「…えっ」
「よく今まで、その身体で無茶してきましたよ。あなたウィザードでしょう?」
 目の前の女がそう言う。ウィザードの一夜は、その言葉に頷いた。
「魔術を行使するということは、―――魔術師のあなたなら判っているとは思いますが…、代償や反動があるものです」
 女は医者だった。眼鏡を少し上げ、息をつく。
「心臓が元々弱いようですし…、痛み止めも相当強いものを飲んでいましたね」
 そこはシュバルツバルドの首都、ジュノーだった。
 腕の良い医者を当たるなら、間違いなくジュノー、というのが世論であった。だから一夜も、わざわざ隣国まで足を運んだのだ。今は歩かなくとも、飛行船で手軽に行き来ができる。
 カルテにペンを走らせ、なおもその医者は続ける。
「すぐにとはいきませんが、薬で治るでしょう。ですが―――」
 ぱた、とペンを置き。
「私が許可を出すまで、魔術の行使を禁じます。蝋燭に火を灯す程度ならともかく、大魔法は一切禁止です。激しい運動も控えるよう。さもなくば、」
 眼鏡を指で押し上げ、女医はこちらを向くと、真剣な目で告げた。
「命の保証はできませんよ」


 思ったより危ない状況ということか。
 医者に言われ、ようやく一夜は危機感を覚えた。
 当分は狩りも止めなければいけないだろう。そう考えれば、ひどい恐怖感が襲ってきた。
 死ぬのも怖いが、魔術の一つも使えなくなった自分に、一体どれほどの価値があるというのだろう。
「お、来たな」
 空港のあるイズルードから、プロンテラに戻る。もはやお馴染みとなった場所には、やはりお馴染みの露店を出している、友人のアルケミストがいた。
 その友人がひらひら手を振る。応えるように近寄り、露店の前に立つ。
 青いポニーテールを揺らし、じっとアルケミストは一夜を見据えた。
「医者にこってり叱られたろ」
「そうかも知れない」
 問われ、そう応えると、アルケミストは苦笑した。
「俺もかなり叱られた」
 手紙を一通、ぴらりと見せる。几帳面な文字が並んでいた。
「…当分狩りは止めないと駄目だぜ。予想はとっくにしてたろうけどさ」
「…そうだな」
 顔を伏せて言う友人に、ひとつ頷いて答える。
 このアルケミストは、後悔しているのだろうか。一夜が無理を通し続けるのを、止めなかったこと。
 まるで他人事のように思っていると、彼は用意していたらしい薬―――恐らく処方に従って作られた錠剤―――を、差しだし、
「まぁ、すぐに平気になるさ。なあ?」
 と笑う。形だけ頷くと、薬を仕舞った。
「一日三回、食後に三錠。それから痛み止めは、今後こっちを使え」
 カートからまた一つ瓶を取り出す。こちらも錠剤だった。
「痛み止めは頓服だ。きちんと先に渡した薬を服用すれば、そんなに使うこともないだろ。前みたいに、痛み止めの量ばかり増えるなんてことは、…もうないといいな」
「…悪かったな」
 少し声をひそめ、呟く。
 自分の薬は自己責任、を貫くこのアルケミストだが、胸を痛めない事はなかっただろう。日に日に増える痛み止めを作るのは、紛れもない彼だからだ。
「なあ、アビ…」
「アビちゃん!」
 その錬金術師の名を呼ぼうとするより、一足速く―――、少女の声がそれを遮った。
「あ、」
 呼ばれた方を見遣り、アルケミストの顔に軽い驚愕の色が浮かぶ。が、すぐに表情が綻んだ。
「あびこっ!」
 錬金術師・アビスの視線の先には、一夜より幾らか背丈の低い、アサシンクロスの少女が立っていた。赤い髪に大きなリボン。おおよそ暗殺者には見えないが、似合ってはいる。
 そして今更、気づく。近寄ってくる足音がしなかった。声はもっと向こうからしたというのに。
 あどけなく見えても、暗殺者であることを指し示していた。
「お前、転生したのか!」
「うんっ! さっき転職して思い出したの」
「ここのところ見ないと思ったら!」
