二つに切り裂かれたバードの身体が、あっさりと床に落ちた。
 鈍い音。青い髪がさらりと床に散らばる。
「暗殺者は…」
 クラウンが喋った。間近で見るその道化は、黒い髪に、琥珀の目をしていた。
「相手を殺す時、相手の家族や恋人のことを、一切考えないらしいね」
 当然のことだった。恐らくそれは、暗殺者に限ったことではない。
 相手の命、またはそれに準ずるものを握っている場合、それを潰さなければ自分が不利になる場合。相手の事情を考えてしまえば、奪えなくなる。
「この子が、君の想い人でない確信は、あったのかい? 他人だったとして、同じ顔を斬った気持ちは、どうだろうね?」
 じわじわと、抉るような道化師の声は、深く暗く、酷く心に響いてきたが、リィンは動じなかった。
「こいつは一夜じゃない。…人間じゃない」
 見下ろすと、そのバードは服だけを残し、ざらりと砂に変わった。血からも流れていない。苦悶の声をひとつも挙げなかった。
「保存液の匂いがした。人間じゃない。それなら同じ顔でも、紛い物だ。躊躇う理由にはならない」
 はっきりとそう告げた。クラウンがバイオリンを持つ。アローバルカンの予備動作に、クローキングで身を隠した。クラウンのスキルミスを確認し、姿を現して裏切り者をまっすぐクラウンに突き立てた。
「マスターーーーッ!」
 背後で戦闘していたセージが叫んだ。背中にあるエンペリウムまで、カタールの刃が突き刺さる。ひび割れた音が微かに聞こえた。
「ああ……、退屈だなあ…」
 こぽりと血を吐いて、クラウンは呟く。傾けた首が、まるで作り物のようだった。
 にこり、と笑う笑みも、暗く、暗く。ぞくりと震えて力が抜けそうになる。
 怒りで頭に血が昇ったセージが、乱戦状態の後方から、こちらに向けて詠唱するのが聞こえた。
 が、その口を何かが塞いだ。杖を持つ手に、触手が巻きつく。
 いつの間にか足元に放たれていたヒドラが、そのセージの動きを封じていた。
「ナズカ、もう終わりだよ」
 戦いに荒れるエンペルームに、よく通った声が響いた。全員がそこに注視する。
 銀髪のクリエイターが、ぐったりと力を失っているウィザードを抱え、入り口に立っていた。
「七日…」
 セージがクリエイターの名前を呼ぶ。ハイエナギルドの中で、互いに友人だと思っている二人だった。
 クリエイターはゆっくり首を振る。横に。
「ここまでだよ。その狂ったマスターに付き合う必要は、もうない。負けだよ」
「まだ終っていない!」
 セージが吠える先から、ヒドラが足を絡めとる。させまい、というクリエイターの強い意志に似ていた。
 七日はかぶりを振った。友人を哀れむような目すらして。
「終わりだよ。…これで」
 クリエイターが手を離す。抱えた青い髪のウィザードが、床に倒れた。
 さながら、つい先刻切り刻まれて倒れた、バードのように。
「リィンだっけ? さっきのバードを斬ったのはさすがだったよ。よく似せて作ったんだけど」
 七日は苦笑し、そう言った。
 今でこそ、どんなアルケミストもホムンクルスを連れている。ただ、完全な人型が存在しないのは、倫理に反しているため。そして大概のアルケミストならば、こう思っているはずだ。完全な人型は作れない。
 もちろんそんな訳はない。方法こそ違うものの、作ることは可能である。そのために、わざわざ拉致した魔術師の血と、とあるものを採取したのだから。
 蒸留器に精液を入れて腐敗させた後、馬の胎内と同じ温度に保ちながら、血液を足していくと出来上がるというものだった。
 奥に転がるバードの姿をしたホムンクルスを一瞥し、ぴくりとも動かないウィザードの身体を蹴った。
「死んでるよ」
 何の感慨もない、声。
「…なん、だって?」
 リィンが尋ねた―――というよりは、呟いた。
「心臓やられてたんだね。大事な取引材料だし、いざとなれば盾にできると思ったんだけど。死んだ。だから終わりだ、僕らの敗北」
 蹴られた魔術師の身体が、力なく転がった。
 血を吐いたのか、口元を汚した一夜が、そこにはいた。
「…あ」
 声と共に、カタールを握るリィンの手が震えた。ずるりとそれを引き抜き、血で滑るカタールを握りなおす。ずるりと倒れたクラウンには、もはや意識も向かなかった。
「うあああああああああああああ!!!」
 八つ当たり気味に、エンペリウムにカタールを突き立てる。
 ひび割れていた金色の水晶が、ビキビキと音を立てて割れた。それと同時に、エンペリウムを割った偽装ヒヨコギルド以外の人間が、砦の力で弾き出された。
 その直後、二十二時を告げる鐘の音が聞こえた。


 それより数十分前、小部屋に押し込められた青い髪のウィザードは、扉にくっつけていた耳を離した。
「エンペルームの方で、何か始まったな…」
 心臓を胸の上から抑え、深く吐息をつく。擦りつつ、扉に凭れかかっていた体に力を入れた。壁に手をつき、立ち上がる。
 扉には当然、鍵がかかったままだった。扉の前に居た見張りも、いつ間にやらいなくなってしまったらしい。
 薬が切れてからというものの、痛むのと小康状態との繰り返しだった。身体を動かすと、頭の芯がぼうっとする。
 カチャリ、とドアの鍵が外れる音がした。びくり、と身体が震えた。
 ドアのノブを回し、蝶番が嫌な音を立てた。開かれたドアの向こうには、ここ数日でよく顔を見た、あのクリエイターが立っていた。
 ため息。クリエイターが銀髪を揺らす。
「予想はしていたけれどね。あのウサクロが、連れ戻しに来るのは」
「ウサクロ…、リィンか!?」
 大事な恋人の名前だった。風邪を引いていたはずだ。思えば氷を探しに行って監禁されてしまったため、その後の容体を知る術がなかったのだった。
「そう。まぁ君を盾にすれば、すぐ黙るだろうけれど」
 歩み寄り、七日はがっしりと一夜の腕を掴んだ。
「触るな…っ、……は」
 心臓を掴まれて、ぎゅっと握られているような痛みが襲った。
「…!?」
 七日が手を緩める。それを力なく振りほどこうとして、
 膝を床につけた。
 痛みと苦しさで霞む意識の中、支えきれなくて倒れた体の感覚が、まるで無重力に近い、奇妙な感覚だった。








Special Thx @Iさん