「渦樹…。渦樹。…渦樹!」
「んあ…?」
 呆然としていたハイプリーストの口に、小柄なスナイパーがイチゴを放り込んだ。
「いつまでもだらだらしてないでください。結局今回の報酬、貰えなかったんですから」
「ああ…」
 ゲフェンの西はずれ、座り込む渦樹を一喝すると、鉄華は息をついた。
 イチゴを頬張りながら、ふと渦樹は、あるものに目を止めた。
「渦樹?」
 鉄華が声を掛けると、ハイプリーストは無言で―――というより、口にモノが入っていて、喋れないため―――見ている方向を指差す。
 南カプラの方から、きょろきょろしながら歩いてくる、マジシャンの少年がそこにいた。


 陽射しが強く、アルケミストは暑さに唸った。
「あっぢぃ…」
 カートから取り出したリンゴジュースを口に含み、飲み込む。カートの中には、氷片で冷やされたジュースが数種類入っていた。
 隣を見遣ると、ウサクロ―――つまり、ウサギ耳のアサシンクロスであるリィンが、柱の陰でぐったりしていた。
「なぁ、家帰って休んだらどうだ?」
 提案にも、リィンははっきり首を横に振った。
「いちにゃ、鍵持ってないもん。寝てたら俺起きないし…。絶対帰ってきたら、ここ通る気がする」
「…なあ、言いにくいんだけどさ」
 カートにもたれかかり、少し躊躇いつつ、口を開く。
「一夜の奴は、死んだんだ。…死体も、埋め、て―――…」
 自分で吐いて言葉は、想像以上に自身の胸を突き刺した。
 即興で作った偽装ギルドの定員は、精鋭で一杯になってしまい、あの日曜、アビスはベースでの補給に徹していた。
 十時はとうに回り、帰ってこない面子に痺れを切らし、砦まで見に行こうとした矢先、ようやく帰ってきた。
 但し友人は、屍となって。
 その後の、事後処理の忙しさといったら。
 同盟を組んでもらった、[どろっぷす。]に幾つかの礼をし、[繰られたハイエナ]のマスターや幹部を探した。
 クリエイターだけは行方が知れなかったが、他の面子には然るべき処分と場所に落ち着いた。攻城戦の舞台に現れることは、もうないだろう。
 渦樹と鉄華も姿を眩ましたままなのが、少々気になる。
 リィンは一夜が帰ってくると、信じて疑わない。その確固たる姿勢は、現実を受け入れられない故の迷言…、というわけでもなさそうだった。
 本当に帰ってきそうな気がするのだから、俺もどうかしてる、とアビスは思った。
「リィン!」
 ざっざっざっ、と素早い足音が止まり、かつん! とブーツの踵が響く。
「うにゅ〜ん…」
 だらだら。気のない返事をして、リィンが見遣ると、卵色の髪にカプラのヘアバンドをした、男のハイプリーストが立っていた。渦樹である。
「見つけたぞ。先日機会を逃したからな…、今日は決着をつけるからな!」
「俺そんな気になんないんだけど…。というかさ、ウズ、なんでそんなにウサーと戦いたいわけえ?」
 リィンの質問ももっともである。渦樹は杖の先で地面を叩くと、リィンに突き付きけた。
「俺がかつて所属していたギルド…。[Step Rat]を知っているか」
 渦樹が出した名前は、かつての大手ギルド、通称ネズミだった。
「あー…。何度かぶつかったかなあ?」
「マスターが引退する、最後の攻城戦。砦の取り合いになったのが、お前たちヒヨコだった。だが…」
 怒りに激昂する肩を震わせつつ、渦樹がすぱん! と地面を足で叩く。
「お前たちは防衛に入り、あと十分守りきれば、お前たちの勝ちだった、あの時!!! さっさと砦を放棄して全員消えた!! あれはなんだ! 情けのつもりか!?」
 じだんだじだんだ。渦樹はなおも続ける。
「特にリィン! お前! 鼻歌なんて唄って消えたお前が憎い! 目の前にいて、俺を殺せたはずだ! 真っ向勝負できなかった俺の悔しさ…、分かるか…?」
 肩を落とし、ぶるぶる震える渦樹を、暫くリィンとアビスは呆然と見ていたが、リィンはぽつりぽつり、話し始める。
「えーとー、確かあのときは〜…、ますたーの奥さんが、ばーべきゅーの準備しててー…。早く用意しすぎて焼きすぎちゃったからって、みんな砦いいからはやく食べてーって」
 それからー、と思い出しながら、リィンは続ける。
「ばーべきゅーすきだしいー。おなかすいてたしー…。だからうれしくて、すきっぷして行ったよーな〜…。あ、ペコ肉おいしかったよ」
 マイペースに告げるリィンのセリフに、渦樹の肩の震えはいつの間にかなくなっていた。
「……鉄華」
「はい、渦樹」
 出てきたスナイパーが、天使のヘアバンドを揺らしてにこりと笑う。両手の中に、マジシャンの子供を抱えていた。
「!?」
 がたん! とカートを倒しそうな勢いで、アビスが立ち上がった。
「いちにゃ!?」
 リィンが叫ぶ。マジシャンの子供は、何が何だかよく分からないといった顔だった。
「あ、あのー…」
「転生したのか、ただのそっくりさんか…。それは俺を倒して、手に入れてから確かめればいい」
「転生…」
 リィンは呟いた。アビスも立ち上がったまま、しかし迂闊に手を出せずに見ている。
 光ったという話しは聞いたことがない。だが、リィンは必ず帰ってくると、心どこかで確信していた。
 確かめるためには、取り戻すしか、ない。のだが。
 動かないリィンに、渦樹が痺れを切らした。ちっ、と舌うちの後、
「よく見ていろ」
 マジシャンの胸倉を掴み、顎を押さえた。
「え、なに………っ!」
 いまだに事態を把握していない、マジシャンの目が見開かれる。
 次の瞬間、噛み付くような乱暴さで、渦樹は深く口付けていた。水音が響き、抵抗するマジシャンを強引に制して、さらに強引に口の中を犯す。
 眼前での光景に、鉄華は眉一つ動かさない。
 暫くそうした後、手と唇を離し、放る。リィンを見遣ると、ウサミミが毛羽立ち、既にカタールを抜いていた。
 戦闘状態に入った二人から、鉄華はマジシャンを連れて、そそくさと離れる。アビスの隣に座り、やれやれといった様子で肩を竦めた。
「よく平静でいられるな…。目の前でべろちゅーしてたのに」
 アビスの、半分呆然としたセリフに、しかし鉄華は笑って応えた。
「渦樹のことはよく知ってます。リィンさんと決着つけたくて、ずっとあの様子でしたから」
「リィン…」
 耳に入った名前に、傍らのマジシャンが、ぽつりと呟いた。

