寝すぎた。
 外を見れば、既に夕方だった。朝、ヴィスが出かけた時に少し目が覚めたが、それからまたずっと眠っていた。いくらなんでも寝すぎだった。
 疲れが溜まっているのだろうか。一度眠ると、なかなか自然に目が覚めない。シーツの中で身体を丸めて、身体を起こして座る。
 体温で温まった垂れ猫が、ぽとりと落ちた。
 キリキリと痛んできた胸を押さえ、部屋を見渡す。家主はまだ戻っていないようだ。いつもは夕刻には戻るのに、と少し思わないでもないが、たまにはそういうことも、まあ、あるだろう。
 あるいは、寝たままの一夜に、気を遣ったのかもしれない。
 そう言えば、薬ももう少なかった。知り合いのアルケミストを尋ねようと、マントを羽織って家を出た。


「よお一夜。髪ぼさぼさだぞ」
「煩いな」
 はねはね髪の猫っ毛を撫で付けて、垂れ猫を再び頭に乗せた。
 首都の西側、そのアルケミストは十字路のあたりに、いつも露店を出している。定位置であるため、時間を選べば会う事に苦労しない。
 一夜にとって、唯一付き合いの長い友人だった。青い髪をポニーテールで括り、今日はファッションサングラスなんて、軟派な装備をしているが、腕は確かだ。
 他では頼めない媚薬の作成から、いつも使う白ポーション、心臓が痛んだ時の薬も、全てこのアルケミストに頼んでいた。
 剣士系には及ばないが、剣の扱いも巧みだ。後ろ腰に帯剣している獲物は、確か過剰精練してある、トリプルハリケーンサーベルだ。いつだったか一夜が贈ったものである。
「アビス、この薬できてるか」
「ああ、そろそろなくなる頃だと思った。ほら」
 アビスというのが彼の名で、花が山盛りになっているカートから出した薬は、夕べも飲んだばかりの薬。空になった、手持ちの瓶と交換する。
 錠剤の詰まった瓶には、針金で札が括りつけられている。その札曰く―――『痛み止め』。
 少し声を顰め、気を使いながらアビスが口を開く。
「なあ、医者に看てもらったほうがいい。ちゃんと病状に合った薬を飲むべきだ」
 いつもの発言だ。心配しているのは分かっている。薬を渡す側としても不安なのだろう。
「いいんだ、医者に看せたら、もう魔術師家業は続けられないからな」
「…俺の薬は、いつも言ってる通り、使って死んでも、使わなくて死んでも、自己責任だ。まして俺は、医者じゃないからな」
 アビスが溜め息をついた。こうして、触れられたくないものに無理矢理触れてこない彼だからこそ、付き合いが続いている。
「ああ、そうだ。人づてに、お前宛の手紙を預かってたんだ」
「手紙?」
「かわいい女の子からの告白なんじゃないのか?」
 からかいながら、アビスは懐から手紙を取り出す。少しよれよれではあるが、封は切られていない。
 慎重に封を切り、中身を取り出す。手紙は一枚だったが、文字はどこにもなかった。
 それは子供の落書きを彷彿とさせた。黒く太い線で、単純な絵が描かれている。
 とても簡単な、人間の絵だ。丸と三角をくっつけただけの。
 だが二つとも、丸と三角の繋がっている部分―――つまり首の部分だ―――に乱雑なバツ印がついていた。
 戦慄した。驚きに、手をぶらりと下げる。その絵が目に入ったのか、アビスが感想を漏らした。
「なんか、あれだなあ。虐待された子供が描く、幼いから余計に残虐な絵ってかんじ」
 眉を寄せてそう言う。そして座ったまま、一夜を見上げた。
「お前、いつもこんな手紙貰ってるのか?」
「……いや、かなり、久しぶりだ」
 そう、久しぶりだ。以前まで貰っていた絵は、人間を示す絵が一つだった。やはり首の位置に、大きなバツ印がついていたが―――。
「アビス、もし俺が戻ってこなかったら、双夜を頼む」
「は?」
 唐突に、静かに告げた一夜のセリフに、アビスは当然の反応―――聞き返した。
 それに返事をせず、人ゴミに紛れる。アビスが声を掛けた気がするが、もう耳には入らなかった。
 ヴィスの家に戻り、愛用の両手杖、スタッフオブソウルを持ち出す。少し迷い、椅子の上にあった闇色の目隠しを取って懐に入れる。そして手紙をくしゃりと道具袋に押し込んだ。
 直感めいたものが走ったのだ。手紙の送り主にも、内容にも、心当たりがある。
 一人だった人間が二人になった。それはつまり、
 一夜自身と、最近一夜と行動を共にするようになった、ヴィスのことだ。
 そしてあの×印が示す意味は―――、


