「いつもの一杯」
 馴染みの店、馴染みのマスターから、やはり馴染みの酒を一杯注文するとすぐさまそれは出てきた。
 気が向いた時に立ち寄るその酒場は、少し照明を落とした落ち着いた雰囲気が人気だった。連れがいる客はテーブル席で密やかに談話し、一人で来ている客はカウンターに数人いる程度だ。
 男はカウンター席に座っていた。砂色をしたマントを身につけている詩人である。酒の入ったグラスを傾けていると、隣にいた客がふらりと寄りかかってきた。
「おっと」
 酒が零れないようにバランスを取り、寄りかかってきた客を見遣る。少し文句でも言ってやろうと思ったが、隣の客はどこか危なっかしい動きでカウンターに力なく凭れた。
 ひどく酔っているのだろう。フラフラとしていて頼りがない。羽織ったマントで身体が大きく見えたが、中身はそれほどでもなかった。服装からして魔術師のようであるから、華奢で当然と言えば当然だ。
「おい、大丈夫かアンタ?」
「……うるさいな」
 返って来たのは、随分とか細い反論だった。顔は真っ赤で目も虚ろだ。なのにまるで親の敵のように酒を煽っている。
「あんま飲み過ぎるとよくないぜ。いい男が台無しだ」
「……関係ない」
 埒があかない。すると見かねたマスターが、こそりと耳打ちしてきた。
「お客さん、飲み終わったらで構いませんので、この方を外にでも連れていってもらえませんかね……。もうずっと飲みっぱなしで……」
「俺がぁ?」
 反論してはみたものの、マスターの困り顔に同情し少し考えてから溜息をついた。バードは赤茶の目を細めて、「わかったよ」と答えを出した。
 気持ち早めに酒を飲みきり、バードはその魔術師の男を連れて店を出た。マスターには飲食代をツケにしてもらったこともある。その恩もあるし、たまにならこういうのも悪くなかった。
 意識が朦朧としてきたらしく、ろくに歩けない男を背負って歩く。唸る声が背中で聞こえ、その背中に声をかけた。
「酔いつぶれるまで飲むなんて、無茶すんなよ」
「……うるさい、なめんな」
「じゃあなんでそんなに飲んだんだよ。あ、分かった。色恋沙汰だな?」
「…………」
 否定はなかった。図星だったのだろうか。沈黙が妙に痛く、いつもならここぞとばかりにからかうところを、バードも沈黙で通した。
 ほんの少しの沈黙。だが、
「……少し前に」
 舌足らずの口調で、ぽつりと魔術師の男はそう切り出した。
「……愛してるって、いわれた」
 話し始めた魔術師に、バードはその話しを繋いだ。 「へえ。相手はどんな女? 可愛いのか?」
 当り障りのない質問をしたつもりが、魔術師は黙り込んだ。しかし少しして、質問に答えた。
「……男」
「……へー」
 予想以上には驚かない自分に感謝する。
「それで?」
 促すと、魔術師はたどたどしく続けた。


