がらんとした、家の中。
 ふと目が醒めると、辺りは夜なのか暗かった。
 手探りで燭台を捜し、火をつける。部屋がすっかり明るくなる。
 そしてぼうっとしたまま、ぽつり、呼びかける。
「いちにゃぁ…?」
 気配は、どこにもなかった。


 それより数時間前のことである。

「さあさ、着いたよ。上がりなよ」
 ヴァルキリーレルムという砦を前に、その先輩セージは笑んだ。ギルド同時の攻城戦で、奪いあう砦の一つだ。
 同居人―――早い話が恋人のアサシンクロスの風邪を治す薬を、とセージはギルドメンバーのクリエイターを紹介してくれる話だった。
 アルケミストの転生職、クリエイターは数が少なく、GvGのメンバーを紹介されるだろう、とまでは予測していたが、いざ砦を目にすると、少し気遅れしてしまう。
 頭のたれ猫を押さえながら砦を見上げ、ウィザードの一夜は、入口横に掲げてある旗に視線を移す。
 攻城戦に詳しくない身でも、知っているギルドエンブレムは、奇妙な形をしたハイエナのシルエットが刻まれていた。
 確かゲフェンに溜まり場を構える、[繰られたハイエナ]というギルドだ。なかなかの大手ギルドである。
「おやあ…、知らないウィズさんがいるね。どちらさま?」
 間延びした声に振り返ると、銀髪をしたクリエイターがそこに立っていた。カートを引き、セージと一夜を見比べる。
「お客だよ。私のマジシャン時代の後輩でね。宮城一夜君だ」
「あぁ…、名前は聞いたことがあるね。よろしく、一夜君。僕は七日…、なのか、だよ。家名はない」
 笑顔で握手を求めてくる、それを無言で軽く握り返した。
「あとは七日が相談に乗ってくれる。腕は確かだから安心したまえ。―――私はマスターに呼ばれてしまったのでね、失礼しよう」
 言い残し、セージはするりと先に砦に入っていった。残されたクリエイター…、七日は肩を竦め、砦に入るよう促す。
「ナズカはサブマスターなんだ。ま、世間話は後にして、まずは相談を聞こう」
 砦の一室、そこそこの広さがある部屋に案内された。長テーブルに椅子がいくつか。会議室みたいなものだろう。
 七日はカート引く手を下ろし、ようやく一息つけたといった様子で、椅子に腰かけた。勧められ、一夜も椅子に座る。
「それで、お求めは薬かな。見たところ、随分弱っているようだねえ、君。大丈夫?」
「健康とは言い難いが…、入り用なのは同居人の薬だ」
「ふむふむ」
 さらりとファイルを取り出し、挟んであるカルテらしい紙に、七日はペンを滑らせた。「続けて」、と先を促してくる。
「アサシンクロスで…、昨日の攻城戦の後から様子がおかしかったんだが、どうやら風邪らしい」
「なるほどね…。アサシンさんたちは、薬物訓練をしているから、僕に相談して正解さ。強い薬が必要になるからねえ。けど…」
 急に声をひそめた七日を、眉を寄せて見遣った。クリエイターは真剣な面持ちで、
「それ、本当に風邪かい? たまにね、いるんだ。暗殺用の毒物に耐性がないアサシンがね。苦痛を堪えている様子はなかったかい?」
 どきりとした。そう言われてみれば、あの時―――まるで痛みを堪えるように性交を求めてきた気がする。少なくとも、いつものような誘い方ではなかった。あのウサクロ様は、誘う以前に押し倒してくる性格だ。
 心配や不安がふつふつと湧き出て、胸を占めていく。
 そんな一夜の様子から察したのか、クリエイターは軽く息をついた。
「風邪薬を一応処方するから、もし攻城戦の度にそんな様子なら、また来るといい。ね?」
 出された安全策に、こくりと頷くと、七日は満足そうに笑った。
「少しだけ時間をくれれば、すぐに取りかかるよ。隣の小部屋にいるといい」
「…礼は何を用意すれば?」
 問いかけると、七日はただ肩を竦めた。
「風邪薬程度さ、気にしなくていいよ。隣にはベッドもあるし、横になるといい。君、見るからに身体悪くしてるって感じだからね」
 流石はクリエイターと言うべきか。体調を看破され、素直に隣の部屋へと入った。
 簡素な部屋だった。ただの仮眠室なのだろうな、と思った、その瞬間。
 かちり、と錠がかかる音が耳に飛び込んできた。
「…!」
 振り返り、一気に危機感が増す。いつの間に扉を閉めたのだろう、駆け寄りドアノブを回すが、案の定しっかりと鍵が掛けられていた。
「……七日!」
「ごめんねえ、帰す訳にはいかなくてねえ…。君、よく騙されたりしない? こんなに簡単に、引っかかっちゃってさ……くく、あはははは!」
 狂ったような笑い声が遠ざかる。背筋がぞっとするが、既に近くにはいないようだ。
 扉を叩くが、それで開くようなら此処を離れないだろう。
「…くそ、吹き飛ばして…」
 苛ついた手が、癖で杖を探る。持ってきていないのに気づき、舌打ちして、仕方なく素手のまま、ユピテルサンダーの構成を脳裏に組み立て始めた。が、すぐに離散した。
 ちくり、と胸を刺す痛み。
 脳裏に浮かぶ言葉。あの時、あの医者は確か、

 ―――魔術の行使を禁じます。激しい運動も控えるよう。さもなくば命の保証はしませんよ。

 そうだ、確かにそう、言った。
 薬の類いは一切持っていない。
 胸を撫でながら、部屋の隅に腰を下ろして痛みをやり過ごすことに決める。
(何故、俺を監禁する必要があるんだ…。何故?)
 考えても答えが出ない。壁に身体を預けて身体を丸めながら、ひたすら痛みをやり過ごそうと、深呼吸を繰り返した。


「まあ何というか、警戒心が高いんだか低いんだか」
 クリエイターは部屋に入るなり、開口一番でそう言った。同室のセージが苦笑して上座を見遣る。
「上手く行ったのなら構わない。本人で間違いないね?」
 上座の椅子に腰掛けるクラウンは、足を組みながらそうセージを見た。セージがはっきりと頷くのを見て、満足そうに笑う。
「今頃、話が伝わっている頃だ。先日雇った傭兵に行かせたのでね」
「傭兵なんかに? それ、大丈夫?」
 クリエイターの問いに、セージはやはり頷いた。
「彼らにはこちら側につく理由がある。問題ないとも」
「ならいいけどさ…。なんて言ったっけ、その傭兵の名前。確か、マスターが攻城戦を休止してるギルドから、来たんだったよねえ」
 やや渋面のまま、そうクリエイターは訊ねた。セージが答える。
「ハイプリーストの渦樹と、スナイパーの鉄華。有名なペアだ。問題ない」
「ナズカ」
 クラウンが不意に、セージの名を呼んだ。黒い髪を揺らし、クラウンは立ち上がる。
「後は任せた。私は少し休むよ」
 セージとクリエイターの間を通り、クラウンは部屋を出ていく。残された二人はその背を見送り、しばし沈黙していた。先に沈黙を破ったのは、クリエイターの方だった。
「苛ついてるね、マスターは…」
「何時もだ。あのバードが消えてから、ずっとだ…」
 そう言い、ナズカはそっと吐息をついた。








Special Thx @Iさん