一夜という名は、もしかしたら永遠に孤独でいることを決定付けられた名前かも知れない。
 双夜は―――、双子の弟は、いい相方に恵まれたようだった。
 名は体を表すというが、その人間の人生、運命すらも握っているのかも、と思う。


「ほらよ、いつもの薬」
 紙袋を手渡し、錬金術師が言った。
 プロンテラの宿の一室で、ウィザードの一夜はそれを受け取る。手袋を取った手が、紙袋を開いて中を確認する。
 魔術師の骨が浮き出た指は、よく見ると火傷の痕があった。マジシャン時代、上手くスキルが制御できずに負った古い火傷だ。
「…なあ、調子はどうなんだ?」
 友人のアルケミストは、遠慮がちに問いかける。なんのことはない、という風に応える。
「あんまり効かなくなってきたな。この薬も潮時かも知れない」
「そのことじゃない。―――気分はどうだ? って聞いたんだ」
「別に、普通だ」
 嘘だった。しかし平静を装うのは慣れていた。いや、むしろそうでもしなければ、突然に狂い出して叫んでしまいそうだった。
 アルケミストは視線を彷徨わせ、「そうか」と頷く。
 ふと、違和感。問い掛ける。
「なあ、何か隠してないか」
「は…、な、何が?」
 一夜が指摘してやると、ものの見事な動揺が得られた。違和感が確信に変わる。
「言えよ、何を隠してる」
「……ッ」
 悔しそうに友人が唇を噛む。細長く息を吐き出し、それでも相当遠慮がちにではあったが、口を開いた。
「……見つかって、なかっただろ。お前の弟の死体」
 ぴくり、と眉を上げる。
 全ての元凶と言ってもいい。
 兄である一夜の命を狙った、一番末の弟。巻き込まれて死んだプリースト。そして末弟を倒したはずだった。紛れもない、一夜自身の手で。
 だがしかし、その弟の死体は見つからなかったのだ。死を確認しなかったため、後から死体の存在を確認しようとしたが、その死体はなかった。見つからなかった。
「最近な、頼まれて染料も売ってるんだ。調達しにモロクに行ったら、少し騒ぎになってたんだ」
「…どんな?」
 あくまで冷静に、一夜は聞き返す。むしろ動揺しているのは、このアルケミストのほうかも知れない。―――少なくとも表面上は。
「モロクを拠点にしている、冒険者のグループが、グラストヘイムの古城で瀕死のアサシンを見つけたって」
「……」
 言葉がなかった。人というものは、対処できない事態に陥ると、暫く言葉も思考力も奪うらしい。
「看病もあったが、すごい回復力で、……逃げ出したんだそうだ」

 もし、もしもだ。
 彼が黒い髪を持って生まれなければ、そもそも一族断絶の呪いがこの家になければ、
 あの弟とも、少しはマシな関係を持てたかもしれない。
 少なくとも、憎まれたり、殺されかけたり、こちらも憎まなくて済んだのに、と。
 いや、こちらも憎んでしまえばよかったのだ。きっと。


