IVAN RODINA, DEC 25 1995


 警報がけたたましく鳴り、基地の中は慌ただしいにも程があった。
 キーアは次の作戦のブリーフィングに向かったきりだ。恐らくはこの基地を襲撃してきた相手を、迎え撃つだろう。
 滑走路や基地の一部を爆撃されたらしい、振動がここまでも十分響いてきた。当たり前か、基地の中にいるのだから。
 部屋から顔を出すと、数人がバタバタと廊下を走り去った。その後はしんとして、静かなものだ。要員は全員、ハンガーの方に向かったのだろうか。
「ちび!」
 声をかけられ、見遣る。廊下の向こうから走り寄る人影。グラオ3、クーゲル。
「クーゲル」
「良かった、部屋にいたな」
 走り寄るなり、きつく抱き寄せられた。
 なぜか、脳裏にピクシーの顔が浮かぶ。理由は分かっている。良く似た金髪、少々構いたがりなところ、そんな些細な部分が似ている、それだけだ。
 まただ。胸がきつい。
 ほんの半年前までは知らなかった感覚が、ここ最近は頻繁に胸を占める。
 その度に、言いようのない衝動に駆られるのだ。叫んで走り出したいような、海の底に深く沈んでしまいたくなるような。
 少し腕を緩めてくれ、と言おうとしたときだった。
 こめかみのあたりに押し当たられる、硬い感触。身じろぎしようとした瞬間、低く声が囁かれる。
「動くなよ」
 かちり、と起こされる撃鉄の音。これは、拳銃だ。
 その存在を誇示するかのように、銃口をだろう、ごりごりと抉るように押し付ける。
「…国境なき世界?」
 彼に習い、そっと囁くように尋ねる。薄く笑う声が聞こえた。
「悪いな、ちび。そういうことだ」
 引き金を引かれるのだろう。死ぬのは怖くないと思った。それより誰かを撃ち落とすほうが、余程怖いと思った。
 何より、抵抗して逃げられるとは思えない。
 観念して目を閉じるが、一向にその瞬間が訪れない。ただ、その代りに、どこからか誰かの息を飲む音がした。
「…?」
 そっと目を開け、横目で辺りを見る。
 廊下の向こう側、青い顔をして俺とクーゲルを見る人物が見えた。
 若い男だ。見覚えのある顔である。グラオ3、カノーネ。年もそう変わらないだろう、グラオの最年少。黒い髪は自分とは対照的だと思う。
「クー、ゲル?」
 沈黙を破ったのは、カノーネの方だった。信じられないといった表情は、分かりやすい。
「カノーネ、俺たちと来い」
 びくり! とカノーネの身体が震えた。背筋がぴんと伸びる。次の瞬間、カノーネは自らの銃を抜いた。M9か何かだろうか。敵だと、確信してしまったのだ。
「俺がお前を必要としてやる。だから来い」
「あ、アレックス…、けど!」
 構えたカノーネの銃口が震える。泣きそうな目にいつの間にか変わっている。被りを横に何度も振っている様子が、この事態を認めたくないのだと語っている。
「それをしまえ、カノーネ」
「ひっ…」
「カノーネ!」
「うああああああ!!」
 絶叫をかき消すように、銃声が鳴った。見上げたクーゲルの左目が、まるで破裂したように血が飛び散る。ぱたぱたと頬に生暖かい感触を覚え、倒れゆくクーゲルの手にあった銃が発砲された。それはこちらの肩を掠め、鋭い痛みを否応なしに与えてくる。
「あ、あ、あああ、俺、俺…!」
 拳銃を取り落としたカノーネが、ぼろぼろと涙を零していた。足を縺れさせながら後退する。
「カノーネ」
「ひっ、うあ、あっあ、ああああ!」
 声をかければ、弾かれたようにカノーネは走り出した。廊下を曲がり、焦るばかりの足音が遠ざかっていく。
 膝をつき、傍らに倒れたクーゲルを見やる。かつての仲間ならば―――目を背けたくなるような酷い有様になっている。
 脳を貫通したのだから、ほぼ即死だろう。先刻まで自分を抱きしめていた腕を、少し揺すってみたが、答えは同じだった。
 …なぜだ? なぜお前が死ぬんだ?
 なぜ俺じゃなかったんだ?
 声に出さなかったのは、クーゲルが既に事切れているから、だけではなかった。
 零れ落ちる涙と同時に、嗚咽が止まらなかった。








軋んで空色のゆめをみる
Der niedrige Himmel