上に昇って、消えていく。白い煙。煙草の匂い。紫煙。
 ふわりと風が吹き込んで、煙が舞って消える。
 窓際に肘をついて、ぼんやりとした目で外を見ている、彼の横顔をまた、一夜も呆と見遣る。
「ついに追放だってさ、俺」
「…聞いた」
「そか」
 着崩したマジシャンの衣服を脱ぎ払い、袖なしの薄着姿で、彼―――双夜は苦笑した。
「不思議だよなあ。魔術師の家系に生まれて、優秀な双子の兄貴は、とっくにウィザードになったってのに。弟は、あまりにの才能のなさに、追い出されるなんてさ」
 と、双夜が自嘲する。ついでに血の気が多い問題児であるから、マジシャンギルドもついに、双夜を切り離すことにしたのだろう。
 彼がマジシャンに向いていないことも、力を発揮しきれていないことも、勿論一夜は分かっていた。
 それでも自分と同じように、ウィザードになってくれたら、とも思っていたが、それも叶いそうにない。
「…時機を見て、また戻れるように口を利いてやる。少し頭を冷やせばいい」
「偉くなったもんだな、一夜」
 窓枠に煙草を押し付け、双夜は火を消した。木枠に灰と焦げ跡が残る。
「戻る気はねえよ。…もう家も家族もないんだし。お前は親父の言いつけをご丁寧に守って、ずっとウィザードでいりゃいいさ」
 そして、じゃあな、と一言。

 本当は、俺だって嫌なんだ。こんな職業。
 でも、それでもウィザードになったのは、お前にも同じ道を辿って欲しかったのは―――。
 ああ、伝えないと行ってしまう。もうこの世でたった一人の、肉親が。
 でも、言ってしまうわけには…。


