できることと、できないこと


 屈んで足元の毛布を拾い上げれば、それはもうぼろぼろだった。
 毛布とは言ってもやや薄めであり、くたびれてしまっている。これを身体に巻きつけて眠ったところで、大して暖が得られるようには思えない。
「……この毛布だけでは寒そうだ」
 ぽつりとライドウが呟くが、人修羅は壁際に座りこんだまま、膝の上に顎を乗せて言った。その視線が少し俯く。
「別にもう、寒くなんてないけど。別に寒さ暑さを感じないわけじゃないけど、ちょっと気温が上下しても大丈夫というか、耐えられる。けど」
 吐息を吐く彼は、物憂げに続けた。
「寝るときは掛けるものがないと落ちつかないんだ」
 ライドウはあえて、何も言わなかった。
 すぐに察しがついた。悪魔の身体には保温も必要ないのだろう。本当は睡眠も必要ないのかも知れない。だが人であった頃の癖や習慣が消えたわけではなく、それまで当り前のように布団の類いを用いていたのだから、なかなか心が休まらないのだと思った。
 交戦した際は、まるでそんな感じがしなかったものだ。人修羅の呼び名が示す通り、もはや人とは呼べない身体能力を身につけつつあった彼。こちらを敵と認識した彼の目は、それまで戦った猛者達と同じく、あまりに強い殺気と気迫を持っていた。
 だが、戦っていない時の彼はどうだろう。ともすれば弱弱しくすら見える、迷いのある心の移ろいが気になって仕方ない。
(望んでかそうでないかは知らないが、身体が人外のものと化しただけで心まですぐに変われるかと言えば、当然そうでもない、か)
 内心独り呟いて、人修羅を見下ろした。生憎、同年代と触れ合うことなく修行に明け暮れた日々であったため、こんな時どうしていいものかわからないのがもどかしい。
 だが。友になると言ったばかりだ。その気持ちに嘘はない。
 ライドウは外套を翻して、人修羅の隣に座り込んだ。
「私の外套で良ければ貸そう」
「お前のが寒いだろ……」
「二人で使う選択肢もある」
 ばさりと隣に座る彼の悪魔の肩に外套を掛けると、自然と密着する形となった。
「……なんか、これって、どうなんだ?」
「どう、とは?」
「ああいや、なんでもない……」
 何か言いたげだった人修羅は、色々なものをあきらめた様子でライドウに体重を預けてきた。そうしてくれるほどには、信頼を勝ち取ったらしい。
 しばしそうして時を過ごしたが、不意に人修羅は口を開いた。
「ライドウ」
「ほとり、だ」
「……ほとり。デビルサマナーってやつなんだよな」
「ああ」
「悪魔とか、たくさん知ってるんだろ?」
「ゴウトには負ける」
 黒猫のお目付け役を思い浮かべながら、ライドウが言う。
「おれ、……」
 人修羅の言葉が、不意に震えた。
「俺、みたいな悪魔は、他に見たことあるか?」
 寄りかかっている所為で、その表情はライドウからはよく判らない。
 嘘を、言うべきだろうか?
 少しの迷いがあった。だが嘘を吐いたところで、彼が救われるようには到底見えなかった。
「……いいや」
 返事をした瞬間、人修羅の身体がびくりと震えた。その理由を色々と思い浮かべる。そのどれもが近いようで遠かった。
 結局のところ、悪魔になった人間を戻すことなどできない。魔を遣い、また祓う自分だからこそ判る。それは一方通行のそれで、逆はあり得ないのだと。
「……私は、セツを人に戻すこともできなけれぱ、ボルテクス界と化したこの世界を元の世に戻すこともできない。だが、外套をこうして貸すことはできるし、私の悪魔と共に君の戦いを助けることはできる」
 その証拠を示すように、ぐっと肩を抱き寄せた。
「この身に収まることならば、君の力になる」
 触れた手から伝わる身体の震えに気付き、なんだろうとライドウは思ったが、すぐに判った。
 涙も流れぬ人修羅ではあるが、彼は確かに、瞳から涙を流さなくとも、泣いていた。