かたん、と戸口が開く音が耳に入り、その人物は布団の隙間から、部屋の入口を見遣った。
「起きてるか?」
 入ってきたのは、青い髪をポニーテールにしたアルケミストで、手にしたトレイの上に、少量の食事と薬瓶が乗っていた。
「おきてる…」
 もそりもそりと掛布団をずらし、顔を出した人物もまた、青い髪だった。短い髪が顔にかかり、それを払いながらアルケミストを見遣る。職業で言うならば、バード。
 嘆息したアルケミストは近寄り、傍のテーブルにトレイを置く。代わりにテーブルから体温計を取ると、それをバードに差し出した。
 黙ってそれを受け取り、バードは体温を計る。やがて取り出し、アルケミストに手渡した。
「熱は下がってるな。双夜、食欲はあるか?」
「…少し」
「じゃあスープとパンを用意したから、食べておくといい」
 薬も飲めよ、とアルケミストは錠剤の入った薬瓶の上部を指で叩いた。
 息を細長く吐き出し、双夜は軽く溜め息をつく。
「その、ごめんな、アビス。急に転がり込んで」
「真冬になるって時期に、またどうせ野宿でもしたんだろう? 詩人なら喉を大事にしろよ」
「ん…」
 普段は強気な双夜も、風邪っぴきの時ばかりは弱気になるらしい。
 三日程前になるだろうか。まさしくボロボロといった体で、この家に転がり込んで来たのである。
 風邪引きを追い返す程、錬金術師は冷血ではなかった。寧ろこのアルケミストを知る人物らは、一様に彼をお人好しと称する位だ。
 それに今使っている家は、アルケミストの友人であり、このバードの兄であるウィザードが所有するもので、とある事情から管理を任されている。
 兄と仲が悪く、普段顔すら合わせない双夜は、この家が兄の所有と知らないが、たとえその事を知らなくとも、助ける理由には充分すぎた。
「そういえば、腰は大丈夫か? 痛めたんだろ?」
「痛めたつーか、なんつーか…」
 ひどく言いにくそうな様子の双夜は、暫く黙っていたが、答えた。
「痛みはもうない。さすがに三日も寝てりゃな」
「そうか。じゃあ動けるんだな。―――お前、エルヴィスってブラックスミスを知ってるか?」
「いや…、聞いたことないな」
 そもそも、鍛治屋の知り合いすら少ない。
「お前の帽子を拾ったらしくてさ。探してたぞ。あっちはお前を知ってるみたいだったけどな」
「帽子…、あ!」
 言われてようやく、双夜は気付いた。
 この家に転がり込むのに精一杯で、愛用の探偵帽をどこかに落としてきたらしい。
 どこで落としたのかも分からないが、拾ってくれた人間がいるのは助かった、と素直に思う。
「南によく居るから、尋ねてみるといい。金髪でウサギ耳のブラックスミスだ」
 アビスの言う南とは、臨公広場のことだろう。何度か双夜自身、臨時のパーティーに参加したことがある。あまりの人ゴミに、次第に寄り付かなくなったのは、バードとして問題なのかも知れない。
「分かった、行ってみる」


