その時間は、永遠に続くものだと思っていた。
 恋人でもなく、相方ともはっきり認めてもいないプリーストは、それでも傍に居た。約束しなくとも。
 はっきりしなかった俺の態度は、彼にとっては―――、生殺しだっただろうか。もしかすると、俺は彼の好意を利用していたのかも知れない。
 きっと、そのツケが、回ってきて、
 黒塗りの槍が、彼を貫き、そのまま倒れ。
 深淵の騎士が槍を引き抜くと、びくりと腕や―――身体が震えて…。
 訳も分からぬまま、そんな痛み、苦しみだけをたっぷり味わって、死んでいったに違いない。
 そんなヴィスの夢を見る。
 何度も、何度も、俺の名前を呼ぶ、あいつの夢。


「一夜」
 呼ばれた声にはっとすると、予想通りにヴィスが立っていた。
 分かっている。これは幻覚だ。未だに染み付いている記憶が見せる、夢。彼は死んだのだから。
 既に彼がいない、その苦しさから抜け出せなくて、痛みが見せるゆめ。
「いっちゃん?」
 ふと、女の声が耳に入った。それと同時に幻が消える。
 そこは教会の裏だった。ただし昼の。
声を掛けてきたのは、女のプリーストだった。赤く短い髪をした、幼い顔立ちのプリースト。勿論顔見知りである。
 なぜだろう、女のプリーストは皆、そんな気恥ずかしい愛称で呼びたがる。
「ごめんね、急に呼んじゃって…。これ借りてた杖」
「ああ…」
 長らく貸しっぱなしだった杖を受け取る。クワドロプルバイタルロッドだ。マジシャン時代に愛用していた、HPを増加させる杖である。
 知り合った当初、未だ新米プリーストだった彼女には、役立つ品だっただろう。
「ちょっとここ離れられなくて…、ごめんね、この場所嫌だったでしょ」
「いや…」
 ヴィスとの思い出の場所には、あまり近づかないようにしていた。悲しい余り、先のような幻覚を多々見るからだ。
 だから彼の家にも寄り付いていない。友人のアルケミストに、管理を任せている。この教会裏も、―――最初に出会った場所だけに、否が応にも思いださせる。
 しかし彼女はヴィスの事を知らない。それでもこの場所が特別だと知っているのは、
「あ、一夜さんー」
 後ろから、ぎゅっと抱きつく腕と声。
「こらっ! いっちゃんにくっつくなー!」
 女プリーストが背後の人物を追い払う。離れた腕を追うと、ある意味、かなりのトラウマになっている人物が立っていた。
「久しぶりー」
 この教会裏で、以前押し倒してきた、白い髪のアサシン、その人だった。
 一夜の事を好きだと言っておきながら、このプリーストと結婚したアサシンである。
 彼女がこの場所のことを気遣ったのは、このアサシンがマスターを務めるギルドの溜まり場が、この教会裏だからだった。
 冷たく、そのアサシンを睨みつける。
「くっつくな」
「あ、冷たい」
 全く、と怒りのため息をつきながら、片手に持つ花束を振りかざした。
 既に枯れている花束である。受け取った時には、勿論色鮮やかな花束だった、それを、送り主に返す。
 即ち、目の前のアサシンにだ。
 何度かこの教会裏で抱かれた後、アサシンが一夜に贈った花束だった。
「ぶっ」
 顔面に花束を叩きつけられ、半壊した花束が落ちる。
「返す」
 ふん、と一息ついて、睨みつけつつ、一夜は言った。
「ひどいなぁ、一夜さん」
「酷いのはどっちだ」
 それでもまだ、貼り付けたような笑顔を浮かべているアサシンに、苛々と応える。嫁のプリーストも身を乗り出した。
「いっちゃん、ごめんね、この人でなしのせいで!」
「…別に、もう終ったことだ。二人は仲良くやってるのか」
「そのことで、実は来てもらったんだ」
 少し神妙になったプリーストが、俯きながら、言葉を振り絞る。
「わたしたち、離婚することにしたんだ。いっちゃんに見届け人になってもらおうと思って」
 アサシンも、ひとつ頷く。少しばかり言葉を失ったが、人と人の関係なんてそんなものなのかもしれない、と思った。
「…そう、か」
 そんな言葉が零れ、少し沈黙が落ちたとき、
「マスター!」
 と向こうからシーフの少年が駆け込んできた。アサシンが首を傾げ、それに応じる。
「どうした?」
「マスター、あの、おかしいんです、墓石が…」
「墓石?」
 それには女のプリーストが聞き返した。教会裏、すぐ見える範囲には、墓石がいくつも並んでいる。特におかしいところは見られないが―――、
 そうだ、この墓石のひとつに、俺のまだ、忘れていない人が眠っているんだな、などと一夜はぼんやり思っていた。
 次の瞬間、
「一度墓が荒らされた形跡が、残ってるんです、よく見ると!」
 身体が凍りついたような感覚を、一夜は覚えた。


