ふと目が覚めると、古ぼけたシャンデリアが目に留まった。
「……?」
 ぼうっとそれを見遣り、目を少し閉じ、また開き。
 次の瞬間、はっとして胸を抑える。
 痛みはない。あれほど痛みがひどかったのに、少しも痛くない。
 身体を起こして部屋を見回すと、壁紙やベッド、カーテンなど、とにかく青紫一色の部屋だった。窓の外は暗く、ぼんやりとした光が見える。寝ているベッドと、もう一つベッドが横にあり、椅子とテーブルがあった。
 しかし部屋には誰もいなかった。
 ベッドの横にいる、たれねこの早瀬さんを拾い上げ、頭の上に乗せる。ベッドから降りると、寝ていてズレたマントを直した。
 部屋から出て、短い廊下の先にある階段を見つける。
 しばし逡巡し、ウィザードの一夜はその階段を降りていった。


「おや、おはようお客さん」
 階段を降りると、そこは酒場のようだった。証明は暗く、天井からは手枷つきの鎖がぶら下がっていた。
 カウンターの中にいるマスターは、どこか身体がぼんやり光っており、対照的に表情が伺えない。幽霊、という言葉が頭をよぎる。
「ここは…」
「ああ、安心して。まずはこれをどうぞ」
 一杯、何か液体の入ったグラスを渡される。白く見えた液体が、ゆらりと黒くなり、また白く戻り、を繰り返していた。
 軽く口をつけてみる。少しクセの強い、ミルクのような味だった。
「ここはニブルヘイムの酒場兼宿屋だよ。気を失っているお客さんが運ばれてきて、二階で休んでいたもらったんだ」
「…どうも。ニブルヘイム、初耳なんだが」
 意外に美味いその飲み物を、グラスの半分ほどまで空ける。
「分かりやすく言ってしまえば、死者の国かな」
「ぶっ!!」
 飲み物を噴き出し、マントで慌てて拭った。「おやおや」と言いつつも、その反応すらマスターは慣れているようだった。
「し、死ん…?」
「死んでます。私も、あなたも。もっとも、死人が全てここに来るわけでは、ないようですがね」
 グラスを受け取り、マスターはハッキリと言う。ひどく驚いたが、納得もした。
 通りで見知らぬ場所に立っているはずだ。胸の痛みが全くないのも合点がいった。
「ああ、そうそう、あなたが起きたら、村の外れまで来て欲しいと、運んでいらっしゃった方が仰っておりました。ここを出て右手のほうに向かうと、橋が三つありますので、その真ん中を通ると良いですよ」
「ど、どうも…」
 口元だけでマスターは笑い、「飲み物はサービスです」と言った。


 驚いたのは、死人の国だというのに、カプラサービスの職員がいることだった。ただ彼女も亡霊らしく、不気味に響く声が背筋を凍らせる。
 うおおおおん、と、どこからか響く声に戦慄しながら、倉庫からいくつか装備を引き出した。
 殆どの装備は、家に置いてきてしまったらしく、倉庫に入っているのは、今はもう使っていない、古いものばかりだった。スタッフオブソウルに、頼りないハードメントルなどを取り出す。
 浮かんでいる幽霊に見つからないよう、そっと立ち並ぶ家の物陰から物陰へと移動する。すすり泣く女の子の声なども聞こえ、不安を煽られる。
 言われたとおりに、三つ並ぶ橋の中央を選ぶと、その向こう側に見えるものに、足を止めた。
 杖を握る手が震えた。それとは逆の手で、口元を抑える。熱くなる目頭から、溢れそうになるものを堪えて、ぎゅっと目を閉じた。
 鼻先に流れてくる、煙草の香り。
 俺はこれを、知っている。とてもよく、知っている。
 目を開け、息を吸って吐き。
 広く長い橋の向こう、一人の人物が立っていた。
 白くて短い髪に、スイートジェントルを被っている。柵に腰掛けて、ふーっと煙草の煙を吐いた。男のプリースト。
「お、来たな」
 気付いて煙草を指で弾き、放る。それからはっとして、「いけねいけね」と吸殻を拾って、懐から出した小さい缶に入れた。吸殻入れらしい。
 顔を上げて、しっかりとこちらを見てくる。
「久しぶりだな」
「………」
「あんま変わらねえな」
「…………」
「なんか話せよ」
 近寄り、目の前で足を止めた。頭半分ほど高い位置にある、相手の顔を見上げる。
「こんな、形で会うなんて、思わなかった」
「俺だって、こんな場所で会いたくなかったさ。…けどまあ、お前が無茶する性質なのも、よく知ってるからな」
 プリーストの手が、ウィザードの頭に触れ、それから軽く抱き寄せた。
「…いつかこうなる気は、してた」
 締め付けられそうな位、囁く声が痛かった。
「…ごめん」
「謝んな。俺が生きていた時から、相当身体はヤバかったろ。ゆっくり泣かせてやりてえけど、時間がねえ」
 身体を離し、プリーストはじっと目を覗き込んできた。
「一夜。…まだ生きてたいか? 大事なもの、できたか?」
 その問いに、息を呑む。
 真っ先にリィンの顔が浮かんだ。双子の弟の顔。ついでにアビスの顔や、少ない友人の顔も。
「可能ならば」
 頷くと、プリーストは満面の笑みを浮かべ、「よしきた」と立てかけてあった杖を取った。
「この先に、ギョル渓谷っつー馬鹿でかい谷がある。さらに先に、秘境の村って亡者の村がある。多分そこから、かなり辺境だけどコモドの近くに出るだろーから、あとは何とかなるだろ」
「いや待て、俺は死んでるんだが…。死んでるのに何ともならないだろう」
「いいや、なる」
 ブレッシング! 速度増加! マグニフィカート! サフラギウム!
 支援をかけ、次の煙草を取り出して火をつけた。
「死んでるんなら、新しい体があればいいだろ? ほら、行くぞ」
 言うなり、谷に駆けていくプリーストの後を、慌てて追った。


