の中でまだ怪樹の実のえぐみや苦み、ついでに臭みがまだ残っているのが最悪だが、生きてベッドにいられることは最高に幸運だ。
(風邪なら寝てれば治るな。よし)
無理やりそう自分を納得させて、ルナはシーツを頭まで被った。この口内の不快感なんとかしたいが、歩き回る気力なんてない。とにかく寝ていればいい。
すぐに眠気に支配されつつあった時、扉が開く音がした。
(ここの人かな……お礼とお詫び言わなきゃ)
そう思ったのに、部屋の入口から顔を覗かせていたのは、ヒューリだった。
被ったシーツを除けて、ルナは目を大きく開いた。
「ヒューリくん……?」
「あ、起きた? 身体の具合どう?」
無遠慮に近づく召喚士の青年が、ベッドの横からルナを見下ろす。いつもきっちり身に着けている黒い手袋はしておらず、素手でぺたりと黒魔道士の額へ触れた。
冷たい手だった。どことなく水分もある。雪かきでも手伝ってきたのだろうか?
「まだ熱あるなあ。やっぱ風邪だね」
「やっぱり……? ちょっと寒いかも」
「仕方ないよ。代わりに朗報があるよ。ルナくんが身を挺して守った弓術士のミッドランダーくんは大きな外傷はなし。衰弱してるから、しばらくベッドに釘付けだろうけどね」
それは朗報だ。ルナは素直に喜んでほっとした顔を見せた。身体を張った甲斐もある。
ぺた、とヒューリの手が今度は頬に触れた。冷たくて気持ちいいが、彼にしては妙に優しい。
すこしドキドキして、照れ隠しをしたい唇が言葉を滑らせる。
「てっきり、安全圏まで運べたから、どこか行っちゃったかと思いました」
「僕のことなんだと思ってるの?」
「何って……まあ……ヒューリくんとしか……」
ため息をついたミコッテの青年が腰に両手をやる。呆れた様子で「まあいいけど」と唸った。
「起きたならご飯持ってくるよ。早く回復したかったらちゃんと食べてね」
「はい」
これ以上機嫌を損ねないように、ルナはすぐにそう返事をした。「よし」と満足げになったヒューリが部屋から出て行く。
ヒューリがまともに料理を作るところを見た事がない。気まぐれを絵に描いた彼が、自分で調理するとは思えないので、家主に食事まで作ってもらったのだろうか。
(ほんと、後でちゃんとお礼しないと……)
そう思っているとすぐに足音が帰ってきた。ドアノブが回る音がして扉が開くと、シナモンの香りがした。そこに紛れるようにして、ほの甘いミルクの香りもある。
「おまたせ~」
木製のトレイに深皿を乗せて、ヒューリがサイドテーブルにそれらを置く。
「起きられる?」
「大丈夫」
けだるい身体を起こしたルナの膝に、ヒューリがトレイを置いた。サラダボウルくらいの大きさである木の食器に、湯気が立つミルクが入っている。その中にミルクでふやけたパンが拳一個分くらいは入っていた。見たところ、蜂蜜らしき金色がかけられている。小鉢の中にはリンゴのコンポートにシナモンを加えたものが入っていた。
「これはパン……?」
「まあ食べられる分だけ食べてよ」
「う、うん」
やはり木製のスプーンを手に取って、もこもこに膨らんでいるパンをつついてみる。柔らかく、すぐに砕けたそれを掬って口元に運ぶと、やさしいミルクの味わいが温かかった。
「あ、おいしい」
「でしょ~」
部屋の椅子を拝借したヒューリがベッド横に腰かけて、背もたれに身体を預けながら脚を組んだ。
「味に飽きたら、そっちのリンゴを入れて食べてね」
そう言われて気になったルナは、ガラス小鉢の中身をパン粥へ入れた。蜂蜜よりもはっきりとした甘さは、しかし爽やかな酸味が心地よい。そして何より、食欲を増すシナモンの香り。すっかり怪樹の実の不快感が消えている。
食べているうちに、ほかほかと暖かくなってくる。ゆっくりしたペースだが、完食したルナは自然と笑んでいた。
「美味しかった。ヒューリくんも食べたの?」
「ん? ううん。まあルナくんが食べなかったら食べようかなってくらい」
「ああ、そうなんだ」
「作るのだいぶ久しぶりだったけど、間違えようがないレシピだから美味しかったでしょ」
「そりゃもう……え?」
脚を組み直しながら言ったヒューリに、ルナは緑色の目を瞬かせた。
「ヒューリくんが作ったの? ヒューリくんが?」
「また失礼なこと考えてたでしょ」
じっとりとした目を向けるヒューリに、ルナは視線を逸らす。
「だって滅多に料理なんて」
「そりゃそんなめんどくさいこと、普段はしないけどね~。ここ宿ないからさ」
「そういえばここって」
「アドネール」
地名を聞いて、「ああ」とルナは納得した。占星台を中心とした小さい拠点で、大っぴらな宿泊施設はない。事情を話してベッドでも借りたのだろう。
確かにこの召喚士は気まぐれだ。見た感じは軽薄で、最低限の仕事だけして姿を消すのも彼らしいが、気まぐれだろうと優しさを零すところも、やはり彼らしくあるかもしれない。
それが善意と優しさだけで構成されているわけではない。ヒューリのそんなところがルナは好ましく思っているのもかもしれない。
「あ、え、えーと。よければレシピを教えてよ。ヒューリくんが風邪ひいた時に作るよ。なんていう料理?」
話題を変えようとルナが言う。ヒューリはまだ少しだけ疑わしい目をしていたが、少し吐息をついて普段どおりの様子で答えた。
「ミルクパン粥っていう離乳食」
「りにゅっ……」
「――とか、胃腸弱ってる人とか、風邪っぴきが食べるやつ」
赤ちゃん扱いされたのかと思った、というルナの表情を察して、ヒューリがにやっと笑った。
「レシピはね~」
そして、機嫌を取り戻した召喚士は話をつづけたのだった。
おまけ
◇みるくぱん粥レシピ◇
□材料(二人分)
・食パン(6枚切)……1枚
・牛乳……1カップ(200ml)
・蜂蜜……小さじ2
・好みのジャム……適量
□作り方
1) 食パンの耳を切り落とす
2) 鍋に牛乳を入れて、食パンを6つ分くらいになるように千切って浸す
3) 火をつけて弱火で少し煮たら、器によそって蜂蜜をかける
4) 好みでジャム等を入れて食す。後述のコンポートりんごを入れてもよい
◇かんたんなコンポートりんごレシピ◇
□材料(二人分)
・りんご)……1個
・砂糖……15g
・レモン汁(なくてもいい)……適量
・シナモン(なくてもいい)……適量
□作り方
1) りんごの皮と種を取り除いて8等分に切り、さらに1cmくらいの厚さになるように切る
2) 耐熱ボウルにりんごと砂糖、レモン汁を入れて、ふんわりめにラップをかけ、500w5分で加熱する
3) 軽くかき混ぜて、りんごが固そうなら追加で同じ時間加熱する
4) 加熱してでてきたシロップと絡めるように混ぜて汁を捨て、シナモンを振って完成