「ちょっと待った」
 呼び止められて一夜が振り返ると、先の依頼でパーティーを組んだアサシンが立っていた。
 それはそもそも気の進まない依頼だった。早い話が裏切り者のアサシンを探して処分するという、後味の悪い依頼であったからだ。
 組んだのは、今呼び止めたアサシンの男と聖堂から派遣された女のプリースト。そしてウィザードの一夜だった。
 首都のはずれで依頼の報酬を受け取り、踵を返したその時に不意に呼び止めてきたのだ。
 不機嫌を露わにして、その暗殺者に応えた。
「なんだ」
「一夜さん、もう少し俺につきあってよ」
 煩わしいのを隠さず表情に出したつもりだったのに、そのアサシンは笑みを崩さなかった。組んだ時から今に至るまで、そのアサシンは余裕のある笑顔を崩さなかった。それがまた余計にイラつかせた。
「タダで付き合うつもりはない。今回だって、ギルドからの依頼がなければ組まなかったんだぞ」
「りんごあげましょうか」
「りんごなんかで買収されるか!」
「じゃあ、銀の指輪とか」
 アサシンは自分の持ち物を思い浮かべながらだろう、そう云う。
 指輪ならば、売れば幾らかの金にはなる。ちょっとした頼まれ事なら妥当なセンだろうか。
「……まあ、それなら少し付き合ってやってもいい」
「男から男への指輪でいいんだ?」
 自分で言い出したくせに、アサシンはそう笑った。それが妙にカンにさわり、拒絶の代わりにくるりと踵を返す。
 早足でその場を後にし、追いかけてくるアサシンを振り切ろうと教会の裏側に回る。
 後ろを振り返って姿がないのに安堵したところで、ふと彼がアサシンであることを思い出した。念のためと口早にサイトを唱えた瞬間、背後から伸びた手が一夜の口元と腕を押さえた。
 やはり背後にいやがった。これだからシーフ系はと思っていると、少し甘えた声が耳元で響いた。
「どうしてもダメ? 俺もうちょっと強くなりたいから、狩りに一緒に来て欲しいんですけど?」
 手が口元から離れる。けれども強く掴まれた腕は離れない。嫌そうに身じろいでも、それは変わらない。
「何で俺なんだ。一緒にいたプリーストにでも頼めばいいだろう」
「いや、俺は一夜さんのほうが」
 にこにこと掴み所がないその様子に、どことなく戸惑いを感じた。
 魔術師として、頼み事をされたことは山ほどある。同時に飽き飽きもしていた。
 幼い頃から家で言われたことや、ギルドで生活して望まれること。
 強くなって立派になって、家の血筋に恥じないように。その才能を己ではない誰が為に。そればかりで――。
 こいつもそうなのかと、そう思ってこう言った。
「……狩りは、行きたくない」
 それで他を当たるかと思いきや、そのアサシンは、
「じゃあ雑談でも」
 と笑み、一夜はさらに困惑した。
 腕がようやく放され、二人して教会裏の影に座り込む。
 雑談と言っても何を話すというのだろう。職も生い立ちも何もかも違い、共通項がない。第一、このアサシンのことは、依頼を受けてパーティを組むまでは何一つ関わりのない人間だったのだ。
 だがアサシンは、相変わらず笑んだままこう言った。
「一夜さん、猥談でもしましょうか」
「……は?」
「だって、男同士でするなら猥談でしょ」
 さらりと言ってしまう目の前の男に、こめかみがぴくりと動くのが分かったがそれは堪えた。
 別に女を知らない訳じゃない。その手のことで馬鹿にされるのは、なんとなく矜持が許さなかった。
 拒否しないのを見遣り、男は続けた。
「今まで付き合った子って、どんなでした?」
 聞かれて脳裏を過ぎたが、すぐに振り払った。必要以上の記憶は思い出さないほうがいい。特にこういう思い出は。
「別に、普通だ」
「乗っかってもらったりした?」
 にこにこ笑いながら、さらにとんでもない発言をした。それが何を指すのかは分かる。さすがに顔が赤くなる。
 まだだ。降参するわけにはいかないと目を逸らした。少し小声にし、
「まあ、な……」
 と返答する。 「そういうのが好きなんですね?」
 さすがにその一言には、かっと顔に血が集まるのが分かった。
「ちがっ……!」

 ――反論しかけた瞬間、暗殺者の血なまぐさい手が、再度一夜の口を覆った。

「ねえ一夜さん。ウィザードって呪文を唱えないと魔法が撃てないですよね」

 ゆっくり顔が近寄ってきて、改めてその男をよく見た。

「じゃあ口を封じれば抵抗できないわけだ。力では敵わないでしょ」

 短い白髪は日影で目立つ。目は相反するような黒で、穴のようだ。
 彼の言うとおり、前衛に力では敵わない。
 相手は暗殺を生業とするのだ。表情は笑んでいても目が笑っていない。暗殺者……人殺しの凄みが噴き出すように空気に滲む。下手に動くのすら恐ろしかった。