 カプラサービスの職員に頼んで、ヴィスは倉庫から、タラフロッグ盾を引き出した。
 臨公広場に行く少し前、ゲフェンダンジョンでソロ狩りをした時は、カーリッツバーグカードの刺さった盾だったため、それを倉庫に押し込む。
 消耗品を確認し、軽く談話しながらグラストヘイムに向かう。古城の裏口から、入る前に支援一式。エナジーコートを自身にかけるウィザードに、ハイスピードポーションを飲むアサシン。
 黒髪のアサシンは、二刀使いのようだった。特化武器か何かなのだろうか、レイドリックと彷徨う者を高速で切り刻んでいく。
 ウィザードはウィザードで、気弱そうな女ではあるものの、魔力は高かった。様子を見て、ストームガストで凍った奴らを、アサシンと叩き割る。
 さすがに深淵の騎士はアサシン任せだった。こういうとき、防御スキルがサンクチュアリだけというのが切ない。アサシンの回復をしながら、ウィザードにたかってくるレイドリックを杖で殴りつける。それからサフラギウムを入れる。
「残酷なる王妃の吐息よ―――」
 ウィザードの声が静かに耳に入る。一夜のそれと同じスペルのはずなのに、女の声というだけで別のものに感じる。
 剣を落とした深淵が倒れるのと同時に、「あ」とアサシンが声を挙げた。
「アサさん?」
 ウィザードの女が声をかける。レイドリックを後ろで処理し、落とした剣を拾いつつ、ヴィスもアサシンの方を向いた。そういえばこの二人の名前を聞いていない。清算するときにでも聞いてみるか、と思いつつ、とりあえずヒール。
「今の深淵に、鎧壊されちまったな」
「ああ、さっきの攻撃で…」
 少し違う音がした時だ。ふむ、と少し考え、
「俺のロングコートを使えよ。前衛が鎧なしじゃまずいだろ」
「悪いな、んじゃ借りるぜ」
 アサシンは二つ返事で頷いた。深淵の騎士はこのアサシンに引き受けてもらえばいい。ウィザードの詠唱の早さを計算に入れれば、死ぬ程ダメージは受けないだろう。ついでにこちらには盾もある。
 昔まだアコライトだった時、世話になった人からもらったハードロングコートを、ヴィスは未だ愛用していた。本当はセイントローブなどの方がいいのだろうが、結局買い換えていない。使い古したコートをアサシンに渡した。
 大分時間が経っただろうか。疲れが溜まってきたのを自覚し、帰還を提案しようかと思っていた時だった。
 小部屋に入ったアサシンの後を追い、息を詰める。すぐさま後ろのウィザードに叫んだ。
「敵が多すぎる、退け!」
「でも、アサさんが!」
 囲まれては満足な回避が出来ない。そうウィザードは言いたいのだろう。しかし部屋を見渡しても、彼の姿はなかった。彷徨う者にインティミデイトでもされたのだろうか。
 敵の集団の中に彷徨う者はいなかったが、レイドリックにライドワード、後方にレイドリックアーチャーが見える。
 サンクチュアリを唱えている暇はない。とっさに盾を構えた頃には、集団が押し寄せてきていた。片手で白ポーションをがぶ飲みする。
 ウィザードの高速ストームガストが展開され、周りは一斉に凍りついた。その間にひたすら、自己ヒール自己ヒール自己ヒール。
 次いでクァグマイア、ファイアーウォール。そして少し遅めの詠唱が聞こえた。威力重視のストームガストだ。正直、サフラギウムを入れる余裕は、なかった。
 一斉に氷が割れ、押し寄せてくる奴らはほんの短い間、ファイアーウォールで阻まれたが、一瞬で破られた。それに怒ったのか、レイドリックらの一部が彼女に流れる。
「くっそ!」
 ストームガストが完成し、彼女に向かったレイドリックを杖で殴りつけた。猛攻になんとか耐え抜いて、吹雪にぼろぼろと倒れる敵どもを見下ろすが、疲労は相当なものだ。
 マグニフィカートをギリギリの精神力で唱えると、念のため部屋に少し入り、アサシンの姿を探す。
 そして愕然とした。
 馬の嘶き、しゃんしゃんと鈴のような音。
 ぬらりと奥の闇から、まるで浮かび上がるように―――深淵の騎士がカーリッツバーグを二匹、引き連れて現れた。
 ウィザードしか攻撃手段がない今、鎧もない、精神力もカラの、この状況で、あの騎士を沈める自信はない。
「逃げろ、できれば蝶を使え!」
「二人を置いてですか!?」
 叫んだヴィスに、やはりウィザードの女が叫ぶ。
「プリーストが先に逃げる訳にはいかないだろうが! いいから早く!」
 ぐっ、と女が押し黙る。無理矢理理論で頭を納得させたのか、彼女は蝶の羽を千切った。掻き消える女を確認した瞬間、深淵の騎士がその鉄板のような剣を振り上げた。
 初撃は完全回避、その攻撃を避ける。しかし取り巻きのグリムトゥースは避けきれなかった。
 地面から突き出る衝撃に、なんとか耐える。次の攻撃の前に脱出しようと、テレポートを早口で唱えようとした。
 しかしその深淵の騎士の後ろ、ちらりと何かが横切った。
 あの黒髪のアサシンだ。
(クローキング!? 隠れてやがったのか!)
 故意だと確信する。アサシンがにやりと笑ったからだ。
 騎士が剣ではなく槍を振り上げた、次の瞬間、
 気を取られたヴィスに、ブランディッシュスピアが直撃した。


