ALEX "KUGEL" GREINER, JUL 30 1995


 一言で言えば静かな男だ。しかし、それはあくまで上辺だけの話。その実、隊の誰よりも─一番の特攻機である自分より──苛烈な性分を秘めている。そう思っている。1番機の死角をフォローし、3番機の突入先を指示し、4番機の盾になり、5番機の誘導をする。誰よりも考え、動き、しかし誰よりも目立たない。そういう奴。
 ウスティオ空軍第6航空師団、第49飛行隊所属、グラオ小隊、2番機、シュヴェルト──今はもう、そう呼ぶことは殆どないんだが、な。


「ちびはもう寝たのか」
「起こすなよ」
 寝かせるのに苦労した、と、子育て中の親のような台詞を零すのを聞いた。ベッドで寝ている小柄な人物が、ほんの数ヶ月前まで戦場を揺るがした「鬼神」だなんて、誰が信じるだろう。
「カノーネは」
「あー、コイツ一杯でぶっ倒れた」
 つきあえよ、と持って来たのはブランデーだ。酒に耐性のないカノーネ──―うちの5番機──―は、ロックを一気飲みして、ダウン中だ。
 酒に付き合ってくれそうなやつなんて、こいつぐらいしか心当たりがなかった俺は、言葉の通りしょうがなく、ここを訪れた。そうか、という短い声のあとに、視線が傍らの椅子へ向く。
「…座れ」
 端的で無駄のない台詞。人によっては冷たいと感じるのかもしれないが、それぐらいそっけない方が俺は楽でいい。許可が出たので椅子を引き、適当にグラスを二杯満たす。
 デスクライトだけの薄暗い部屋で、時々こうして、酒を飲むことがある。少し前までは旦那と姐さん…シュペーアとボーゲンが混ざっていたはずなのだが、今はもういない。必然的に、キーアとサシで飲むことが増えた。
 元々喋る奴じゃない。隊の皆がいたときにも、もっと大人数のときにも、隅で黙っているような奴だ。
 ただ。
 ちらりと、隣の椅子を引いた奴を見る。──―こいつはこんなに、近寄りがたい男だったか。
「相変わらず、無茶な飛び方しやがんな」
 そう言葉を切り出せば、視線がこちらを向く気配がした。グラスを煽って、目を合わせる。
「いくらお前がトレースの名人ったって、あれほどやんなくてもいいだろうがよ」
「…落ちるような飛び方はしない」
「まぁ、そうだけどな」
 適当に相槌を打つ。とはいえ、無茶だとか、危険だとか。やりすぎだというところは否定しないのが奴らしい。
 ガルム隊が活躍し始めた頃から、「サイファー」の飛び方は郡を抜いていた。それはもちろん戦績が物語ってはいたが、実際目にすれば嫌でもわかる。理想的過ぎるのだ。
 だれでも、「そうすれば勝てる」という想像はできる。要するに、敵よりも速く飛んで、近づいて、ミサイルを撃てばいい。だが、そうそうそれが出来ないのが現実だ。
 しかし、「サイファー」はそれをやってのける。純粋に見てるだけなら感嘆するだけだろうが、なまじ飛び方を知ってる奴から見れば、畏怖の対象だ。
 …ただそれは、今までは畏怖で済んでいたことだ。
「なあ、キーア」
「なんだ」
「……いつまで、「鬼神」は必要なんだろうな」
 返事はなかった。
 詳しい経緯は知らないが、いつからか。サイファーというTACは、こいつ、キーアを指すものに変わっていた。キーアは事細かなことを語ろうとはしなかったが、まあ、こうしてコイツの部屋でイヴァンが寝てるのを見れば、なんとなく想像はつく。戦場の只中だろうと、ちび共を放っておけないのが、この男のシュヴェルトたる所以だ。
「戦争が、終わるまで」 
 グラスの氷が融けて揺れる音と共に、そんな言葉が聞こえた。…だからそれは、いつだ? そんな問いを、アルコールと共に喉の奥に流し込む。聞いたって答えなんてありはしない。
 そして、たとえそれが、いつとは知れなくとも、キーアは「サイファー」であることをやめようとはしないだろう。
 彼を駆り立てるそれは、恋や愛というような、求める感情ではないような気がした。例えば、親が子に抱くような、無償のそれ。或いは───騎士が主君に抱く、忠誠に近いのかもしれない。相手のために、己の犠牲を厭わない、その覚悟。
「なぁ、お前…それでいいのか?」
 思わず問いかけていた。黒髪が揺れ、鳶色の瞳が僅かに細められる。
「…何がだ?」
「それじゃ、何も手に入らねぇだろ」

 幼子のように眠る、かの相手も。
 鬼神という名声も。
 剣という己の名さえ捨てて、彼自身には何も。
 ──それで、いいのかと。

 キーアは、僅かに視線を逸らして、薄く笑った。視線の先を追うと、シーツから零れる銀灰の髪。
「そうかもしれない」
 短い肯定。
「戦争が終わって、イヴァンが一人で立てるようになったら、俺は必要ないだろう。そうなったら……何も残らないのかもしれないな」
「おい」
 視線が、改めてこちらを向いた。感情の読めない、静かな瞳。
「それでもいい。それが、俺のいきかただ」
 その言葉は、淡々と。しかし何者をも拒む響きを帯びていた。思わず溜息をつく。…ああそうだ、そんな答えは、分かりきっていたはずなのに。
「……解ったよ。全く頑固な奴だなあ、お前」
「今更だ」 
 応えた声は、少しだけ穏やかだった。今はもう少なくなってしまった戦友の、その声に、思わず笑い返していた。








静かすぎる夜
Trauer



S真先生から頂いたテキストに、若干の加筆修正を加えました。