DARYL "BLAZE" RODINA, DEC 30 2010


 正直なところ、言葉にできるほど好きも嫌いも、自分の中にはないのかもしれない。
 ただ、手の中で微かに鳴る鈴の音だけが、痛みを突きつけていた。

<<歌は嫌い?>>
 機嫌が良いのか、かすかな笑声でナガセがそう尋ねてきた。
 暗い空だが、辺りに満ちる歌声は明るい。無線を通じて流れてくる歌は一度聞いたことがある。あの、スタジアムの上空でだ。
 思い出して陰鬱かと言われれば、そうでもなかった。これまで刃を向け合う関係だったオーシア・ユークの両軍がまさに手を取り合った証明の歌だ。
<<嫌いじゃない。俺は歌えないけど>>
<<隊長、けっこう良い声ですよ>>
 すかさずグリムが乗ってくるのに内心苦笑する。そんな中、また新たな無線が入った。
<<君たちの接近を感知したグランダー社は、オーシア・ユークトバニア両国の好戦派の軍人たちに助けを求めた。見返りに三発目の小型戦術核V1を、助けてくれた側の陣営に渡すといってね。より強力なV2のことは隠したままだよ>>
 おやっさんの声だ。
<<いいか、彼らは戦闘機すら繰り出して来るぞ>>
<<怖いのは戦闘機そのものより、中身だな>>
 ブレイズは誰ともなく呟いたが、返答はない。誰も聞こえなかったのだろう。そのことに呟いてからほっとした。
 そうだ、中身が怖い。
 撃つことには慣れたはずなのに。
 目標地点に到達すると、レーダーには大量のターゲットが示されていた。具の多すぎるカレーかシチューのようだ。
<<対空兵器が見えるな>>
<<隊長、あれをやらないと――>>
 グリムの声をかき消すかのようにアラームが響いた。咄嗟にグリムの名を呼べば、近くにいたアーチャー機がすぐさまこの場を離脱する。同様に機体を傾けると、空を割くかのようにミサイルが突っ込んできた。
<<ここで何をしている、ウォードッグ? 裏切り者!>>
<<ハミルトン大尉……いや、少佐>>
 微かな声でグリムが呟いた。まるでブレイズ自身の声を代弁するかのように。
 ごう、と音。Mig-44がすぐ脇を横切った。背中を取られる危険を察知し、ブレイズはすぐさま向き直った。互いに機体の中だ。顔は見えないが表情はありありと想像できる。怒りの表情だ。今まであの人が怒るところなど、見たこともなかったというのに。
<<隊長を狙ってる……!?>>
 緊迫したナガセの声に、<<手出すなよ>>と牽制した。息を詰めるナガセの無線が黙る。
<<任務遂行、やれるだろう、二番機>>
<<……ブレイズ>>
 迷うナガセの様子に、思わず緊迫する。彼女はバートレットの件がある以上、一番機を護ることに拘るだろう。さらなる説得が必要かと思われたが、思いのほか早く地上ターゲットに狙いを定めようと機体を操った。
<<追い詰めろ! 二度と我々を愚弄させるな!>>
 怒りに燃えたハミルトンがミサイルを打ち込んでくる。さらに二機の援軍があった。
 こちらは相変わらずのMig-31だ。後悔はしていない。追いまわされるように幾らかの時間逃げ打っていたが、やがて高度を高く取った。上空に逃げるのを追ってくるのを、低空に急旋回するのと同時に背後に回る。想像以上に綺麗にそれは決まった。ブレイズの放ったミサイルがハミルトン機の羽を一本もぎ取ったのだ。
<<おおおお……!!?>>
 途端にバランスを失うハミルトンを見、ブレイズは思わず胸に手を当てた。ただ落とすことを考えていただけだったのが、胸の鼓動にようやく気付いた。跳ね上がる心臓を抑えようと呼吸を取り、拳を作って掌を広げた。
<<でっけえトンネルを見つけた。入口を広げるぞ!>>
 地上部隊が動いたらしい。上からそれを見下ろす。
<<おやじさん、この先は!>>
<<航空部隊はトンネルに飛び込み最深部に位置する制御装置を直接破壊、反対側出口から脱出せよ。方法は他にない>>
<<直、接!?>>
<<SOLGコントロール施設は最深部にある。入口からの攻撃では破壊できない仕様だ。何しろ時間がない。制御施設は中枢部に二ヵ所、しかも利用法の破壊が必要だ>>
 転送されてくるデータ画面を見遣る。少佐と呼ばれたあの女性が提供したデータのひとつなのだろう。真下に広がるトンネルの見取り図だ。
<<えっ、これ……>>
 疑問点にグリムも気付いた。まっすぐ突き抜けるような一本のトンネルだが、この位置では片側からの飛行破壊できるのは一つだけだ。
<<再突入の時間がないのはこれが原因でね。さらに、以上部隊が出入口確保を長時間維持できる見込みもない。反対側からはバートレット隊長が飛びこむ。――ブレイズ>>
<<チャンスは一回きりか>>
<<やれるかね>>
<<やる>>
 即答に、今度こそナガセが声を張り上げた。
<<ブレイズ!>>
<<編隊で中に入るわけにはいかないだろ。外には外で護衛が要る>>
<<隊長、まさかあんた>>