 ―――ああ、見たよ。古城に行くパーティだろ?
 女の魔術師と、男の暗殺者に聖職者。
 そのプリーストが支援かけてくれたからさあ、覚えてるよ。城に行くって言ってたから。

 決定打になったのはその目撃証言で、とりあえずゲフェンに足を運んだのは正解だったと、一夜は思った。
 臨時に参加したらしく、連れ立って古城に行くところを見ていた奴が数人。馬車のある森で見た奴も居たから、まず間違いない。
 古城に一人で乗り込むのは、当たり前だが初めてだった。こんな時のためにと、材料が溜まってはアビスの奴に作らせた、ホワイトスリムポーションがある。倉庫に溜め込んであったそれを引き出し、テレポートクリップがあることを確認する。
 さすがに油断ならない。未だに使い慣れない、タラフロッグガードを持って行くことにした。もう片手は骸骨の杖だ。趣味じゃないが、そんなことは言っていられない。
 一応こちらには防御スキルもある。少しの敵ならば倒せないこともない。
 古城の造りは頭に入っている。一つ一つテレポートして姿を探すが、夕刻を回っているためか、他の冒険者の姿は殆どない。
 最後の一部屋、―――あの南西の部屋だ―――に入ろうとすると、耳に聞きなれた音。
 深淵の騎士が乗る馬の、嘶き。取り巻きとして連れているカーリッツバーグの、しゃんしゃんという鈴のような音。
 僅かに見えるその姿が、槍を振り上げる。やばい、槍を持ち出したら、まず間違いなくブランディッシュスピアが来る。
 あの威力といったら。一度DEX型のプリーストと組み、あの騎士を相手にしたことがあったが、一瞬にして瀕死に追い込まれた。対人の三減盾があったのに、だ。
 振り上げられた槍が、一人の人間を串刺しにした。少し遠めからとは言え、衝撃的な絵に目を見開く、
 だが、倒れる人間を見て、はっとした。見覚えがある、あの服装。
 まさか、まさかとは思うが。
 その槍が貫いた人物は―――、
 気付けばその部屋に入り込んでおり、転がるレイドリックどもの死体が溶けていく中、深淵の騎士がこちらを見た。
 地面には先の攻撃で倒れたであろう、男が倒れている。
 見間違うはずのない、裾の長い法衣。聖職者なんていくらでも居る。だが、でも―――。
 標的を変更した騎士が、こちらにゆっくり馬を進めてくる。魔術師にはやりにくいことこの上ない相手だ。