「例えばこんな風に、とか」

 首筋に顔を寄せたのを見遣り危機感を覚えた。このまま噛み殺されるのではと思ったが、目の前の男は首筋をすーっと舐め上げた。
「――っ!」
 身体を震わせずにはいられなかった。口元の手が離れ詠唱しかけた口に、アサシンは口づけた。
 舌が搦められ、頭に浮かんだ呪が消えてなくなった。せめて抵抗をと上がった手も、あっさりと手首を抑えらる。
 何がなんだか全然分からない。
 だけど、けれど、これじゃまるで、
 恋人にするようなキスじゃないか。
 口づけはたっぷりと二分は続いただろうか。途中息継ぎを挟むものの、容赦のない追撃に息が上がり苦しさを身体が訴えた。求めに求められ、ちろちろとした繊細な舌の動きが性的だった。 「もう抵抗しないですよね?」
 唇を離した彼は意地悪く笑った。胸元に顔を倒して、暗殺者が鼻を動かした。
「あー……、一夜さん、いい匂いする」
 アサシンのセリフに、「女じゃあるまいし」と一夜は思ったが、突如されたことにびくりと身体を震わせた。相手の利き手がそっと胸に触れる。心臓の上に指が触れただけで、殺されるのではないかと思ってしまうが、そっと撫でる動きは命を奪うものではなかった。
 もう片手、硬い指が服の下に潜り込んで背中を撫でる。するりと臀部まで滑り、さらには後ろの口に触れた。
「ちょっと待て、どこ触って……!」
「柔らかくしないと痛いでしょ? 挿れられないよ?」
「誰がそんなことしていいなんて言った! 挿いれなくていい!」
「いいのかなぁ?」
 自分でも知らない内に勃たせていた男性器を、白い髪のアサシンは指で弾いた。言葉にならない刺激が走る。
 そして耳元に口を寄せた。ひっそりとした囁き声。
「淋しいんでしょ、一夜さん。だから会ったばかりの俺なんかに簡単にヤられちゃうし、キスだけで勃たせてたいした抵抗しないんでしょ?」
 図星だった。
 確かに淋しかったのだ。求められるのは魔術師としての自分ばかりで、一人の人間として求められたことが記憶に殆どない。様々なものが遠く、どこまでも独りきり。
 知らず涙が零れそうになり、それでも理性は抵抗を示した。唇をしっかり結び、涙を堪える。
 しかし相手は、それが却って楽しそうだった。
「まあ、一夜さんは自尊心高そうだしね。だから最初は、優しくしてあげるからさ、ね」
 ふわりと頭が撫でられ、それが妙に優しい。こんな状況でとは思うのに不思議と安堵し、僅かにだが余分な力が抜ける。
 そこに妙に甘い匂いがしたと思うと、冷たい液体と共に指が体内に入り込んできた。ぴんと反応した身体が背筋を伸ばす。
「なに……、つめた……っ」
「なかなか理性手放してくれそうにないからさ。ちょっとこれで乱れてよ」
 優しさの直後に見せる残虐さが、胸に突き刺さる。
 暗殺者とは古来より薬を用いる。毒薬はもちろん、その種類は多岐に及ぶ。
 この香りはまさか、媚薬か何かなのだろうか。予想を何段階も飛び越えた展開に、理解が追いつくのがやっとだった。
「やっぱり男は初めて?」
「この、馬鹿……っ!」
「褒められた」
 精一杯の罵りも、可愛い抵抗だと思ったのだろうか。
「その馬鹿に指つっこまれて、もう息あがってるのは誰かな。先もすごい濡れてるし」
 じわじわと言葉責めをされて、恥ずかしさに身じろいだ。何より熱が上がってきて、じっとしてなどいられない。
「もう腰振ってんの? 仕方ないなぁ、挿れてもいいけど痛いかもよ」
 何が仕方ないって? そう普段なら問い詰めてやるのに。
 言うが早いか、引き抜いた指に代わって比べものにならない位に強い圧迫感が襲ってきた。足を抱えて、背中に触れる教会の壁に身体を押し付けられる。身体ごと抱えるように足を開かせて、男が男根を下から挿入してきたのだ。
「いっ……、あ、はぁ……っ」
 痛みは勿論あった。けれども痛みに悶えたところで、逃げ場はなく体重もあって余計に深く繋がるだけだった。
「……うん、可愛いなぁ……。そんなに俺の、気持ちいい?」
「ん……やめっ……」
 相手が吐息混じりの上擦った声を出してきて、なんとも言えない気分になった。優越感と屈辱と、淋しさが肉欲で満たされる感じが虚ろだった。
 自分の息切れの合間に教会の鐘が響いて、今いる場所を思い出すと背徳感を感じずにはいられない。
 下から揺さぶるように突き上げられ、嬌声をあげる。ひどい感覚に頭が痺れて、気付くと腰を振ってさらに深く繋がろうとしている自分がいた。
 みっともなく開けた口から唾液が流れようと、自分のモノから流れるものが足を濡らしても、ただ喘いで乱れ貧っていた。
 驚いたのは、思ったよりも快感に弱い自分だ。
 腰を振るどころの話ではない。少し焦らされただけで狂ったようにせがむ自分は、後から思い出すと別人だとしか考えられない。
 結局、夕方から夜まで、その秘め事は続いた。


