LIENHARD "SCHWERT" KIER, MAY 21 1995


 人気がないのを見計らった時だった。
 ゴン、と拳が壁を叩いて、低く唸るような声。
「調子に乗るなよ」
 片羽の、短いが、針のように鋭い口調。
「何が?」
「相棒の事だ」
 怒りを顕にしながら、ピクシーは壁と己の立つキーアに、穴が開くのかというくらい睨みつけていた。
 毎晩のように、自分の部屋を訪ねてくるのが気に入らないのだろうか。その理由を問うたら、片羽の妖精は何と答えるだろう。
 下手に怒りを煽るのはやめよう。浮かんだ言葉を選り抜き、キーアはひとつひとつ、縫い繋いだ。
「…俺に、寂しいって何だ、と聞いてきた」
「サイファーがか」
 早口にピクシーは聞き返した。それに頷く。
「もうサイファーに感情の類いを教えるのは、止めたほうがいい。絵本も、歌も」
「あいつがあのままでも、いいって言うのか!」
「これ以上はいつか死ぬ!」
 叫んだピクシーに、キーアもまた叫び返していた。
 サイファー…いや、イヴァンが純粋に強いのは、彼には何もないからだ。
 技術が優れている者ならば、少しは存在する。だがそれ以上に彼が戦果を上げるのは、恐怖も、躊躇う心も持たないためだ。
 一見危うい低空飛行。ロックオンされているのにも拘らず、ヘッドオンを仕掛けるやり方。ほんの僅かなミスで何もかもが逆転するというのに、彼が操縦幹を握れば、綱渡りのロープも広いアスファルトのような安定したものに見える。
 人並みの心を持てば、恐怖心を覚えるだろう。ミサイルひとつに躊躇うだろう。
 その先にあるのは、死そのものだ。
 アスファルトのように見えるだけで、実際にはロープの上なのだから。
「…目隠しで綱渡りをしている奴に、視界を与えれば、墜ちる」
「…!」
 拳を振り上げたピクシーを見て、静かに目を閉じた。殴りたいのなら、そうすればいいと思った。
 一秒、二秒、三秒。しかしたっぷり十秒を過ぎても、拳は飛んでこなかった。



LARRY "PIXY" FOULKE, MAY 21 1995


 部屋に入り込み、二段ベッドの下を覗き込んだ。相棒がいないことを確認し、上がっていた肩を下ろすために、細く息を吐く。そしてベッドに座りこんだ。
 殴れなかった。認めたくはない。認めたくはないが、グラオ2の言うことは正しいと、殴れなかったことが示していた。
 脳裏によぎったのは、先のミッションだ。
 光る空、レーザーの宙を駆るあの音。目の前で味方がいくつも消えていった、長距離レーザー攻撃。
 生き伸びたのは、相棒の冷静な進路取りのおかげだ。
 相棒が恐れ、判断力に欠けている状態だったならば、目の前でサイファーを塵の一つに数えることになっただろう。そしてピクシー自身も、その後を追っていたに違いない。
 だが。
「このままだと、俺は…」
 煮立ってしまいそうになる。
 連れだって飛ぶ度に、目に焼きつく相棒に、俺が想うのと同じくらい、俺を認めて欲しいと思うようになっている、自分自身を自覚してしまう。
 笑わないあの口元と目が、緩むことを期待してしまう。
 あの涼しいくらい澄んだ声が、俺の名前を呼ぶことを、願ってしまう。
 それが、
「奴を殺すことだって、言うのか…」
 認めたく、なかった。








焦がれるほど欲しくなる
Ich will es zerdrücken.