 スノーはそこまで口にして言葉を閉ざした。別に死ぬ気なわけじゃないけど、とブレイズは心の中でだけ前置きした。
<<ノルマは消化する。……シャッターを閉められるって可能性もあるだろ。そうなったら後は頼む>>
<<死ぬ気なの!?>>
<<違う、けどやらせてくれよ! ……頼む、父親の因縁なんだ、あの核は>>
 この仲間内では、初めて父親のことを口にした。そのことを皆が分かっていた。だから無線は皆が黙り込んだ。
 もちろん核が父親の因縁などとは、聞いただけの話しだ。しかしピクシー――養父から聴いたことはあった。
<<そんな感傷はないつもりだったんだけどな>>
 ぐるりと回り込むようにしてトンネルの入り口を目指す。傾いたせいか、また鈴がちりんと鳴った。
 トンネルの中に突っ込むと、外の喧騒がうそのように静まり返った。涅槃へでも入ったような感覚だ。隔壁が開いていく。
<<コースを外れればあの世行きだぞ。こんなことができるパイロットが、何人いるっていうんだ>>
<<いるわ。少なくともここに二人は>>
 仲間らが外から喋るその無線も、幾重に重ねられたカーテンの向こうから響いてくるような遠さがあった。
<<……! 後方から敵機がトンネルに飛び込みました! ハミルトンだ。奴なら出来る>>
<<なんだって、今のか!?>>
<<大尉……!?>>
 慣れ親しんだその呼び方を思わず呟き、ブレイズはレーダーを確認した。速度を上げて追ってくるMig-44の姿があった。執念で新しい機体に乗り込んだのか。
<<逃すか、ウォードッグ! ……ブレイズ! 滅びへの道を飛べ!>>
<<ハミルトンから攻撃されるわ!>>
 ナガセの言葉通り、機銃やミサイルが後ろから降ってくる。ミサイルは寸前でかわしたが、機銃の弾丸をいくらか後ろに喰らった衝撃があった。
<<逃げろ! 後戻りできない滑稽を思い知れ!>>
<<大尉……! あなたも死ぬかも知れないんだぞ!>>
<<生きていたとは、……私の汚点そのものだ。せめて私が直々に羽をもいでくれる!>>
 ハミルトンにこんな強い物言いをしたのも初めてだ。
<<こちらハートブレイク・ワン。お前たちの真正面だよ、ブービー>>
<<生きていたのか、バートレット!>>
<<お前は生真面目すぎるんだよ、ハミルトン>>
 こんな時でもいくらかに余裕を感じさせる、そんな声でバートレットが喋る。
<<ベルカの核を手に入れ、その恐怖で愚かな戦争を終わらせるんだ。邪魔立てするな!>>
<<敵味方の区別が出来なかったのがお前の失敗なんだ。恐怖は味方じゃねえ。……なあブービー>>
 刻々とターゲットであるコアが近付いてくる。
<<させるか!>>
 コアに打ち込む直前、追い詰めるようにハミルトン機がミサイルを射出した。
<<くそ……!>>
 無理な旋回を機体にかける。もはや無心で操縦幹を動かした。壁に触れるギリギリで回避、ロックオンの音が急かすように鳴る。ブレイズはそれに従った。
 コアに直撃、<<ターゲット沈黙!>>と叫んだナガセの声が耳に響く。
<<こちらハートブレイク・ワン! こちらでも中枢部を破壊。真正面から高速ですれ違うぞ。いいかブービー、1、2の3で右に避けろ>>
 ぐりん、とトンネルの先へと機体を進める。一度ふらつくと立て直しが難しいが、なんとか安定を取った。
<<了解>>
<<いいか……それ、1、2、3だ!>>
 言葉通り高速で接近してくるバートレット機が、電車がすれ違った時のような衝撃と共に横切った。
<<いやーっほおおおお!!!>>
 バートレットが吠え、どっと汗が噴き出した。更に前方から敵機が二機。これにミサイルをぶち込んで破壊すると、その欠片を横に避けて回避する。
<<うああああああッ!!!>>
 引き裂くようなハミルトンの悲鳴にはっとした。バックミラーを確認する。破片が直撃したのだろう。
<<いかせ……>>
 耳に残るように聞こえた声、突然響いたアラート、直後機体に激しい衝撃と呼吸する間もなくそれらが起こった。次いで爆発音が耳を貫く。
 ハミルトンの最後の攻撃を受けたのだと、ようやくそこで気付いた。急に機体が不安定になり、コントロールを慌てて取る。目の前に迫った平行棒のような障害物をなんとか避けたが、閉まるシャッターの隙間を完全にはすり抜けられず、キャノピーにぶち当たったのか激しくひび割れた。
 外に放り出されるようにして抜けたが、空を望むことはできなかった。飛ぶ力を失い、大地を削るように機体が投げ出される。
 ガリガリと地面を削り、やがて木々にぶち当たって動きは止まった。
 止まった衝撃でがつんと頭を打ち、ヘルメットの中でぐわんぐわんと頭がふらつく。そんな中、機体の中に貼ってあった写真を握り締めるように剥がし取った。
 くしゃくしゃに丸められたり、海水に浸かったり、激しい扱いをされて相当に傷んでいるそれを握り締める。
 また、鈴の音がした。








真空回廊
Bard Cage.