 ギョル渓谷というところは、ひどい場所だった。何より空気が、死霊の匂いを感じさせた。
 両側の谷はただ暗く、底が見えない。谷の間を歩き、怖々と進んでいく。
 突然、絹を裂くような女の悲鳴が聞こえた。
 姿を現す、幼い魔女の少女に、目を丸くする。手にした巨大な鎌は、魔力で固めたものなのだろうか、実体がないように見えたが、その殺傷力は本物のようだった。
 プリーストがバックラーを構え、その鎌を受け止める。次いでサフラギウム。なんて懐かしい、このペア狩り。
 杖を構え、詠唱。
「ストームガスト!」
 死んでも魔力の衰えはないようで、強い吹雪が魔女を襲うが、そのダメージの低さに目を疑った。相当耐性があるらしい。
「硬い!」
「慌てんな、凍らすだけでいい。凍結させて一気に谷を抜けるぞ!」
 凍りついた魔女をそのままに、プリーストが駆ける後を追う。血まみれの包丁を握った、仮面の殺人鬼などもいたが、まとめてストームガストで凍らせた。
 威力を控えて撃ったため、デュラハンが生き残り、こちらに向かって手にしている兜を振り下ろした。
「ターンアンデッド!」
 すかさず詠唱したプリーストの手により、鎧が転がる。谷を抜けきり、村に入るなり、様々な姿をした幽霊が襲い掛かってきた。
 移りそうになるターゲットを自分に引き寄せるため、プリーストがヒールを放ち、手馴れたサフラギウム。身体に染み付いている、ストームガストの詠唱。
 谷間の奴らとは違い、一撃で全て散っていく。デュラハンも不死故に凍らず、威力を上げてしまえば一撃で沈むので、問題ない。
 全力で走るプリーストについていくことは、少しも辛くはなかった。寧ろ懐かしささえ感じた。
「あそこだ、あの階段!」
 べこん! とディスガイズを杖で叩き、プリーストは指を指した。
 ディスガイズの鎖の音が、死んだ末弟を思い出させるが、それを振りきり、指の先を目で追うと、古い階段が木陰にあるのを見つける。
 その下は暗い奈落に見えた。
「行け! 余裕で耐える。お前が通る直前には終らせる!」
「終らせる…何を!?」
 叫びつつ、クァグマイア。プリーストは盾を持つ手に、ブルージェムストーンを用意していた。
「俺が何プリだったか、忘れちまったか? いいから行け!」
 言われて駆ける。穴に飛び込む寸前、彼のセリフの意味を知った。
 ただ、その詠唱は、彼の口から一度も聞いたことがなかった。
 彼はいつも、俺の壁であり、盾であるのと同時に、支援をするのが役目だった。
「我は使途なり、我は使途なり」
 凛と響く声に、聴き惚れる。
「主の御名のもとに、悔い改めよ! 我が言葉は救いである、光である、生命である!」
 手の中のブルージェムストーンがひび割れる。
「マグヌスエクソシズム!」
 まるで真昼のような光が、その一帯を包み、一夜はその光が消えるのを見届けるより早く、よろめいて足を踏み外した。
 階段の下の奈落に、落ちていく。
「ヴィス、ヴィス!!」
 そこでようやく、名前を呼んだ。一度ではなく、二度も命を救ったプリーストの名前を。
 先ほどは抑えれた涙が、ぼろぼろ溢れた。気を失う前に、自分の身体が青い光を発したような、気がした。








Special Thx @Iさん