 その日も南の臨公広場は人だかりが出来ており、パーティーやらギルドメンバーを募集する看板を立てる者や、露店を開く商人ら、それを眺める者たちで溢れていた。中には、ただ談笑する者たちもいる。
 それらの中から、ウサギ耳の頭を探した。幸いウサギ耳をした頭は目立つため、この人だかりでも目につきやすい。
 座って看板を立てている、セージの女や、木陰から何かを熱心に眺めるアサシンクロスの男が目に入る。いずれもウサギ耳だったが、アサシンクロスに至っては、後ろにいたローグにバスケットを被せられた。それを見て、ぷっ、と双夜は噴き出した。
 その広場の端、ウサギ耳に金髪のブラックスミスが座り込んでいるのを見つけた。妙に子供に囲まれており、小さいアサシンとアルケミストが、親しそうに会話をしているのが目に入る。
 いや、小さいというより、子供だ。近づいてようやく分かる。双夜より三十センチは小さい後姿は、まさしく子供のものだ。
「ほら、そろそろ戻らないと、リヴァースさんだったっけ、心配するよ」
 宥めるようなブラックスミスの言葉に、子供たちが頷く。
「うん、ちゃんと話しておいてね。詳しい場所とか時刻とかは、かいを通じて決めるよ」
「じゃあな、ひつぎ。俺はよる探してから戻る」
 二人の子供がそのブラックスミスと別れ、双夜は空いた空間に立つ。バードを見上げ、鍛冶屋はいささか子供っぽい笑みを浮かべた。
「いらっしゃいー。…あ、ごめんなさい、弓は作れないんだ」
「いや、作成の依頼じゃなくて」
 露店に並んでいるものを見やり、呟く。製造ブラックスミスなのだろうか。銘居入りの装備が何点か並んでいる。
「俺の帽子を拾ったって、知り合いから聞いたんだ。アビスっていうアルケミスト」
「ああ、双夜さん?」
 ぱあっと顔を明るくさせて、ブラックスミスは喜びを表わした。確か名前はエルヴィスだったか。
「…ん、待て。なんで俺の名前知ってんだ」
 引っ掛かりを覚え、双夜はすぐさまそう尋ねた。エルヴィスは少し気恥ずかしそうな笑みを浮かべ、頬を指先で掻く。
「聞いたんだ。セレナーデから。帽子拾ったのもセレの家で、プロンテラに来るついでに、教会のイピスさんって人まで届けて欲しいって頼まれたんだけれど、アビス君が知り合いだっていうから、伝えてもらったんだよ」
 僕、教会の人たちとは面識ないし、と鍛冶屋は付け加えた。
 なんとも言えない気分になった。酸っぱいような、苦いような、そんな気分だ。
 可能性として考えてはいた。寧ろ一番の可能性として考えていた。セレナーデのところに帽子を忘れていったことだ。
 脳裏をよぎる記憶に、軽く項垂れる。男と―――セレナーデと寝たことは後悔はないが、形容し難い気分で一杯だった。あんなにみっともなく、腰を振ってねだって、情けないと思う以上に気持ち良かったのが、どうしようもなく恥ずかしい。
 黙った双夜の様子を伺いながら、エルヴィスは「ん?」と首を傾げる。「なんでもない」と返してから、改めて尋ねた。
「その、本人は?」
「そろそろブルージェムストーンが切れるから、取りに来るんじゃないかなぁ?」
 代理購入してるんだよ、とエルヴィスは微笑んだ。
「確か十五時だったかな。セレは時間守るから、きっともう来るよ」
「いや、別に俺は会いたいなんて―――」
「俺が何だって?」
 背後からの声に、びくりと身体を震わせた。
 振り返った、その先に、予想通りセレナーデが立っていた。
 相変わらずの赤い髪を結ったプリーストは、双夜の姿を認めると、帽子を一瞥した。
「帽子、届いたみたいだな」
「つい今だよ」
 問いに答えたのはエルヴィスだった。鍛冶屋と取引しつつ、セレナーデはちらりと双夜を見遣る。
「身体は大丈夫か? 特に腰とか」
 にやり、と意地悪い笑みを寄越し、そんな事を言う。思わず顔を赤くして叫んだ。
「ばっ、か!」
「俺はあの時、墓石に身体をぶつけたのを心配したんだが?」
 喉で笑いながら言うあたり、それは建前なのだろう。
 返す言葉を懸命に捜しながら、双夜は目一杯にセレナーデを睨みつけた。
「ぜんっぜん平気だ、なめんなよ! あれくらい大したことねえよ!」
「そうか? なら狩りにでも行かないか。この間は歌ってなかったが、ブラギの詩くらいは歌えるんだろ?」
「ブラギも歌えないバードなんて、探すほうが大変に決まってる! よーし行くぞ、行ってやる。俺なしじゃ詠唱できない身体にしてやるよ!」
 まくしたてる双夜を見、セレナーデは口の端を上げた。
「それは楽しみだ」