 自分が何度達したかは分からないが、相手も二度はイっただろう。
 こちらが乱れてあられもない姿を見せるほど、相手は喜んだようだった。最後のほうなど意識なんてほとんどなかったが、それでも完全に気を失わなかったのは、今となっては安くなり下がったプライドのお陰だろうか。
 背中に爪を立てしがみ付いていた手が離れる。もう手の感覚がない。痺れてまるで他人の手のようだった。
 そんな自分を支え、そのアサシンは唇で熱い体を慰めてくれた。そしてぼそりと、何かを言った。
「――――」
 そのセリフに、はっとする。
 耳を疑った、けれども……。


 もしかしたら、あれは自分の聞き違いだったのかもしれない。
 愛してるなんて。そんな単語が出てたまるか。
 だけど、それを聞いて期待した自分がいるのも事実で、それがまた腹立たしくて。
「それで?」
 紅い目と髪のバードは、そう促した。話をしているうちに意識がはっきりしてくるほどには、酔いが覚めてきた。よく見たら自分はそのバードの背におぶさっていた。
「……約束なんかしなかった。けどあいつは、いつも教会の裏で待ってた。……多分、俺もそれを期待して見に行った。何度も抱かれた」
 そう、それが嬉しかったのもまた事実だった。淋しいと思った時に、いつもそのアサシンは居たから。
 しかしある日を境にして、彼は教会の裏に来なくなった。
「少しして、結婚したんだと知った。……女の、プリーストとだ」
「それで、モヤモヤのぶつけどころがなくて、酒に逃げたっと……」
 こくり、と素直に頷けたのも、多分まだ残っている酒のせいだろう。
 やれやれと赤毛のバードが息をついたところで、背中の魔術師は髪を引っ張ってきた。
「いて」
「降ろせ。もう一人で歩ける」
 強引に家まで送ることくらい、バードにはできただろう。だが大人しくその魔術師を降ろした。少しふらふらとしているが、思ったより足取りはしっかりしている。
「戻ってまた飲みに行くんじゃないよな」
「……帰るさ。世話かけたな」
 くるりと背を向けるその魔術師に、バードは声をかける。
「待てよ。名前は?」
「……一夜。宮城一夜」
 いちや、とその名前をバードは小さく復唱した。
「またあの店に来いよ、一夜。話くらいなら聞いてやるからな」
「……酔狂なら遠慮する」
 冷たく……いや、冷たく努めて言ったその魔術師に、特に何も言いはしなかったものの。背中を見送りつつ、次にまた会える予感をそのバードは感じていた。