それは今から、少し過去の話。

 無様に倒れている男のブラックスミスを、セレナーデはじっと見下ろしていた。
 ウサミミのヘアバンドをつけた、金髪のブラックスミスである。倒れてはいるものの、怪我は大して酷いものではない。
 ただ、その表情には生気がなく、虚ろな顔でただ、空を見ていた。
「起きるか?」
 倒れた者への、お決まりの問いに、ブラックスミスは暫く答えなかった。が、ややあって口を開いた。
「とられちゃった…」
「ん?」
 一応ブルージェムストーンを懐から出しながら、予想とは違う鍛冶屋の返答に聞き返す。
「よく臨時で一緒になった人が、壁してやるって。だから装備を貸してくれって、言われたんだ」
 嫌な予感、とセレナーデは思うが、黙って佇む。
「相手が壁になるなら、当然だなって…」
「…持ち逃げされたのか」
「…友達だと、思ってたのに」
 要約してため息をついたセレナーデの言葉に、鍛冶屋は嗚咽を漏らした。
 装備品には思い出が詰まるものである。それを持ち逃げされれば、誰でも悲しくなる。
 なにより、友だと思っていた人間に裏切られれば、傷つくのが道理。
 ともかく起こそうと、石を出した時、
「リヴァルさんから貰ったものも、持ってかれちゃったし…、どうやって謝ろう…」
「……なんだって?」
 ぴたり、と動きを止めたセレナーデの手から、ブルージェムストーンが一つ、落ちた。


「それ、エルヴィスか」
「ご名答。リヴァルを探して、あちこち回ったことがあってな。その時は龍之城前のフィールドで、辻支援しながら回っていたら、倒れてるエルヴィスを見つけた」
「リヴァルって?」
「それは…」


 当然のことながら、現在プリーストであるセレナーデには、アコライトだった時代がある。
 冒険者、特にプリーストやアサシンにはよくある話しだが、身寄りがなくなったところを引き取られて―――というアレである。
 モンクよりはプリースト。支援型や殴り型よりは退魔型。もちろんINTをガン振りし、当時十代だったセレナーデは、グラストヘイムにあるカタコンベへ修練にやってきたのだった。
 アコライトが一人でやってくるには、中々の背伸びである。が、狩れないことはない。
 不死どもはどれもこれも足が遅く、逃げ撃ちもできる。そうしてゾンビの囚人を焼いていた時、不穏な羽音に気付いた。
「…?」
 崩れ落ちたゾンビから、レッドジェムストーンを拾い、振り返る。身体の赤いハエ―――ハンターフライが、その飛行速度の速さで、セレナーデに迫っていた。
「うわっ!」
 初撃をなんとかかわしたが、方向転換したハンターフライが第二撃にかかる。尾についた針が電流を帯びるのが見えた。風属性攻撃だ。
「危ない!」
 声は突然だった。
「クァグマイア!」
 地面が波打ち、石畳が魔法でできた沼に変わる。緑がかったその沼から、いかにも粘着質らしい見た目の液体が伸び、それは餅のように尾を引きながら、ハンターフライを絡め取った。
「コールドボルト!」
 タゲ取り用の弱いボルトがハエに打ち込まれ、ハンターフライは標的をセレナーデから、くると向きを変えて、向こうに立っているウィザードに向けた。
 銀色の髪を、後ろでポニーテールにしている、片目眼鏡のウィザードだった。ハンターフライがその攻撃で、頭のシルクハットを掠める。
「ファイアーウォー…いてっ、いてててて!」
 火の壁を発生させる詠唱を、ハンターフライによって中断させられ、針で突かれたウィザードは、慌てて距離を取った。
 高レベルの前衛や弓手ならばともかく。大概の冒険者にしてみれば、ハンターフライの存在ほど、鬱陶しいものはない。羽がある分、移動は素早く、またその攻撃速度も同様。まさにお邪魔虫。
「ひ、ヒール! ヒール!」
 未熟なヒールで支援されながら、そのウィザードはたっぷり三分掛けて、ハンターフライを沈めたのだった。


「このウィザードがリヴァルでな。それが初対面だった。訳あって、こいつと一緒に住むことになった」
 訳? と双夜が問いかけると、「長くなるんだが」と前置きしたセレナーデが、軽く吐息をつく。
「カタコンで助けてもらった時は、そこで別れたんだよ。けど」


 いつものように、教会の先輩プリーストに、影に連れ込まれて。
 抵抗することも、とっくに諦めて、その快楽をやり過ごしていた時に、
 あのウィザードが、遠目に見えたんだ。
「おいセレナーデ、もっと腰振れよ、ほら」
「……っ」
 突き上げられるのに、声を抑えながら、あのウィザードから目を逸らした。
 このプリーストに見つかると、あの魔術師まで何をされるか分からない。
 それに、こんな姿を、自分が今どんな表情をしているのかを、
 見られたく、なかった。