 ―――いいか、一夜。
 中には魔法が通りにくい奴もいる。
 だが、ウィザードは攻撃するばかりが能じゃない。

 師の言葉が頭を過ぎる。
 まずクァグマイア、次いでファイアーウォールで取り巻きを焼いた。こちらに向かってくる不死共は、火の壁であっさりと爆ぜて、沈んでいく。
 次いで、騎士の足元アイスウォールで固めると、身動きできなくなった深淵は、あっさりとテレポートしていった。
 師匠に以前教わったのは、そういうことだった。
「…助かった」
 倒れるプリーストに近寄ろうとすると、音もなく人影が浮かび上がった。
 アサシン、男だ。黒い髪の、ただの暗殺者。
 だが一夜は、驚きを露わにした。
 そしてすぐに眉を寄せ、唇を噛み締める。
「なんのつもりだ」
 アサシンは、小馬鹿にしたように鼻で笑った。それにまた腹が立ち、
「なんのつもりだって聞いてるんだ!」
 と一夜は叫んでいた。


 ああ、なんかすごい、腹が熱くて、
 そう思ってたら、熱が抜けていくみたいに寒くなってく。
 分かるさ、さすがに俺だって。
 死ぬんだろ。無理ないよな。
 盾持ってるくせに、気取られて構えれなかった。直撃だったし。
 特に未練とかないな。今まで好き勝手してきたし。伊達に不良神父してなかったもんな。
 ああ、でも、俺が死んだら一夜はどうするんだろう。
 泣くかな。何だかんだで結構、感情的だからな。
 まだあいつから、好きって言葉聞いてないのに。
 もっと甘えさせてやるんだった、うなされて起きることがなくなるくらい、なにかしてやればよかった。まだ全然、何もできてない。
 笑ったところも見てない。なんかいつも、泣かせてばっかだった。畜生。

