まっくらなその場所を見ながら、ああ、これは夢だ――と思った。
 厳密には暗闇の中に、蝋燭の灯かりが一つ。この手に握る燭台のみ。
 空間からはじゃらじゃらと金属の嫌な音がする。その音が気になって、燭台をそちらに向ける。

 やめろ、見るんじゃない。見ちゃいけない。

 そう思うのに、身体がまるで糸で操られているかのように音がした方を注視する。
 壁際、浮かび上がる人の輪郭があった。金属音は鎖で、それに繋がれた人は、俺の――だ。それを示す単語は出ないというのに、その人物が俺にとっての何かであることは何故かわかる。
 暗い中、しかしその人の唇が動くのははっきり見えた。その夢は鎖の音以外まったく音がしない。だからその人が何を言ったのか聞こえないはずなのに、得体の知れない恐怖に捕らわれて、俺は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
 その叫び声すら、鎖の音にかき消されていった。


「ふがっ」
「お、起きたか」
 霞んでいる目が、たった今まで一夜の鼻を摘んでいた男を映した。白く短い髪のプリーストだ。煙草を口に咥えてた聖職者は、一夜のシーツをはぎ取った。
「オハヨウ一夜。もう夕方だぞ。いくらなんでも寝すぎだ」
「……仕方ないだろう。疲れてたんだ」
 にやにや笑いを浮かべるヴィスのを目を見ず、そう答える。
「ま、正直さ、お前の寝顔見てると、かわいい半面もう起きないんじゃないかと思うんだよ」
 ベッドの下に落ちていたたれ猫を拾い上げ、一夜に放った。寝る時にはしっかり抱きしめていたはずなのに、何時の間にか手を離していたらしい。
 ヴィスの家は、二人で住むには少し狭かった。同居なのか良く分からない状態も、これで幾日過ぎただろうか。連れてこられた時は彼なりの配慮で連れてきてくれたのだろうが、出ていこうとすると止められた。
 一夜としては根無し草なのだから、常にベッドがあるところは嬉しいと言えば嬉しい。
 ただ問題なのは、初対面でいきなり抱かれてしまったということか。それがひどく気まずいのだが、相手はそんなことを気にもしていないらしい。プリーストのくせに、だ。
「食材買ってきたから、なんかメシ作ってくれよ」
「こういうのは家主が作るもんだろう」
「いいじゃん。お前のメシ美味いし上に、俺不器用だし」
 からからと笑うプリーストに呆れ、寝癖のついた頭を少し整えてキッチンに立った。
「確かにお前のメシは不味かったな……」
 初日の料理が頭を過ぎる。ひどい味だった。
「仕方ないの。バランス型だけど、VITとINT伸ばしてるから」
「支援なのか?」
「支援もできるME」
 さらりと言うヴィスに、一夜はなんとなく答えに詰まった。
 プリーストのことはよく知らないが、普通MEならばINT=DEXだろうに。もちろんバランス型もVITのあるMEも存在はするだろうが、少数派なのは間違いない。
「支援って……祝福・賛美系か」
「そう。グロリアとキリエはないけどな。でもサフラはあるぜ」
 ヴィスはにやりと笑って、十字を切って小さく祈りの文句を唱えた。サフラギウム。なんとなくその笑みがカンに障り、ごく弱いユピテルサンダーをぶちこんでやる。
 ビリビリと帯電の余韻を残す手を見遣り、なにをやっているんだろうと一夜は思う。
 この男に引き止められて、数日間狩りもしていなかった。
「……狩り、してえの?」
 考えていることを悟ったのか、ヴィスが控えめな声で尋ねる。
「……しなきゃいけない」
「楽しくないのか、狩り」
「楽しい楽しくないじゃないんだ」

 クァグマイア! ファイアーウォール! ストームガスト!
 床がぼこぼこと魔法でできた沼に変わるが、足を取られたモンスターどもはそれでもこちらを追ってくる。火の壁に遮られようがそれでも足を止めない。
 ストームガストで一斉に凍りつく奴らが、火の壁に当たって火水二つのタメージに倒れると、ほっとするのと同時に……これから幾千回幾万回と、こんなことを繰り返さなきゃならない辛さがある。

「戦って倒さなきゃ、強くはなれない。狩りをしなければ今のままだ」
「なーんでそんな生き急ぐんだ」
 そう言うヴィスは、もう笑っていなかった。
「急いで強くならなくてもいつか強くなる。狩り以外にも楽しいことはたくさんある。それとも、強くならなきゃいけない理由でもあるのか」
「…………」
 理由がなかったら、俺だってきっと……。
 そんな言葉を飲み込んで、すっかりお留守だった手を動かし始めた。包丁が野菜を切り刻んでいく。
「一夜ぁ」
 答えなかったのを察してヴィスは名前を呼んだ。紫煙の匂いが鼻につく。煙草に火をつけたのか。
 ふっ、と息を吐く音。
「もし俺が、お前専属の支援になってやるって言ったらどうする。昼でも夜でも、好きな時間好きな場所で支援してやる。お前がもう強くなったから必要ないって思うまで」
「相方になる、ということか?」
「相方とは言わないかも知れないぜ。代わりに代償を貰う」
 煙草の煙を吐き出し、一息。
「狩り以外の時は料理させようが掃除させようが、――犯そうが、俺の好きにしていいって代償」
 明らかに迷ったのが、一夜の顔に出た。
 だが、もっと迷うかと思いきや、一夜は存外すぎるほどあっさりと即答した。
「その条件でもいい。支援しろ」
 次の瞬間、ヴィスは確信した。にやりと笑って「本当だな」と問うと、間髪入れずに一夜が頷く。
 何もなかったかのように調理に戻る一夜の背中を見ながら、ヴィスは昼間のことを思い出していた。


「宮城一夜? ええ、知ってるわよ。なんでもいいから狩り狩り狩りって感じの人でしょ。とにかく強く……って、強さを求める廃人みたいな人」
 知り合いの女ウィザードが、そう言ったのを。
 そしてそれを聞いたとき、これは使えると思ったのを。
 思い出していた。