 マグヌスエクソシズムは攻撃スキルである。
 悪魔と不死にしか効かない、聖属性範囲攻撃。威力は魔法攻撃力に対して1.0倍だが、特筆すべきはその攻撃回数である。
 十回を十セット。最終的に五十回もの攻撃を範囲内のモンスターに与えるというのだから、悪魔や不死にとっては、さぞ恐ろしいことだろう。
「アユタヤの遺跡か…。随分久しぶりだ」
「俺は来たことが殆どないな」
「俺ここ好き。雰囲気いいしさ。マグヌス使いと狩りすんのも久々だ」
 装備などの用意を済ませた双夜に、セレナーデはそう答え。久しぶりのアユタヤの光景には心が躍った。
 大陸から船で渡る、アユタヤという名の異国には大規模な遺跡があり、この手の遺跡には定番の悪魔や不死が住み着いている。
 セレナーデが退魔師であることは知っていた。だからこそ、マグヌスエクソシズムを主体に狩りができる場所を探そうとした時、このアユタヤ遺跡の話が出たのだ。
 ご丁寧に、そんな異国の街まで、カプラ嬢は各種サービスを提供してくれる。
 ふと、脳裏に思い出がよぎる。
 同じ退魔師。とても好きになってしまった人。
(あー、やべ、この思い出を引っ張り出すのは良くない)
 記憶を振りきろうと、未だ準備を終えていないセレナーデに声をかける。
「沈黙状態にしてくる奴がいるから、ピアレスあったほうがいいぞ」
「緑ポーションで充分だ。少し買ってくるから、先に遺跡に入ってろ」
 果たして緑ポーションで大丈夫か…? と、しばし不安に思うが、頷いて街を出た。何度か来たことがある、盆地の下にある遺跡を見下ろし、ゆるやかな崖を滑って降りた。
 茂みから現れ、威嚇してきた巨大な昆虫―――ビートルをバイオリンで叩き割ると、遺跡の入口まで歩いた。
 その古代遺跡は、入口が妙に狭く、人一人がようやく通れる大きさだ。だが中に入れば一転、広い石造りの広間に出る。
 いくつもの通路に、巨大な落とし穴。こつん、と響く自分の足音を聞いても、音の響き方からして、相当の広さを持つのが判る。
 この巨大な遺跡は二層に分かれており、入ってすぐは迷路になっていた。
 覚えている道順を辿り、最奥に辿り着いたところで息をつく。アーバレストに不備がないか点検し、矢や消耗品が充分にあることを確認する。
 入口にあった落とし穴と同じつくりのものが、この迷路には幾つかあった。遺跡内が暗いせいもあり、底は伺い知れないが、落ちると危ないかも知れない。
 そんな風に、穴を眺めていた、その時のことだった。
「えっ」
「げ…」
 双夜自身の声と、重なるもう一つの声。
 突然、穴の上に現れたセレナーデの声。
 テレポートを使ったのだろう。アコライト系の職業は、そのスキルの中にテレポートがある。範囲内を瞬間移動するスキルだが、移動先まではコントロールできない。故に何度か唱え、目的地までの距離を狭めるように使う。
 いきなり目的地に移動できたのは、なかなかに運がいい。それが穴の上でなければ。
「っく、…!」
 セレナーデの腕を掴み、引っ張ろうとするより先に、穴に落ちる強い重力がかかる。お世辞にも力は強くない、体重も重くない双夜は、勢い良く穴に引っ張り込まれる。踏ん張る力が足りず、尻餅をついた身体が足元から穴に入ってしまった。
 腰を打ち、悲鳴を上げそうになったのを堪え、眉を寄せて片手が穴の端を掴む。二人分の体重を支えるには、明らかに力が足りない。
「おい、離せっ…!」
「嫌だ!」
「お前も落ちるぞ!」
「嫌だっ、て…っば!」
 そう答えたが、グローブを填めた手がずりずり滑り。
 支えきれなくなった手が滑り、セレナーデもろとも穴に落ちてしまったのだった。