 なんだ、俺、未練ばっかじゃないか。
 幻聴すら聞こえてきた、やばいな。
 ああ、一夜の声だ。
 一夜、頼む、頼むから、
 
 お前は生きてくれ。


「分かってるくせに、何言ってんだ」
 アサシンは、やはり笑いながら言った。
 そう、一夜にはとうの昔から分かっていた。
 彼は、このアサシンは、復讐しているのだ。
 一夜は、震える声で言葉を吐いた。
「終夜」
 何年ぶりだろう。口に出すとひどく懐かしい感覚がした。それがこのアサシンの名だった。
 その名に応えるように、終夜は少し失笑した。顔つきは昔見た時より大分変わっていた。もっと父親似だったが、別人とまではいかずとも、一目では見分けがつかない。
 そんな、一番下の弟。
「なあ、オニーチャン」
 どっかりと、倒れているプリースト―――もちろんヴィスだ―――の上に腰を下ろす。勢い良く腰を落とされて、血を吐く様子が見えた。
 激昂し、力で敵わないことも忘れ殴りかかろうと、床を靴が踏みしめる。が、終夜がグラディウスを突き出してきたため、ぴたりと動きを止めた。
「一回アンタには、言いたかったんだ。この何十年、溜まり溜まった俺のあつーい想いをさ…」
 口調は軽いが、前髪の隙間から見える黒い眼が、ひどく恐ろしい光を伴って、こちらを見ている。
「まったく同じ家で、まったく同じ両親から生まれたのに、呪われてるなんて言われて、何度も、何度も! 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も殺されそうになった、俺の想いをな!!」
 二十年と少し程度しか生きていないが、それでも戦ってばかりだった一夜の人生の中で、稀に見る殺気だった。
 両親はその話題を明らかに避けていたが、歳を重ねるにつれて知った事実。
 古い禍根で、宮城の一族の血には、根強い呪いがあること。
 黒い髪と黒い目の子供―――黒児というそうだが―――、それらには、禍根の代償に得た魔術の才はなく、ただちに終わりを示す名をつけて殺すのがしきたりなのだと。
 でなければ、その子供は家を滅ぼすのだと。
 それを知った時、酷く恐ろしくなったのを覚えている。
 終夜は少し落ち着いた様子で、やはりあの笑みを貼り付けた。
「俺の事が知れて、親父に殺された母さんの仇に、ってさ、お前ら以外の家の者を、ぜーんぶ殺した後…、お前らのことを思い出したよ」
 息を詰める。それはつまり、当時マジシャンギルドにいた、一夜と双夜のことだ。だからこそ、難を逃れることができた。
「母さんは俺のことが恐ろしくなって、何度も俺を殺そうとしたが、その度泣いて謝ってた。こんな髪と目に生まなければ、あなたもお兄ちゃんたちと一緒に暮らせたのに、ってな」
 嫌な記憶がまた一つ蘇える。
 暗く、古い座敷牢の中で、母親は終夜を庇い、また隔離していた。
 牢は彼を隠すためであり、万一呪いに従った場合のための枷だったのだろう。
 自分の生んだ子を殺すことなど、母はできなかったに違いない。ずっと座敷牢に匿い、それでも呪いが恐ろしくて、何度もこの、呪われた子供を殺そうとしたのだろうか。
 想像するだけで、気が狂いそうになる。
 自嘲するように、少し終夜は笑い、
「生き残ったお前達をどうしようか、考えた。一夜、お前とは面識があったからな」
 ちくりと、一番嫌な記憶に触れてくる。それでも一夜が何も喋らないのに、終夜は溜め息をついた。
「俺を見つけたくせに、逃げたお前をな。だから決めたんだよ。つい勢いでみんな殺しちまったが、俺を見たあいつだけは、この長い間の恨みの分、追い詰めて殺そうって」
「何故、関係ないそいつまで巻き込んだ」
 虫の息という言葉が相応しい、ヴィスの顔を見遣る。本当は、駆け寄って、すぐにでも医者に看せてやりたいというのに。
 声が震える。怖い、憎い、悲しい、そのどれでもなく、その全てを含みすぎて、震える。
「何度か手紙で脅す度、俺を倒すためだけに生きてたお前を見てて、すげぇ気持ち良かったんだ。一度きりの人生を、俺と同じように、家に狂わされてるお前を見て、心が落ち着いてたってのにさ」
 おもむろに終夜は立ち上がり、ヴィスの腹を蹴る。呻き声が痛々しい。