 そこまで話す頃には、双夜はすっかり沈黙していた。
「見ない振りをして、リヴァルは去ってったんだけどな、その後、俺を引き取りたいって、教会に尋ねてきたんだよ」
 未だに真っ暗闇の中、嘆息するセレナーデの声。
「アコの時代から、先輩たちに強姦されるばっかりだったし、引き取られて、それからは平和だった。プリーストにもなれたし。けど、」
「…けど?」
「いなくなったんだよ。行方不明になった」
 声を顰め、そう呟くように言ったセレナーデに、双夜は「えっ」と思わず声に出していた。
「なんの前触れもなく。それが大体五年前で…、それからあちこち、探しまわってる。エルはリヴァルの従兄弟らしいがな、どこに行ったのかは、あいつも知らなかった」
「………」
「エルヴィスも商売がてら探しているようだが、いまだに手がかりはない。まあ、俺はワープポータルとか速度増加とかで…足はあるからな」
「……」 「もう、五年探している状態だな」
「…う」
「う?」
 話を遮るように、双夜の呻き声が聞こえ、セレナーデは怪訝な様子で聞き返した。
 すると次の瞬間に、
「うああああああああああああああああん!!」
 大声で泣き始めたのだった。さすがのセレナーデも驚き、慣れてきた暗闇を半分手探りで、そこにいるバードの顔に触れる。やはり泣いている。
「どうした」
「…って! だって!!! あんまり……っく、お前の身の上が、…かなっ、悲しくて…ひぐっ、っう、うう…」
「自分のことじゃあるまいし、泣くことも…」
「泣くに決まってるだろ! かわいそうじゃん!!」
 涙声で反発し、セレナーデの法衣をぎゅっと掴んだ。
「声、枯らすぞ」
「っせ…」
 袖で涙を拭っているのが分かる。
 ふと、セレナーデは問いかけた。
「双夜。お前は、俺に、何を求めてるんだ?」
「…? いきなり、難しいこと言うなよ…」
 ぐずりながら、それでも反応は返ってきた。
「そうだな、急ぎ過ぎた」
「…心が欲しい」
 ぽつりと。呟くような。
 しかし暗闇の中で、双夜はじっと真剣な目を、セレナーデに向けていた。
「遊び歩く俺を? 誰とだって寝るし、誰にだって抱かれるぞ?」
「しょーがねーだろ、理屈じゃねえんだから。なんかわかんねえけど、気づいたらお前が良かったの」
 恐らくは、このバード自身も戸惑っているのだろう。そんな様子で。
「心をやっても、続けるかもしれんぞ? それでもか?」
「言っただろ、理屈じゃないって。あいつは誰とでも寝るからやめとこ、で終わらせる気はないんだよ」
 大分涙声が収まったのか、先ほどよりもしっかりした返答。落ち付かせようと大きく息を吸って吐いたのが聞こえた。
 しばらく、暗闇に沈黙が落ちた。
 ややあって、プリーストは口を開いた。
「…半分だけ、半分だけならくれてやる。今はまだ、な」
 この言葉から、また少しして、返答。
「人間過去があって今があるんだし、忘れられない人の一人二人…、俺にあるんだから、お前にもあるだろ」
「まぁな」
「だから今は半分でいい。そのうち全部もらいにいく」
「半分を返せと言われたらどうする?」
 疑問から、問いかけ。双夜はさらりと、返した。
「そんときゃ謹んでお返しする」
「ほぅ? 譲るのか」
「無理矢理もってても、意味ないだろ」
 そうだな、と返答し、セレナーデは穴の中で、壁に身体を預けた。
「まぁ安心しろ。忘れられないとか、そんなんじゃない。寧ろ、恋愛の意味で好きだったのかどうかも微妙だ」
「じゃなんだよ」
「分からん。だから確かめようとした時に、その人が消えた。死んでるのか生きているのか、冒険者のままなのかすら分からん」
 また泣くんじゃないだろうな、と様子を探りつつ。
「だから探している。もし死んでいて、死者となっていたら俺が浄化する。その為のターンアンデッドだ」
 ふ、っとセレナーデは息をついた。 「だが…そうだな。そろそろ会えそうな気がする」
 それを聞きながら、双夜はいくらか複雑な気分だった。
 理屈じゃないこの気持ち。
 言葉をつけるほど、自覚していなかったのに。
(しかも、また退魔師)
 はぁ、と溜息をついた時、こつんこつん、と小さい足音が響いてきた。
 ぴくん、と双夜のエルフ耳が動く。
「人?」
 手探りでバイオリンを探し、弦が無事なのを確認すると、その手が演奏を始めた。
 ブラギの詩だ。
 さすがバードである。戦場で楽器を弾き、歌う度胸は大したものだ。緊張して演奏にブレが出るかと思いきや、それは素人のセレナーデが耳にしても、大した演奏だった。
「……、誰かいるの?」
 こつん、と音。この声は。
「イピス!!」
 ぴたり、と演奏が止まり、セレナーデが声を張り上げた。
「セレナ…、双夜くん!」
 見上げた穴の上から、よく見知った女のプリーストが、二人を覗き込んでいた。


 また、まただ。
 また退魔師。
 俺は、もうマグヌス使いなんて、好きになるのは、やめようと思ったのに。
 それでも、そう、
 理屈じゃない。








Special Thx. セレナーデの中の人