LIENHARD "CIPHER" KIER, DEC 31 1995
一瞬の光条。消える僚機の反応の代わりに現れる、敵性反応。ミッション終了に緩みかけた思考が、瞬く間に絶対零度まで冷え切る感覚。
<<戦う理由は見つかったか。…相棒>>
無線から聞こえるのは、知っている声だった。そもそも、「サイファー」を相棒と呼ぶ男に、キーアは一人しか心当たりがない。
思わず怒鳴りつけてしまいそうになるのを、小さく息を吐いてこらえる。
<<…その答えを聞きたければ、ヴァレーまで帰ってくるんだな>>
通信の向こうで、僅かに息を呑む気配がした。先までの気安い、友人に対するような声とは違う、声が返る。
<<お前、キーアだな?>>
<<だとしたら、どうする>>
さぞ、意外だろう。そう思いながら、皮肉るように言い返してやれば、僅かな沈黙。自分自身だって、意外で仕方がないのだ、ここにいることが。声無き自嘲に口元が歪む。
<<…どうもしない>>
見慣れない機体の、赤く塗られた右翼が苛立ったような声を表すように揺らめく。最新鋭のアンノウン…長らく連れ添ったイーグルはどうしたのかと、心の中で問う。
<<不死身のエースってのは 戦場に長く居た奴の過信だ>>
淡々と、声。
<<…お前のことだよ>>
アラートが鳴った時には、既に勘に任せて急旋回していた。先までいた空間を、光条が薙ぎ払う。エクスキャリバーのそれに似たレーザー兵器。未確認兵器とはいえ、こんなものまで。
AWACSからの解析を知らせる無線に続けて、片羽の声。
<<皮肉だな。終止符打ちが、番犬ガルム同士とはな>>
<<……>>
<<戦いに慈悲はない。生きる者と死ぬ者がいる。それが全てだ>>
<<…お前が、それを言うのか>>
一拍の間。
<<言うさ>>
きっぱりと、何かを諦めたような声で。言い返そうとした言葉を飲み込み、キーアは奥歯を噛んだ。
イヴァンが、CIPHER──ゼロのままでいることを良しとせずに、感情を、それに類するものを与えようとしたお前が、それを言うのかと。わかっていないのか、それとも、わかっていて答えているのか。
感情などなければ、優秀なパイロットのままで居られたのは分かっていたはずだ。あの時。まだ自分が剣の名で、そして片羽がガルム2だったときに。意見を違えたあのときに、分かっていたはずだ。
全うに思考するようになったら、彼のままではいられないと。そう止めた自分に、そのままでいいというのかと激昂したのは他ならぬ、片羽なのだから。
<<あいつは変わった。お前が望んだ通りに>>
<<そりゃ良いことだ>>
皮肉げな声は、その傍らに自分がいないからなのだろうか。自分の知らないところで、イヴァンが変わることに対しての苛立ちか。
<<本当に、そう思うのか>>
<<…何?>>
<<飛ぶことしか知らなかったあいつが飛べなくなることが、良いことなのか?>>
それしか出来ないとわかっていて、それができなくなると自覚すること。存在理由であった唯一無二のそれを、なくして。空を眺めて、不安に駆られて過ごすことが、良いことだと。
<<お前は、本当にそう思っているのか>>
LARRY "PIXY" FOULKE, DEC 31 1995
機械みたいな、人形のような彼を、見ていたくはなかった。淡々と、何の感慨もなく敵を落とす様を見ていられなかった。
いっそ飛べなくなってしまえば、変わるのかもしれないと。そう思ったこともある。けれどそれも、今はもう、遠く感じられた。
<<さぁな……わからん>>
無線から聞こえるのは、苛立ったような声だった。リーンハルト・キーアという男が、はっきりと分かるほどに感情をあらわにすることは少ない。
なるほど、そういう意味では、かつての相棒の代わりにこの男が「サイファー」であるのも、納得できる気がした。情に流されるような人間では、あの機動はできまい。
イヴァンが飛べなくなった経緯はわからない。だが、自分が居なくなったことが少なからず何かの引き金になったのだろう。それならば、離れた意味も少しはあったかもしれない。
───そのおかげで、この手で撃たなくて済む。
<<今更俺に、それをどうこう言う権利はないからな>>
<<片羽…っ…!>>
息を吐くような無線と共に、MSSLとすれ違いざまの機銃が翼を削る。損傷はまだ軽微だ。イーグルから機体を乗り換えたのは少し不本意ではあったが、相手を──あの『円卓の鬼神』だ──考えれば仕方のないことか。
今目の前にいるのが、あいつではなかったとしても。ここまで俺の目すら欺いたキーアは、確かに鬼神の名前を継いでいるのだ。それに値する動きだ。
<<時間だ>>
V2発射のアラート。再突入まで5分少し。この機体からの信号が途絶えない限り、その後にはV2が全てを焼き払うだろう。
息を吐く。短く。
<<惜しかったなぁ、相棒>>
何の感慨もなく、敵を撃ち落とすだけの兵器なら。遭遇したその瞬間に、俺を叩き落せたかもしれないのに。
<<歪んだパズルは一度リセットするべきだ>>
例えば、俺とあいつと。
例えば、お前と俺と。
例えば、お前とあいつと。
<<このV2で全てを『ゼロ』に戻し、次の世代に未来を託そう>>
そうして、俺達すらも、始まりに戻す。
瞬間、ジッ、と無線の入る時のあのノイズが耳に入った。
<<こちらAWACS。聞け、ガルム1>>
久し振りだな。半年ぶりだ。俺も半年前は、あのAWACSからの声を背にして戦っていたんだな。
ぶつかりそうなくらいの距離をすれ違い、キーアと俺は互いにしばしの距離を取って、また向き直る。
まるで中世の騎士が行う騎馬戦だ。俺の記憶の中で、キーアは―――まだグラオ2だったリーンハルト・キーアは、まさしくナイトエースと呼ぶにふさわしい男だった。騎士の戦いはこいつにぴったりだな、と思う。
<<敵機体の解析が完了した。コード名は『モルガン』。この機体はECM防御システムで護られている。唯一の弱点は、前方のエアインテークだ。正面角度から攻撃を行い、モルガンを撃墜せよ>>
俺は口笛を鳴らした。さすがだな、イーグルアイ。一応こっちは、秘密の最新機体なんだが、この短時間の間に解析しちまうとは。
にしても、半年も経ったからか、随分声が変わった気がするな、イーグルアイよ。
<<今そこで彼を討てるのは、お前だけだ>>
ま て 。
この、声は。
この、声は! この声は!