「余計な奴が出てきて、幸せそうにしてやがる。だから壊したかったんだよ。…まあ、お陰で一生、消えない傷が出来たろうけどな」
 乾いた声で笑い、するりと懐からもう一本、短剣を取り出した。
「後は、俺かお前が死ねば満足だ」
 にこりと笑い―――その笑みは子供のような、そんな笑顔で―――姿が掻き消える。
 早口でサイトを展開し、四方八方に意識を向けた。
 しかしクロークしているのならば、と威力を落とした高速ストームガストの詠唱に入った。視界の端で、貫く冷気が何かを凍らせたのが見えた。僅かに凍りついた腕は、すぐに視界に紛れる。
 やはりアンフローズン装備だ。全身までは凍らない。
 次いでクァグマイア、ヘブンズドライズを目の前に展開すると、それらを避けて回り込んできた終夜が、右手から姿を現した。
 鋭い突きが、奇跡的に回避された。その間にクリップの持ち替え。
 もう片手の短剣は避けきれない。肩口を抉るように突き刺し、しかしそれがアサシンの隙に繋がった。
 凍らないならば、これしかない。
 あまり馴染みのない詠唱が、終夜の足元から効果を発揮した。気付いたようだが、足元は既に動けない状態だった。
「ストーンカースか!?」
 そう、そのストーンカースで、腰の辺りまで石化したところで、最大火力のファイアボルトを叩き込んだ。
 表面だけの石化が砕け、焼け焦げた終夜が倒れる。ひどい匂いに顔をしかめながら、急いでヴィスに駆け寄った。
「おい…、おい! しっかりしろ!」
 腕を頭の下に差し入れて、少し抱え起こす。声には僅かに反応を示した。だが苦しそうな吐息ばかりで、意識も相当朦朧としていそうだった。
 白ポーションでも傷口にかけてやるべきかと思ったが、血が止まっていないらしい。逆効果にも感じ、せめて飲ませてやろうと、ほんの少し瓶の中の液体を彼の口に傾けた。
 もっとも、殆ど飲み込めず、口の端から溢れていく。
 喘ぎのような、吐息のような音の中に、何かを言っているのが聞こえた。
「、は、っは、……む、い」
「…!? 寒いのか…?」
 とにかく医者に看せようと、マントを取り、それを被せて背中に抱える。おかしくなるほど、こんな時どうしていいか、一夜には分からなかった。
 人ひとりというのは、こんなに重かったろうか。
 ずり落ちそうになるヴィスを、力を振り絞って背中に背負うと、ちらりと終夜を見やる。
 動き出す気配はない。死んだのだろうか。
 それ以上見ないように顔を背け、蝶の羽を握り潰した。
 首都の外れに落ち、身体のバランスが崩れそうになったのを、慌てて支える。思ったよりもこの聖職者は重く、歩き出しても、少しずつしか足が進まない。
「くそ、くっそ…!」
 夕刻も終わり、既に辺りは夜だった。人通りもない。
 こんな時、自分がプリーストだったら、どんなに良かっただろう。
「死ぬなよ、死ぬなよ…!」
 好きだって言ったじゃないか。人の人生を変えるようなことを言っておいて、居なくなるなんて、そんなの絶対にさせない。
「なあ、支援してくれるんだろ! もう目的は果たしたけど、まだ俺、強くなるから、その間は居てくれるんだろ!」
 背中に背負った彼の腹から、恐らくまだ血が溢れているのだろう。冷たさすら感じるのと裏腹に、暖かい血の温度。
 何時の間にか、苦しそうな息づかいも、なんとかしがみ付いている、彼の腕の力も、徐々になくなっていく。それが妙にリアルで、耐え切れないほどにリアルで…。
 認めたくない。認めるもんか。
 約束しなくても隣にいた、こいつが居なくなるなんて、認められるわけがない。
 ぼろぼろ涙が零れるが、抱えているために涙が拭えない。それでもとにかく、背中にある、プリーストだったものを背負ったまま、足を進めた。


 ―――、一夜、いちや。

 なんだよ。呼ぶなよ。
 なんで、俺に笑いかけるんだ。
 俺はアンタの、「好き」にも応えてない。もしかしたら、何もあげられないかも知れないっていうのに。
 頼むから、そんなに俺に笑いかけないでくれ。心の中に入ってこないでくれ。
 期待してしまうんだ、俺だって人間だから。一人で辛いときだってあったから。
 そんな期待を裏切られるくらいなら、

 いや、ごめん、やっぱり、
 一緒にいてくれ。どうせならずっと。