KEI "EDGE" NAGASE, NOV 18 2010


 ガシャ! と勢いよくカーテンを開ける音がした。
 驚いて見やれば、よく見知った赤い髪と青い目をした男。はあ、と大きく息をつく音までよく聞こえた。
 彼の吐いた吐息で、彼が走ってきたのだということは容易に想像がついた。
 基地内の医務室という場所柄、傍にいる医師に睨まれてしまうかとも思ったがそんなことはなかった。寧ろ気を利かせたのか、医師は「私は少し席を外しますね」と医務室を出て行った。取り残されたナガセは、暫く沈黙していたが、やがて口を開いた。
「……ブレイズ」
 声を掛ければ、彼が肩を下ろす。滅多に見ない、彼のどこか焦っていた顔がいつもの彼のものに戻る。彼にそんな顔をさせる位には、仲間だと思われているということだろうか。
「状態は?」
「もう大丈夫よ」
 今でこそそう言える。だが凍土で撃墜された時は、ベイルアウトして生き残ったとは言え心細い気持ちになったものだ。自らを「大丈夫」と励まし続けてはいたが、そうしなければ心が折れそうだった。
 機影が見えた時、どんなに心強かったことだろう。爆音と、空を見上げれば枝の間から見える機影。それがどれほどの励ましになったことか。彼女を捕えるために現れた敵兵を逆に捕えたことを、医師も他の者も半端放心としながら感嘆としたものだが、それは自分の強さ以上に、仲間らの存在のお陰だと何度も噛みしめた。
「ありがとうブレイズ。来てくれて」
「命令だったから」
 そっけない返事、逸らされる目。だが目を逸らす時は心とは別にことを話している時の、彼の癖だ。恐らく彼はそれに気づいてはいない。そういうところは分かりやすいよな、とチョッパーが言っていた時、くすりと笑ったのが記憶に新しかった。
「逃げている時にこう、思っていたの。私はあなたを守っているつもりで、守られている」
「……」
 目蓋を少し下ろして目を細めたブレイズが、くるりと背を向けてドアに手を掛けた。気を悪くしたのだろうか?
「ブレイズ」
「守るとか……」
 もう一度だけ名を呼べば、そう彼が口にした。ため息をひとつついて、
「守られるとか。そんなもの」
 続きを言いたげだった彼の手が、言葉にし難いのか前髪を苛立たしげに掻きあげた。さらりと落ちる赤い髪が見える。
「……じゃあな」
 結局言葉にならなかったらしく、扉を開けて出ていく彼の背を見送った。
 そう。分かっている。彼は―――。



DARYL "BLAZE" RODINA, NOV 18 2010


 守る? 守られる?
 そんなことはどうだって良かった。守るか守られるかに縛られるのも嫌だった。
 だが、彼女が思うことに丸きり興味がない訳ではなかった。本当は、「生きていただけで嬉しい」とか「仲間を助けれて良かった」とか、柄ではないがそう素直に言うことも出来たはずだ。
(何をしているんだ、俺は)
 自問せざるを得ない。複雑な感情が混じりあい、もどかしさで一杯になる。
 ひねくれた生き方を続けてしまったせいか、素直な言葉もわからなくなっていく。自分自身の心を誤魔化し続けた結果か。

 ―――君はもっと素直になった方がいい。

 ハミルトン大尉のいつもの言葉が、唐突に記憶の中から浮かんでくる。
 いつのまにか、階級が彼と同じ大尉となった。それでも彼は未だ高嶺の花のような存在に映る。
 自分のそれが、世間で言う「甘えている」状態には見えなくても、心の一部だけでも許しているのは彼くらいのはずだ。
 これまで、彼に呼ばれるまで私室や執務室を訪ねたことはない。
 あくまで上官に呼ばれたから訪ねていただけだからだと。脆弱で薄っぺらな建前ではあるが、それを崩せば地位立場を忘れて彼に心のすべてを預けてしまいそうな、そんな気がして出来なかった。
(なんてことはないじゃないか……。俺は、あの人への気持ちを抑えられなくなるのが怖いだけだ)
 それだけじゃない。そうなった自分すらも想像するだけで怖かったのだ。
(けれど、今は……)
 パイロットスーツのまま廊下を進み、足を止める。辿り着いた目的地は自分の使っている部屋ではなかった。
 ハミルトン大尉の執務室を前に、かかっているプレートと扉を見上げた。
 呼ばれる前に訪ねれば、あの人はどんな顔をするだろう。怒るだろうか。
(いいや。今までの経験から、恐らく彼は喜ぶだろう)
 そうして、彼との間にあるベールが一枚剥がれるのだ。そんなことをほんの少し繰り返すだけで、彼ともっと深い関係になれるだろう。そして少し前ならば、身体でも心でも全部が全部、彼に捧げても良い気すらしていた。ただ変わりゆく自分に怯え、背中を押す決定打がなかっただけだ。
 今なら認めざるを得ない。彼にそこまで惹かれていた、ことを。
 ひと呼吸、ゆっくり息を吐いて吸って、また吐く。それから拳を作って扉をノックした。ノックの音は思いのほか控えめになってしまったが、
「どうぞ」
 と返事が確かにあった。
 扉を開け、奥に座っているハミルトン大尉を見遣る。彼は少し驚いたが、それもほんの少しの間だった。言葉のとおり微笑んで見せた。
「珍しいこともあるものだ」
「……すみません」
 答えながら、心の中でのみブレイズはため息をついた。
 こんなに、変わってしまうものなのか。まだ何一つ、確信していないというのに。
「丁度、この報告書がまとまったところだ。おいで」
 言われるまま、扉を閉めて鍵を掛ける。少し前までは、この鍵を掛ける瞬間が一番緊張したものだ。
 ああ、けれど。今は。

 とうとう、この日はハミルトン大尉に聞くことができなかった。
 8492とは、何なのですか? と。








透明な嘘、濁った嘘
Are you really there?