 すぐさま、教会の人間がそれを聞き、やってきた。
 そうして、聞いてはいけないものを、聞いた。
 最近埋葬された遺体、その殆どが掘り返され―――、なくなっているのだと。

 ヴィスの柩は、空だった。


「よう、医者には行ったのか?」
「……いや」
 いつもの場所―――首都の西十字路で、やはりいつも通り露店を開いている友人に、一夜はそう応えた。
 友人のアルケミストは、少し表情を変えると、隣で眠る羊のホムンクルスを撫でる手を止め、座ったまま一夜を見上げる。
 定位置に露店を開いていると、自然と知り合いも増える。
 一夜はその中でも、古いほうに入る。互いが心地よい距離にいるからだろう。
 そんな長い付き合いだ、顔色だけで相手の気分が判る。それに今日の一夜は、見るからに青い顔で、何かがあったに決まっている。
「何かあったのか、言ってみろよ」
 啜っていたリンゴジュースを差し出すと、頷く余裕もないらしく―――それを一口飲み干した。
「…墓荒らし、なんて、どんな理由ですると思う?」
「ん? そりゃあ、色々あるだろうが…、中の死体に用があるからだろ?」
 突然の質問だったが、さらりとそう答えると、一夜は更に顔を青くした。
「頼みが…ある。教会の墓荒らしのことを調べて欲しい」
「…その話、もっと詳しく聞かせろよ」
 一夜は一つ頷いた。
 教会裏を溜まり場にしているギルドはあるが、さすがに墓石には近づかないようにしていたらしい。だから発見が遅れたが、この数ヶ月以内に埋葬された死体が、ことごとく掘り返されていたのだ。
 恐らく、埋葬されてすぐに掘り返されているだろう、というのが騎士団の見解だった。
「そりゃあ…あれだな、死にたての死体に用があったとしか思えないな」
 顎に手を当て、考える込むアルケミストに、一夜も頷く。
「死人のリストとかないもんかな」
「…調べてきた」
 羊皮紙に書かれたメモを差し出すと、アルケミストがそれに目を通す。
 そうしてリストの一番最後で、眉を寄せた。
「最後の名前は―――」
「アビス、言うな」
 語調を強く、一夜は言うが、
「ヴィス=シェロ、あのプリーストが…、一番新しい死体か」
 敢えてその名前を口にした。
 そうしてもう一度、メモを見遣る。その名前だけは、流れるような文字が、震えてインクが滲んでいた。
「…分かった、調べてやるよ」
「頼む」
 そうして背を向ける一夜を見、またメモに目を落とす。
「…死んでなお、ここまで一人の人間を縛るとはさ、罪な男だよ、全く―――」
 独り言を止め、いや、と思い直す。