<<円卓の『鬼神』、俺は幸運など祈らない。お前の力でそれを撃ち落とせ>>
ジッ、と無線がそこで途切れた。
IVAN RODINA, DEC 31 1995
気がつくと、目の前にヘッドセットを差し出すイーグルアイが居た。目の前には、見慣れていた戦闘機のレーダーより広域のそれと、敵機の解析データが表示されている。
差し出されるまま、ヘッドセットを受け取った。
(なぜ、俺はここにいるんだろう)
また、それを考える。
戦闘機には乗れなくなった。飛べなくなって、分からなくなって、「サイファー」ではなくなったイヴァン・ロディナはどうしてここに、空の戦いのさなかにいるのだろう。
「サイファー」と「ピクシー」の無線を聞きながら、その言葉のひとつひとつを、考えた。考えても、分からないことばかりだ。ただ、考えただけ、胸の奥を締め付けられるようで、息が苦しくなる。
頭が働かないまま、ヘッドセットを付けた。
何故、代わりになったのかと問えば、自分がそうしたいからそうするのだと、キーアは言っていた。誰のためでもない、自分のためだと。だから、イヴァンが気にすることではないのだと。
そういえば、ピクシーに聞いた事はなかったな、と思った。どうして、自分の世話を焼くのかと。何故、それほどに自分を求めたのかと。彼が傍に居たときは、理由が全く判らなかった。傍に居るのは相棒だからで、それ以外の可能性を考えたことはなかった。
だが、今なら少し、わかるような気がする。
<<こちらAWACS。聞け、ガルム1>>
相棒以上の感情。今思えばそれが向けられていたんだ。
<<敵機体の解析が完了した。コード名は『モルガン』。この機体はECM防御システムで護られている。唯一の弱点は、前方のエアインテークだ。正面角度から攻撃を行い、モルガンを撃墜せよ>>
歪んだパズルは一度リセットするべきだ。俺もそう思う。その方がはるかに効率的だ。
<<今そこで彼を討てるのは、お前だけだ>>
けれども、ラリー。
人という生き物を、簡単に真っ白に戻すことなどできない。
誰かの血で滲んだのを、一瞬で消すことなんてできない。
パズルはリセットできても、世界や生物は、簡単にリセットできない。
だから、ラリー、おまえは、
<<円卓の『鬼神』、俺は幸運など祈らない。お前の力でそれを撃ち落とせ>>
ここで。
LARRY "PIXY" FOULKE, DEC 31 1995
<<俺を撃てというのか>>
<<お前は敵になった。だからここで撃つ>>
かつての相棒が相手でさえ容赦のない、非情な言葉。だが、それがとても彼らしいと思った。ただ、その後に小さな息の音が聞こえて、耳を澄ます
<<お前がいなくならなければ、もしかしたらもっとお前のことをよく見たかも知れない>>
<<……サイファー>>
<<けど、半年は、長かった>>
言葉を失うしかなかった。一秒がひどく長い。
────ああ。
先ほどキーアが言った言葉を、もう一度かみ締める。変わらないようで、確かに変わっていた。「かもしれない」なんて言葉を使うほど。半年という時間を、長いと思うほどに。
あの時、目を逸らさずに彼の傍に居たなら、その変わるさまを見て行けたのだろうか。それとも、それは離れなければ得られないものだったのだろうか。どちらにしても、そんな言葉を聞けたことが、場違いだと分かっていても、嬉しかった。
<<変わったな、お前>>
<<…そうか>>
何度も聞いた、その相槌。しかし、そこに滲む微かな情動が、彼が確かに何かの感情をもって告げる言葉なのだと知らしめる。何度も聞いていたから、わかる。機械のように反射でいうのではない、彼の意思で紡がれた言葉だと。
喉で笑い、改めて向かってくるFoxfoundを見やる。
<<サイファー、俺とお前は鏡のようなもんだ>>
ミサイルアラート、回避が甘い。機内に走る衝撃が、ダメージを受けたことを語る。
<<向かい合って初めて、本当の自分に気づく>>
そうだ。こいつがいなければ。
俺は何にも気づくことがなかった。
<<似てはいるが、正反対だな>>
ここにいる俺と、そこにいるお前と。
<<…ピクシー>>
物言いたげなキーアの声がした。分かってる。
<<もう一度、正面からだ。ここで決めよう>>
きみとする、こたえあわせ
Die Anzahl der Handflächen
前半部分は、S真先生から頂いたテキストに若干の加筆修正を加えました。