「あ、サイファー!」
 食堂に向かう途中、クロウ隊の小僧が猛ダッシュで駆け寄ってきた。俺の名を呼ばない代わりに、こちらには舌を出す。このガキめ。
「なんだよPJ。昼にしちゃ早いじゃないか」
「それはこっちのセリフだぜ」
「俺たちは哨戒があるからその前に昼済ませるんだよ」
「ふーん」
 火花が散らんばかりの会話の応酬を横目に、さらりとサイファーが通りすぎてメニューの看板を眺めている。
「……メニューは同じだな」
「ん? サイファー何か言ったっすか?」
「いやなんでもない。気にするな」
「くう……っ、やっぱりサイファーはかっこいいっすね! クールっす!」
「やっぱり……?」
 PJのセリフに、思わず俺は呟く。この様子だとサイファーの仮説は正しそうだ。後ろで笑っているクロウ1、クロウ2もいつもと何も変わらない。
 ここでグラオ2あたりがいれば、また違った反応があるかもしれない。食堂の中をぐるりと見渡してから、午前の哨戒はグラオ隊だということを思い出す。俺たちとは行き違いになるだろうから、夜までそれは無理そうだ。
 朝食を逃したため、既にメニューは昼のものとなっていた。俺はカルボナーラとリンゴ入りのサラダを注文し、このサイファーは何を食べるのかと注視すればサンドイッチだった。小食なのか? 大丈夫か? と思ったがしっかりと肉が挟まっている。
 俺は改めてこのサイファーを観察することにした。
 ふわりとした褐色の髪はあいつと似ても似つかない。ただ、どことなく浮世離れした雰囲気は少し似ているか。今まで想像もできなかったが、あいつが年を重ねて髪を染めれば、こんな男になるのかも知れない。
「……なんだ?」
 じっと見ていたせいか、そう話しかけられた。とは言え、それほど訝しげな態度でもなかった。状況を知っているのが互いだけだからか。だから俺もただ、ありのままを答えた。
「……いや、同じ名で呼ばれているはずなのに、まるで違うもんだなと思って」
「どうもそうらしい。起きてからのあんたは驚きっぱなしだ」
「お前が平静すぎるんだ」
「実際、どうしてこうなったかすらも分からないからな。心配しても何も起きない」
「大したもんだ。関心するぜ」
 吐息を吐き、半端自棄気味にパスタにかじりついた。するとサイファーがこちらを目線だけでこちらを見る。そしてその目蓋がほんの少し降り、一瞬微笑んだように見えた。
「心配していない。あんたは俺の知っているピクシーとほとんど変わらないし、ここもヴァレーで間違いない。あんたがピクシーだというだけで」
 さくっ! とサイファーのフォークが俺のサラダの中にあったリンゴを一突きにした。
「……俺は自分でも驚くほど、安心してる」
 その言葉が、俺の胸をすとんと突いた。まるで目の前のリンゴのようにだ。
 俺は混乱のあまり、自分を少々見失っていたのかも知れない。俺らしくもない。
「そうだな、安心しろ。元に戻るまでは嫌ってほど世話焼いてやる」
 口の端をほんの少し上げたサイファーが、サンドイッチに食い付いた。


 可笑しいのは、備品やらもこちらに来たサイファーのものがいつのまにやら存在するということだ。
 搭乗前のチェックを済ませ、哨戒のために俺とサイファーは空に繰り出した。すっかりとあいつと飛ぶことが習慣付けられてしまっているため、同じ一連の流れすらも新鮮に感じてしまう。
 しかし、哨戒で却ってよかったのかもしれない。思わず忘れそうになっていたが今は戦争中だ。これが重要なミッションでなかったことを喜ぶべきなのだろう。もしかするとこのまま戻らない日が続くのかも知れないから、このサイファーがどんな動きをするのか見ておくのは悪くない。互いの腕がどんなに良くとも、息を合わせるにはある程度の努力が必要だ。
 薄曇りの空を飛びながら、ぽつりとサイファーが呟いた。
<<空は変わらないな>>
<<そうそう変わられても困るしな>>
<<全くだ>>
 少し後ろからぴったりついて飛び、そう俺は応えた。思ったよりは大人しい飛び方だが、交戦しているわけでもないしなと思いなおす。あいつだって、交戦していない時はただ進路を中速で飛ぶだけだ。問題は敵を見つけた時の食い付き方だけなのだから。
<<ガルム隊、聞こえるか>>
<<良好だイーグルアイ。どうした>>
 堅苦しいイーグルアイの無線に応えると同時に、レーダーに見慣れないマーカーがあるのを確認した。
<<敵機か?>>
 サイファーも確認したのだろう。そう呟く。
<<ベルカの偵察機を発見した。MiG-21が2機だ>>
<<どうする、イーグルアイ>>
<<防衛ラインに近づけさせるな。深追いして叩く必要はないが、ヴァレーに近づけさせる理由もない>>
<<了解した>>
 ホーネットが翼を翻した。近寄っていた2機のフィッシュベッドを小さいが確認する。その機動に少しの迷いが見えた。
<<やるのか>>
<<相手が引かなければ>>
 問いに、最低限の答え。なるほど柔軟性はありそうだ。相棒は味方以外なんでも落とすタイプだが、こいつはそうでもないらしい。グラオ2あたりは典型的な騎士タイプで手負いや中立などは撃たないが、このサイファーはそのあたりの拘りは特になさそうだ。ま、あいつよりずっと器用そうだしな。
 2機のうち前を飛んでいた方へと、ぐるりと捩じり込むようにサイファーが周りこんだ。機銃が火を吹き、フィッシュベッドの尾翼を多少削る。回転して振り切ろうとした横腹にミサイルをぶち込んだ。予想していたよりもアグレッシヴな機動だった。
 見習ってもう片機に威嚇のミサイルを放つ。案の定避けられたが、1機やられたことで即座に退避行動に走った。何しろサイファーの落とした方は煙を吹き、岩肌に激突したところだったからだ。
 俺の心配も同様に粉々に粉砕された。相棒が入れ替わったところで、俺は「サイファー」の機動についていくだけの話だ。いざ空戦になれば細かい心配など頭からすっかり抜け落ちていたし、相性はこいつとも良さそうだということが分かったからだった。
 迎撃に成功した俺たちはそのまま時間まで哨戒を続け、問題なく基地に戻った。
 ホーネットから降りたサイファーの顔は涼しく、しかし目が少し強い意志を持っているように見えた。
 あの目は飛んでいる時、戦いになったとき、もっと強い輝きめいたものを放つのだろう。それを見ることはできないが、脳裏に想像するだけで胸が震えるような気がした。