 死んだから、余計にか、と。


 翌々日、一夜がやはりアビスを尋ねたら、さすがと言うべきか、既に調べがついていた。
「シュバルツバルド?」
「ああ」
 曇り空を気にしながら、アビスが頷く。露店の準備をしながら、とつとつと話を進めた。
「かなりの有力情報だ。いかにも怪しい荷物を持って、空港を通過した奴等がいる。多分、荷物は死体袋だ」
「空港を? イズルードからか?」
 首都の衛生都市、イズルードに縁はなかったが、一夜もその存在は知っている。シュバルツバルド共和国と交流が始まり、イズルードに飛行船の出着陸をする空港が出来たのだ。
「しかし検閲があるだろう。どうやって抜けたんだ」
「それだよ。金を掴まされた空港職員がいたんだ。そいつがゲロった」
 値札に金額を書き込み、露店をセットする。一息ついたところで、少し一夜を見上げる。
「行き先はリヒタルゼンだ。ジュノーから乗り換えたらしい」
「リヒタルゼン―――か」
 シュバルツバルド共和国の首都ジュノーを西南に行くと、鉱山都市アインブロック、そして企業都市リヒタルゼンがある。シュバルツバルドは飛行船で結ばれているため、そのまま乗り継いだのだろう。
「黒い噂もけっこう聞くぜ。冒険者が調査に行って、戻ってこないとかな」
 だから本当は、行かせたくないんだ。
 そうアビスの目が見ていたが、それをすっと見返した。
「わかった、行ってくる」
「おいおい、今からかよ」
 呆れたような声音を含みつつ、アビスが眉を寄せた。
「もちろん」
「ったく…」
 別れを告げ、その露店を後にすると、そのままの足でイズルードに向かおうと南に向かう、その途中。
 ふっと見覚えのある人影が、視界の影を掠めて建物に入っていく。
(今のは―――)
 つい後を追って、その建物に入ろうとすると、誰かにどん、とぶつかった。
「あ」
 高い背丈、うさぎのヘアバンドが動く。
「いちにゃーーーーー!」
「うわっ」
 そう、先の視界に留めたのは、リィンだった。
 うさみみと長く青い髪を振り乱し、そのアサシンクロスは場所を憚らず、ぎゅうぎゅうと一夜に抱きついた。
「いいところにいたっ! いちにゃ分補給しなきゃーーー! ぎゅーーー!」
「痛い、潰れる!」
 じたばたと暴れるが、リィンは少しも腕の力を緩めない。建物はギルドの溜まり場であるらしい。大手Gvギルドの面々である―――沢山のギルドメンバーらが、その光景に一斉に目を向けた。
「なになに、どうしたのその子!」
「その子…」
「リィンの隣に立つとちっちゃーい! 肌白いよー!」
「ちっちゃい…色白…」
「そんなにぎゅーってすると折れちゃうわよ! 身体細いし!」
「細い…」
 主に女性らの声に、ちくちくとコンプレックスを抉られ、つい復唱する。リィンはそれを知ってか知らずか、大きく頷き、
「うん、俺のいちにゃーー! およめさんーーー!」
「ぶっ!」
 大声で宣言した。
 辺りが一瞬、しんと静かになるが、その直後、何十倍もの声が重なり響いた。
「きゃーーーー!」
「嫁! 嫁だってさ!!」
「えっ、じゃああの子、男装した女の子なのかな!?」
「もーどっちでもいいや、リィンだしさあ」
「どっちも髪青いし、似合うんじゃない、うんうん」
 次々飛び交う声に、一夜は失神しそうになるのを堪えた。リィンはそんな騒ぎを見渡し、一通り満足してから、
「それで、何か用だった? それとも俺に会いに来てくれたあ?」
 抱きしめたまま見下ろされるのに、なんとなく一夜は顔が赤くなるが、
「いや、そういうのじゃない」
「ぶーーっ!」
 否定しておくと、リィンが口を尖らせる。
 いや、用があると言えばあるか、と思い返し、少し視線を漂わせた後、
「あぁ…、少し、宿を留守にする。いなくても心配しないでくれ」
「えーー、どこいくのぅ?」
「心配しなくていい。ちゃんと帰ったら、顔を出す」
「ぶーーーーーーーっ! 俺も一緒に行……」
「あんたはだめ!」
 一夜が否定をする前に、リィンと同じギルドのハイプリーストが背後から現れた。そのハイプリーストの女は、がっしりとリィンのマフラーを掴むと、恐ろしいほど気迫の篭った笑みを見せる。
「これから攻城戦でしょ! あと何時間だと思ってるの!」
「あーーん! いちにゃあああ!」
 ずるずると引きずられていくリィンを、半分呆気に取られながら見送り、服を少し正してその溜まり場に背を向けた。

「…いってきます」








Special Thx @Iさん