 杖がかつん、と鳴る音にはっとした。
 取り落としそうになったロッドを、慌てて握り直す。
 記憶に食われそうになっていたのを恥じ、溜め息をついた。
 ここのところ、どうも身体が辛い。知り合いのアルケミストに薬を作ってもらったはいいが、余計な話を聞かされた、そのせいで思い出したのだろう。
 曰く―――、双夜がバードになったと。
 バード、よりにもよって詩人。唄歌い。
 二度溜め息を吐き、居候しているヴィスの家に戻ると、家主であるプリーストは、買ってある野菜を放りだし、ベッドに突っ伏して転た寝をしていた。
 両の手を万歳の形で広げ、この上なく脱力して眠っている。さしずめ、ベッドにダイブしてそのまま…、といったところか。
 先日そうされたように、鼻を摘まんで起こしてやろうと、手を伸ばしたところで、ヴィスは薄く目を開けた。それに些か驚く。
「…そー、や?」
 呼ばれた名前に、一夜は目を大きく開かせた。
「ヴィス!」
「はいっ!」
 耳が割れんばかりに呼ぶと、直ぐ様プリーストは飛び起きた。まだ少し寝惚けた顔で、一夜を見遣る。
 そうして先程、自分が寝惚けて口走ったことを思い出したらしい。顔がこう言っている―――「もしかしてヤバいこと言った?」と。
 溜息、ウィザードは静かに問うた。 「…会ったのか」
「あ、ああ。お前だと思った。驚いたよ。お前、双子だったんだな」
 ああ、と頷く一夜の様子は何処かおかしく、敢えて沈黙を選んでいるように見えた。
 硬い雰囲気を解したくて、言葉を探す。 「はは、あんまり似てたから、卑猥なことお願いしそうに―――」
「何?」
 冗談混じりな風にそう言うと、言葉を遮って一夜が聞き返した。
 うやむやに出来る空気ではなかった。無駄に威圧される、いつものぴりぴりしたオーラが、ずっと濃い。
「何かしたのか」
 よく考えたら、肉親が男に犯されそうになったなんて、怒るものなのだ。自分に家族がいない分、その辺りの配慮を忘れていた。それを反省しつつ、目線を反らして頭を掻く。
「何もしてねえよ」
「そうか」
 あからさまにほっとした顔で、一夜は息をついた。顔が少し青ざめている。
 もしかして嫉妬してくれたのかも、などと悠長なことを考えていると、クランプ位の素早い動きで、ヴィスの肩をがしっと掴んだ。
 痛い。だが抗議するより早く、一夜の悲壮な顔が目に入った。
 色んな意味で―――胸が高鳴る。なんて辛そうな顔をするのだろう。
 どう例えればいいのか。棺桶に納められて埋葬されるのを見送る、遺族の顔に似ていた。職業上、死人を看取ったり、埋葬の場面に立ち会うことは多い。
「…頼む」
 掠れた声が絞り出される。
「あいつには、何もしないでくれ。俺は、どうなっても構わない、から、だから―――」
「構わないって…。目的があって、あんな酷い条件飲んで、支援してもらってまで…、強くなるために頑張ってるんだろ。そんなに思いつめるほど…」
 大事なのか、と聞こうとした言葉を止めた。
 まさか、強くなりたかったのは、あの片割れの為なんだろうか。
 一夜が目を伏せる。
「これ以上は言えない。気に要らないなら、取引に、もっと過酷な条件をつけてもいい」
「ああ、あの取引やっぱやめ」
「は?」
 プリーストの言葉に拍子抜けしたのか、一夜は目をぱちぱち瞬かせながら、肩を掴む手を離した。
 直ぐ様ヴィスはその片手を掴む。もう片方の手を一夜の腰に回し、ぴったり抱き寄せた。
「状況が変わったんだよ。俺、お前に惚れたみたいだわ」
「惚れ、何…?」
 全く理解できていないのか、小声で疑問を漏らす一夜の言葉を遮り、続ける。
「好きだから支援する。代わりにお前を口説くから」
「口説くってお前な…。俺は靡かないぞ」
「いや、お前は絶対落ちる。身体が嫌って言ってなかったし」
 くるりと、そのままベッドに押し倒し、一夜のマントを剥ぎ取る。青ざめていた顔を、一気に朱に染めた一夜が、じたばたと暴れる。だが、無理矢理力で押さえこんだ。
「今までと、なんら変わってないじゃないか…!」
「同じじゃねえって。俺にべた惚れになって貰うために、本気出してくから」
 訳が分からない、と一夜が抗議しようとすると、ヴィスと目が合った。
 茶色…、いや、琥珀色が近いだろうか。その双眸は笑っていなかった。真剣、そのもの。
 その顔が近づき、軽く唇が唇を食む。よくよく考えたら、男とキスしたことはなかった。

 ―――そりゃあさ、お前、

 ふと、知り合いのアルケミストが言っていたことを思い出す。

 ―――身体目当てだったから、わざわざキスなんてしないもんさ。

 本当に、そうなのだろうか?
 本気を装った、巧妙な悪戯だとか―――そういうのではなくて?

 そう思っていると、いつの間にやら服が脱がされており、まさにこれから、行為に及ぼうとしているプリーストに気付いた。
「ちょ、ちょっと待て…、素面じゃやらないぞ、恥ずかしい!」
「え」
 虚を突かれ、ヴィスが少し口を開けた。追い討ちするようにもう一つ叫ぶ。
「薬寄越せ、クスリ!」
「だーめ」
 じろりと焦るこちらを一瞥。
「ろくに覚えてもないのに、頑張っても仕方ないだろ? しっかり見ててもらわなかきゃなあ―――俺がどんな風に、お前を可愛がるのか」
「そんな恥ずかしいセリフ、よく言えるな…」
「ほっとけ!」

 照れ隠しに、そう茶化したのがまずかったのか、相当に苛められた。
 後からそう愚痴ったら、ヴィスの奴は、
「世間じゃ愛してやったって言うんだよ」
 と紫煙を吐きながら笑った。