 あの時、知らない街に気付いたらいて、噴水をベンチから眺めていた。
 覚えていたのは、綺麗な女神様の姿だけで、
 その人は僕の涙を拭って、「お眠りなさい」と言った。

 お眠りなさい…。あなたに刻まれている過去の記憶を消し、あなたの精神に現在までの栄光の証を記憶させます。
 一つ、ウルドに過去の記憶を残します。
 二つ、ヴェルダンディに現在の栄光の瞬間を憶えてもらいます。
 三つ、スクルドに未来への生を与えさせるようにします。

 あなたの死を連れていった彼に、感謝して、お眠りなさい。

 そう、それでゲフェンにいたんだ。
 名前も知らないのに、とても懐かしくて、マジシャンギルドに足を運んだんだ。
 ギルドの職員は僕を知っていて、「懐かしい姿でしょう?」と優しく笑った。

 思い出してきた。
 煙草のにおいのするプリースト。
 いつも世話を焼いたアルケミスト。
 お互い素直になれなかった、双子の弟。
 殺してしまった、黒髪の末弟。
 他にもたくさん、そして最後に、

 俺は、死なない。
 そう約束した、アサシンクロス。

「リィン、リィン…。リィン!!」
 確かめるように何度も呟き、ついには叫び声になっていた。
 その声を聞き、戦闘中のアサシンクロスが動きを止めた。交戦していたハイプリーストを、懐から出したリンゴを口に押し込むことで詠唱を止める。
「一夜あああああ!」
 そのまま渦樹を突き飛ばし、リィンは全速力でマジシャンに駆け寄ると、ぎゅっと子供の身体が宙に浮くほど、抱きしめた。








Special Thx @Iさん