 感極まった様子で、アビスは軽く目尻を押さえた。アサシンクロスの少女も、はにかみ笑いをしながら、「ありがとう」と応える。
 なるほど、転生とは文字通り生まれ変わる訳で、大半の人間は、転生する前のことを暫く忘れているという。思い出して訪ねてきたのだろう。
 自分の事のように、喜ぶアビスを見遣る。そしてもう一度少女を見た。
 アサシンクロスか。
 一緒に住んでいる、恋人のアサシンクロスの顔を思い浮かべる。そこにいるような少女ではなく、一夜より随分背の高い男だが。
 医者に行ったことを、彼にも報告するべきなのだろう。まだ同居し始めて二週間で、持病のことは隠しているが、知られてしまうのは時間の問題だ。
 いや、もしかするともう、知られているのかも知れない。普段は子供とそう変わらないが、流石にアサシンクロスだ。観察眼は鋭く、判断力と決断力に優れている。既に看破されていてもおかしくない。
 盛り上がる二人の傍を、ゆるりと離れ、帰路についた。二人は思い出話に盛り上がっており、こちらに気づかないが、それでいい。
 自宅に戻り、鍵を開けて中に入る。
「リィン…?」
 家主の名前だ。うさぎの耳をつけた、アサシンクロス。その名を呼びかける。
 返事はなかった。気配もない。
 ああそうだ、今日は攻城戦の日だ。
 有名なGvGに所属している、あのウサクロは、重要なアタッカーであるらしい。ほぼ毎週、理由がなければ、攻城戦は欠かさず参加しているようだ。
 部屋で杖と荷物を降ろし、一息ついた。前衛の何十分の一もない腕力では、大した荷物も持つことはできない。よって軽い荷物だ。
 頭の上のたれ猫も降ろし、じっと顔を見る。ぬいぐるみの表情は、当然変わらない。
 その時、ぱたん、と戸口が閉まった音がした。すっかり気が抜けていたのか、びくりと身体を震わせる。
「リィンか?」
 問いかけ。廊下に出ると、黒衣がすぐさま目に飛び込んできた。アサシンクロスの衣装。間違いなくリィンだったが、頭にはいつものウサミミがなかった。
「いちやぁ…」
 呟く声には、荒い吐息が混ざっていた。どことなく、ふらふらして頼りがない。
 目を見て、一夜は震えあがった。
 普段は青い目が、両眼とも赤くなっている。それから蒼白…、いや、青ですらない、白だった。すさまじい顔色だった。
「どう―――」
 言葉を遮り、そのアサシンクロスに抱きつかれた。漂う血と毒の匂い。考えなくとも分かる。人を斬ってきた匂い。
「一夜、…ねえ」
 腕に力はなかった。外傷はなさそうだが、苦しそうな息遣い。
「抱かせて…」
 そんな身体で?
 疑問が口を突いて出そうになる。が、言えなかった。
 なんだろう、子供が縋りつくような、この表情。いつもの様子も子供じみているが、今は少し、違う。
 少しの迷いの後、頷いた。断ってはいけない気がした。彼のために。


 まるで獣だ。
 慣らすのもそこそこに、そのアサシンクロスは遠慮なく押し入ってくる。いや、遠慮する余裕がなさそうだった。
 ひどく興奮しているようで、何度も何度も突き上げてくる。我慢できずに、声が渇れそうなくらい啼いた。
 ただ、「やめろ」とか「嫌だ」とか、そんな事は一言も言わなかった。言えなかった。
 リィンがあまりに必死で、すがりついてくる、それを引き離す真似はできなかった。
「……や、いちや」
 軽く意識を失っていたのか、はっと気づくと、苦しそうなリィンの顔が、目の前にあった。青く長い髪が乱れている。らしくない姿だと、一夜は思った。
「寒い…」
「寒い…?」
 聞き返し、顔をしかめた。辛いことを思い出した。かつての同居人、白い髪をしたプリースト。死に際に寒い、と洩らしていた。
 それを振り払い、リィンの肩を抱きしめた。
「どうしたんだ、…苦しそうだ」
 ついに聞いてしまった、と思った。案の定、リィンは被りを振った。話したくないのだろうか。
「大丈夫…、それより、さ…、もっと気持ち良くなりたい、な」