 記憶と夢が、重なって、ぶれる。

「一人でゲフェンダンジョンの三層に? 少し危険じゃないかしら」

 知り合いの女プリーストがそう言うのに、そんなことはない、と答えた。
 心配症の彼女は、それでも支援をつけたがった。
 その時―――確か、こう答えたっけ。

「退魔師がいい。…けど女は嫌だ」

 我ながら、大した、矛盾だ。


「……い、おい、双夜?」
 無遠慮に頬を叩かれる感覚に、ぱちりと目を覚ました。
 が、目を覚ましても辺りは暗いままで、瞼を下ろしているのと代わりがない。
「…!?」
 咄嗟に飛び起き、暗闇の中、壁とおぼしきものに肩をぶつけて唸った。
「慌てるな。身体は痛むか?」
「あ、ああ、少しだけ」
 打ち身で済むほどの高さなのだろうか。弓手の目は暗闇にも直ぐ様順応して見せた。ぼんやりとセレナーデの顔が見える。
 上を見上げれば、たいまつの火がうっすら見えるが、壁はつるつるに仕立てられており、登れそうには見えなかった。
「串刺しになんなくて、良かったと思うべきかな…」
「どうだろうな。助けが来なければ、餓死決定だ」
 ぽつりとした台詞に、セレナーデはそう皮肉を言う。
「そういうこと、言うなよな…」
 渋面で呟くと、それのことに関してセレナーデは何も言わなかった。
 沈黙が落ち、それが少し居心地悪く、誤魔化すように別の話題を探す。
「それにしても、テレポートで穴の上に出た奴、初めて見た」
「……悪かったな」
「責めてるんじゃない、純粋にさ、珍しいなって。何度か来たことあるけど、初めて見た」
 それは事実だった。闇の中、セレナーデが息をつく。
「まあいい。何度か来たって、イピスあたりとか」
 言われ、知り合いの女プリーストを思い出す。確かに彼女は退魔師であり、ペアでする狩場はこのアユタヤも含まれるだろう。
 しかし彼女は、殆どその特技を主体に据えた戦い方をしない。一人で狩りをすることも殆どないようで、請われてパーティに参加し、支援を中心に戦うくらいだ。もちろん相手が不死悪魔であれば、マグヌスエクソシズムも多用していくが、あくまで補助として用いる。
 それに実際のところ、彼女とペアで狩りをすることは、殆どなかった。
「いや、あいつとは殆ど狩り行かない。知ってるだろ、狩り殆どいかねーんだ、あいつ」
「久々だと言ってたな。他に退魔師の知り合いでも?」

 ぱちん、と記憶の中で火花が散る。

「昔、……まあ、嫁さんと」

 火花が強くなる。

「今は?」

 ばちんばちん、と煩いくらいに、頭の中にその音が響く。
 セレナーデの声が、少し遠く感じた。

「別れた」

 それがひと際大きく弾け、何かがふっとぶ。

「もともと、契約だけの関係だったんだ」
 気付けば、口が勝手に開いて、話していた。
「俺は強くなりたくて、彼女は自分の使命を果たすための手伝いが欲しくて。結婚すると、お互いに体力や精神力を譲れるようになるだろ。そういう契約の関係だったんだ。だから惚れちゃいけなかったのに、」
 気付けば心臓が思いのほか大きく、動いていた。それを胸の上から撫で、さらに続ける。
「俺はどんどん彼女にハマっちゃって。でも色々―――お互いの歯車が、狂っちまったんだろうな。上手く行かなくなって」
 そしてセレナーデが、返事をしないことにも気付いたが、止まらなかった。余計な相槌を挟むタイプでもない。
「彼女は国の法を破って、もっと強くなったけど。俺はそれが許せなくて、結局それが最後のひと押しになって、別れちまった」
 しん、と空気が静まる。セレナーデも言葉を捜しているのだろうか。双夜もまた、言葉を捜して戸惑っていると、その沈黙をセレナーデが破った。
「今は、どうしているんだ、そいつは」
 それは静かな、問いかけだった。双夜もまた、静かに答えた。
「さあ、今もどっかにいるんじゃね?」
「淋しかったか?」
「…どうだろうな。別れる前はなかなか会えなくて寂しかったかも。しばらく姿くらませてたと思ったら戻ってきて、随分と人柄変わっちまってて。あの時からかみ合ってなかったのかもな」
 まるですべるように、色々と話していた。さらにセレナーデは問いかけてくる。
「今は?」
「もう終わったことだ、二度と会わない。向こうもそれを望んでないし…、元気でやってるなら、それでいいや。最後はいろいろあったけどさ、お互い話をして表面上だけでも納得しあった」
 なぜこんなことを、話しているんだろう。そう思いつつも、口は止まらない。
「楽しかったし好きだったし、それは本当だから、その部分は大事にしたい。…過去として」
 ついに最後まで話してしまった。と双夜は思った。少しのバツの悪さと、誰かに聞いてもらいたかった心が少し複雑ではあった。
 誤魔化すように、少し明るく、
「あんまいい話じゃないし、俺が話してばっかだな」
「だが、こういう時でもないと話せないだろう」
 あくまで冷静なセレナーデの声に、素直に「そうだな」と言う。
 また暗闇に沈黙が降りたが、今度は存外早く打ち破られた。
「ふむ…、俺も何か話さないと不公平だな」
 ぽつりと、よく響く声。自然とそれは、双夜の興味を引いた。
「お前の過去の話?」
「興味あるか?」
 にやりと笑うセレナーデが、目に浮かぶ。暗くて表情は伺えないが、きっとそんな顔をしているに違いない。
「ある。聞きたい」
 すぐさま、双夜は答えていた。








Special Thx. セレナーデの中の人