LIENHARD "SCHWERT" KIER, MAY 5 1995


 横向きの目が、ぼうと宙を見ていたことに、びくりと驚いた。
 彼が何もせず、ただじっと―――ショーケースの人形やヌイグルミのようにじっとしていることは、決して珍しくない。それどころか日常茶飯事とも言える。
 彼には趣味らしい趣味もない。最近は家事を覚えたようではあるが。自分のように本を読んだりもない。たまに機体を眺めには行くが、それよりは部屋でじっとしていることのが多い。
 それでもじっとしている時は、神父やシスターが祈っている時のような、意思を持ってそうしているという空気があるが、この時ばかりは―――寝起きであることも手伝ってか―――死体のそれに近いと感じた。
 彼がいつものように、自分のベッドに潜り込んだのが夕べ。特におかしい様子もなかったというのに。
「…大丈夫か?」
 気づけば、そう問いかけていた。青の眼がそれこそ人形のようだ。
「キーア、何故ねこは泣いたんだろう」
「何?」
 質問は、あまりに突拍子のないものだった。寝起きの第一声である。
「夕べ、ピクシーが読んでくれた本だ。読み聞かせなんて、俺は子供ではないからと一度は断ったんだが」
「ああ…そういえばそんなことを言っていたな」
 ピクシーが持っていた本は、ごく有名な創作絵本であった。それも若い隊員から借りたものらしい。
 擬人化されたトラ猫が、何度理不尽な死に方をしても生き返り、どの一生でも決して涙せず。しかし最後に出会った白猫の死に涙して死ぬという、まあ―――人生を指しているかのような絵本だというのが、昔読んだ感想であったりする。もう大分、細かい内容は忘れてしまっているが。
「本は読んだことがある。だが絵本は初めて読んでもらった。肺のあたりに違和感が出る。身体に異常をきたしている原因だと思う」
「胸が締め付けられるような気分、ということか?」
「そうかも知れない」
 眠る間も繋いだ手、指がぴくりと動いた。少し手繰り寄せるような、縋るような。
「…もう、あの本は読まない。ピクシーには、どうせなら専門書を持ってきてくれるように頼もう」
 もぞりと寝がえりをうつ。

 俺は、考えていた。
 お前は なぜ もう読まないと 思ったんだ?
 彼が自覚していないだけだ。遠ざけたいのは、恐ろしかったからだ。
 ただ、今までそれを意識したことすらない彼には、その感情自体が言葉のつけづらい、全く未知なものに違いない。

 俺は、考えていた。
 もう少し人間らしくなったほうがいい、とピクシーがしていることは、正しいことだ。戦争中の傭兵だということが、あまりにもネックではあるが。
 ただ…、彼が人並みの考え方をするようになった時、もしかすると、
 恐ろしくて、飛べなくなるのではないだろうか。

 俺は、考えていた。
 もし、強い傭兵―――それも毎度の作戦で溜息の出るくらいの戦果を挙げるエース―――が、恐ろしくて空を飛べなくなったら。
 作業機械が、使えなくなったら処分されるように。
 それは、死と同義だ。








蒼穹に奔る亀裂の色
Eine Vergessenheit