 あれだけ動いておいて、まだ足りないのだろうか。絶倫なのは何時ものことだが。
「…分かった。下になれよ、俺が動く」
 繋がったままだったので、二人してごろんと寝返りを打った。
「っ、ん…」
 吐息に色が混じる。二人分だ。
 引き抜き、また埋める。最初は感じすぎて、満足に動くこともできなかったが、次第に声を殺しながらも、激しく腰を揺らした。
 その内、声を抑えることは出来なくなっていた。リィンも声をあげて、啼いた。上で腰を振るのは、これが初めてではなかったが、いつでも一夜は、やり込められる立場だった。
 俺が犯しているみたいだ、と思った。
 犯し、犯され。そんなことを一晩中、繰り返した。


 結局、医者にかかったことを話すどころではなかった。
「…じゃあ、氷を買ってくる」
「ぅあーい…」
 翌朝、腰を押さえて家を出た。
 ウサクロ様はまだ床についている。熱を出したのである。
 熱いと言ったり寒いと言ったり、まさかただの風邪か? と思えば、ため息が出た。
 生憎、氷は家にない。しかし露店を巡れば、置いてないこともないだろう。最近は、料理に使う奴も多いらしく、ちらちらと見かける。
 ついでに果物でも買って帰り、切って出してやれば、リィンは喜ぶに違いない。
 氷の心臓 氷片 cと雑貨
 そんな露店の看板が目の入り、足を止めた。財布を出そうと、鞄に手を伸ばした、その時だった。
「おや―――、宮城君? 宮城一夜君?」
「…?」
 振り返り、目を見張る。
 すぐ後ろに居たのは、金髪を戴いたセージだった。片目眼鏡を掛け、口の端を上げる賢者は、マジシャン出身らしい知的な印象を与える。
 線の細い男だった。だが、覚えのない顔だ。
「覚えてないという顔だね。私だよ、マジシャン時分、よく実習を共にしたじゃないか」
「…ああ、確か」
 思い出した。同時に少し、眉間に皺を寄せた。
「ナズカ、先輩」
「今思い出したという顔だね」
 ナズカ・ランケリス。確か片親は天津の生まれだ。
 にこりと笑うそのセージに、一夜はひっそりと困り顔をする。
 いつも笑みを絶やさない、いかにも学者肌のこの男は、マジシャン時代によく世話になった。彼がセージになるために、ジュノーに行くまで。
 おおらかな態度を常とし、比較的誰にでも折目正しかった。だが、
 一夜は、この先輩を、どうにも苦手だと感じていた。
「数年振りか、あまり変わらないね、君は―――。何か買うところだったかい?」
「ああ、はい…、氷片を」
 半歩、後ろに下がる。じっと見据えてくる、この先輩の灰緑色の眼が苦手だった。
 必死に隠そうとしていることや、知られたくないことまで、話さなければならない心持ちになる。
「同居人が熱を出したので…」
「熱、ね。噂で聞いたよ、アサシンクロスだそうだね、君の同居人は」
「!」
 なぜそれを知っているのだろう。その疑問は、すぐに表情に出たらしい。
「連れだって歩いているのを見たんだよ。当たりのようだね」
 また、笑う。カマをかけられたらしい。
 返事をしないでいると、さらに彼は続けた。
「よければ、解熱剤を出してあげようか、宮城君。ギルドにランカー入りしているクリエイターがいる。アサシンクロスでも効く薬があるかも知れないよ」
 一夜は少し考え込んだ。
 薬に関しては、アビスの奴を信頼している。相談すれば有効な薬を作ってくれるだろう。だが、
 あの少女と親しげに話す錬金術師の姿が、脳裏に蘇った。
 邪魔になるのではないか、彼女と居る時に、俺が居ては。そうでなくとも、アビスには頼りっぱなしだ。
「…分かりました、お願いします」
「では、砦まで行こうか。そこに居るはずだ。力になるよ」
 背中に手を添え、ナズカは一夜に歩くよう、促した。
「………必ず、ね」
 にやりと口の端を歪めながら。








Special Thx @Iさん