彼の職業はアルケミスト、錬金術師である。
西の十字路で露店を構えるようになって、既に数年経つ。真面目に商売をするならば、中央通りに出たほうが良いのだろうが、彼はこの場所を気に入っていた。
すぐそこを溜まり場にしているギルドとも、少なからず関係を結ぶことが出来たし、この場所を頼りに知人友人が訪ねてくる。それ故に、中々他の場所に移動する気にならない。
だが、その日の客は随分珍しかった。
「うにゅーーーっ」
何処かで聞いた覚えのある声が、高速でこちらに近づいてくる。
ずざざざざざさ、と石畳を擦るブーツから煙を上げ、ウサミミをつけたアサシンクロスが露店の前で止まった。
猛スピードで走ってきた割には、息も切らせていない。ウサミミも含め、二メートルはあろうかという、長身の男である。
「アビスんっ!」
「!?」
いきなり呼ばれた事に驚き、アビスという名のアルケミストは、驚いて顔を上げた。最近は陽射しが強く、赤いボンネットを被っている。赤は目立つため、客の目を引くのにも役立つ。
そのアサシンクロスは初見ではないが、深い仲でもない。友人であるウィザードの恋人らしいが、一人でやってくるのは初めてだった。
「な、なんだ、どうした。一夜は一緒じゃないのか」
旧友の名前を出すと、アサシンクロスは大粒の涙をぼろぼろ溢し始め。アビスはいよいよ動揺を隠せなくなった。
「な、なんで泣くんだ…!?」
「いちにゃがあああ! いにゃくなったあああああ!」
「…はっ?」
「ああああああん! いちにゃあああああ!」
「ちょっ…!」
わんわん泣き出すアサシンクロス…、しかも見栄え抜群の長身である。そんなアサシンクロスが泣き喚く様に、通行人の目が釘付けになる。
「お、落ち着けどうした、一夜がいなくなったって?」
なんとかアサシンクロスを宥め、涙を拭くようにとハンカチを渡す。ウサクロ様はそれで涙を拭き、ちーーんっ、とご丁寧に鼻までかむ。
「氷買いにいくって…もう、もうひとばんももどってないよおおおお!」
ばたんばたん飛び跳ねるウサクロ様の様子に、アビスは頭を抱えた。
「あいつだってもう二十一な訳だし、成人男子が一晩戻らないからって心配する程じゃあ…」
「はくじょうものおおおお!」
耳を貫く叫び声に続き、またも泣き出すアサシンクロスを見て、アビスは溜め息をついた。
病持ちが一晩帰らなかったのは、確かに気掛かりである。まして身体も良くない。
そう思案していると、通行人の一人が足を止めた。視線をそちらに移すと同時に、掛かる声。
「そこのアサシンクロス…、リィンだな?」
「う?」
再び鼻をかみ、ウサクロ様が声の方に向き直った。そういえばこのアサシンクロス、リィンという名だったなと思い出す。
そこに居たのは、白い法衣―――ハイプリーストの男だった。髪は白というより卵色に近く、その頭にカプラのヘアバンドを巻いている。カプラサービスの職員らが着けている、リボンつきのヘッドドレスだ。
だが男は、友好的とは言えない、厳しい表情だった。
「どちらさまあ?」
間延びしたリィンの問いかけに、ハイプリーストが笑う。
端的に言えば、悪意のある笑い方。
「お前の大事なウィザードは頂いた」
その一言に、リィンの表情が一瞬で強ばった。数秒前とは別人のようだ。
しゃり、と金属の擦れあう鈴音が耳に入る。リィンが裏切り者を手に、次の瞬間にはハイプリーストに斬りかかってきた。
「セイフティウォール!」
それより早く完成した詠唱が、ハイプリーストの足元から防御壁を造りだした。薄い光の膜だが、それは物理攻撃を完全に遮断する。
舌打ちし、リィンはバックステップで飛び退いた。直ぐ様構えを変える。ソウルブレイカーだ。あれは遠距離扱いであるため、セイフティウォールも意味がない。遠距離用の障壁であるニューマは、セイフティウォールと同時には張れないはずである。
が、まるでそれを牽制するように、アサシンクロスの足元に一歩の矢が突き立った。
飛んできた方角を見遣る。この首都の中央にある、宿の屋根の上。僅かに人影が見えた。
「スナイパーか…?」
思い当たるのはそれしかなく、アビスは呟いた。ハイプリーストは人影に向かって軽く手を振り、再度リィンを見遣る。
「効果覿面だな」
「一夜をどこにやった」
余裕顔のハイプリーストに、リィンは厳しい口調で問う。慌てるな、とハイプリーストは手で制し。
「まず話を聞け」
渋面を崩さないまま、リィンはひとまず裏切り者をしまった。だが警戒体勢は未だに崩さない。
「あのウィザードは取り引き材料だ。条件を呑めば無傷で返す」
「条件?」
聞き返したのはアビスだった。ちらりとハイプリーストは視線を移す。
「次の攻城戦が終了するまでに、ある人物の暗殺をすることだ」
「何だって?」
ハイプリーストとリィンを見比べ、アビスはそう口にした。リィンは思いの他冷静に、聞き返す。
「その相手は?」
「ただ一人、[突撃ヒヨコ大隊]のマスターを」
さすがに驚いたのか、リィンのウサミミが、ぴんと立つ。
「待てよ、その条件は―――」
「俺達はお前たちの弱味を握っている。その事を忘れるな」
抗議するアビスの声を遮り、ハイプリーストははっきりと言い切った。
「攻城戦が終わっても、暗殺が完了しない場合、あのウィザードを殺す。いいな」
法衣の裾を翻し、ハイプリーストは背を向ける。そうして大通りの方へと消えていった。
遠巻きに見ていた通行人らも、徐々に解散し、アビスはじっとリィンを見た。
戸惑いつつも、ぼそりと尋ねる。
「なあ、あのハイプリーストの言ってた、ヒヨコのギルドって…」
「…うん」
ひとつリィンは頷き、マフラーを軽く捲って襟元を見せた。妙にコミカルなヒヨコのピンバッヂ。
「うちのギルド」
突撃ヒヨコ隊。
それはリィンが、ノービスだった頃からずっと入っているギルドだった。
首都の北から、とあるハイプリーストが城に入る直前、ばさりとファルコンが目の前を遮った。
リボンをつけた白いファルコンは、そのままハイプリーストの肩に停まる。
「上手く行くかな?」
背中から、声。ハイプリーストは振り返らずに応える。
「さあな。もしヒヨコのマスターを殺したとして、あのギルドは当分、攻城戦どころじゃないだろう。もしかしたら、そのまま解散するかも知れないな。それならそれで、あの陰気なクラウンの目的は果たされる。俺達は報酬を得る」
その陰気なクラウンの顔を思い浮かべる。
嫌な雰囲気の男だった。口元は笑っているというのに、目が全く笑っていない。顔の筋肉だけで笑うあの様は、ある意味道化師らしい笑い方ではある。
負の気配があるのと同時に、ひとつのギルドのマスターらしく、妙なカリスマ性があるのも認めていた。
「もし殺さなければ?」
「その時は―――」
言いかけ、ハイプリーストは言葉を切った。振り返り、後ろに立っていた人物を見遣る。
「鉄華。言わなくても判るだろう?」
天使のヘアバンドを着けた、銀髪の男スナイパーが、にこりと笑った。ファルコンを呼び寄せ、腕に留まらせると、
「行こうか、渦樹。報告に行かないと」
そう言ったのだった。
Special Thx @Iさん