 アサシンギルドに足を運ぶのは、少し久しぶりだった。
 リィンはアサシンクロスであったが、上から降りる任務の殆どは、転生前のアサシンたちに流れていく。転生してからは、任務にかける時間も減っていった。
 転生職が関わる任務となると、記憶に新しいのは、モロクの魔王に関する依頼だろうか。あれはその規模の大きさ故、アサシンらに関わらず、様々な職の人間に協力を仰いだ程だった。
「こんにちわ〜」
 砂漠の端にあるアサシンギルドは、相変わらず乾燥しており、中は静かだった。
 そんな静寂を気に止めず、能天気な挨拶をひとつすると、ベナムナイフを商人から買っている少女のアサシンが、こちらを見る。
「あ、リィンさんだ!」
「あ、ひさしぶり〜」
 赤い髪の少女は、それでもれっきとしたアサシンだった。赤いリボンをつけ、やはり目も赤だったが、特に恐ろしいとは感じない。むしろ顔立ちのせいか、可愛く見える。
「最近姿見なかったねー、何してたあ?」
「ああ、えっと……、いろいろあって」
 少女の顔が曇る。最後にこの少女に会った時のことを思い出した。
 アサシンなんてやめたい、と言っていたのを思い出す。
 見かけによらず、彼女は腕が立つ。殺しの手を緩めたことはない。仕事は確実にこなし、アサシンであることに誇りすら持っていた彼女だっただけに、あの落ち込みようは酷いものだった。
(心境の変化でもあったのかな〜)
 まだ完全に快復したわけではないだろうが、それでもいい傾向に見えた。我に返ったのか、少女はにこりと笑う。
「仕事ですよね、マスター奥で待ってるよ」
「随分久しぶりだからね〜、お仕事なんだろうな」
 愛想良く応え、奥に入っていくと、初老の男が一人。それから若い男が二人。いずれも暗殺者であることは、もはや言うまでもないだろう。
「来たか」
 マスターの言葉にひとつ頷く。
 仕事モード。
 もうそこいたのは、ウサミミの陽気な青年ではなく、ひとりの冷酷な暗殺者だった。
「一人、ギルドから逃亡した。分かるな? 処理を任せる」
「相手は?」
 真剣な表情と眼差しで、隙のない初老の男を見据える。
 マスターは肩を下げ、吐息を漏らした。
「終夜だ」
「あぁ…」
 直ぐ様リィンは頷いた。
 努めて冷酷でいるのが暗殺者という存在だったが、それは仕事に関する時のみだ。プライベートでは、まったく人柄が変わる者が多い。それでなければ、精神のバランスが取れない、という理由が大きい。
 ただ、件の暗殺者は、仲間内でも悪評が絶えないほど、残酷だった。いや、陰湿と言うべきか。
「手段は選ばん。裏切り者を処分してくるんだ」
「詳細は?」
 頷いて尋ねると、脇に控えていたアサシンが書類を差し出す。受け取り目を通すと、そこには面白い事実が書かれていた。
「ふむふむ…、呪わた男、か」
 一家断絶の呪いを受け、生き残りはたった二人、終夜の兄に当たる双子だと記されていた。
 その双子の片割れを、追い詰めに追い詰め、しかし殺しそびれた挙句、返り討ちにあったらしい。
 それらの既述に目を通していると、マスターが口を開く。面倒な事になった、そう言いたげに。
「問題はだ…、その兄弟争いに巻き込まれて死んだ、プリーストがいるということだ」
「…成る程」
 アサシンギルドが強く恐れているのは、聖堂の聖職者たちである。
 アサシネートを行う立場上、聖職者らとの友好関係は必須だった。宗教家たちは、国に及ぼす影響力が騎士団に並んで強い。なにしろ暗殺すら、国の許可を受けて行なっているのである。
 そして終夜が実兄を暗殺しようとした行為は、全くの私情であった。私情でアサシンのスキルを用いたことは、大きな問題だ。
「教会側から、早急に処罰をと通達が来た。―――どのみち、ギルドを抜ける者は始末せねばならん。私闘の末、死んだと思われていた終夜の目撃証言が、モロクで出ている。それを追え」
 わざわざ転生職を用いるのは、半分は体裁のためなのだろう。しかし、任務は任務だった。
「了解、任務を開始する」


 砂漠の街というだけあり、乾燥した空気に砂だらけの地面。ついでに、ごうごうという風の音。
 実のところ、一夜はモロクに来たことは殆どなかった。そしてまた、どことなく苦手な雰囲気の街だった。
「あぁ、見た見た…。よれよれのアサシン」
 南口に立つ、宝石売りの商人は、尋ねるとすぐにそう言った。
「止めたんだけどねぇ…。身体引きずって、サンダルマン要塞のほうまで行っちゃったよ」
「それはいつの話だ」
「一昨日の夜だねえ」
 追い付けるだろうか。
 あの時のことを思うと、指が震えた。杖をしっかり握りなおし、その震えを無理に静める。
 相手は手負いだ。次も恐らく勝てる。だが本当に恐ろしいのは、血の繋がった肉親の敵意をこの身に受けることだ。
(いや、いや―――思い出せ、憎めばいい。ヴィスを殺したのは…)
「兄さん、大丈夫かい?」
 一夜の様子を不審に思ったのか、そう商人が声を掛けてくる。それにはっと気づき、「問題ない」と返した。
 頭のたれ猫の上から、トンガリ帽子を被る。さすがに日射病にでもなりそうなので、水を買って要塞に向かった。
 要塞とは言え、それが機能していたのは随分昔のことらしい。正確には要塞跡だった。
 砂嵐にまみれた、黄土色の壁に囲まれ、中にはモンスターの姿があった。厄介なのはゴブリンとコボルトのアーチャーで、強さとしてはたいしたことがなくとも、魔術師の身では、蹴散らして進むには骨が折れる。
 手負いのアサシンが、わざわざこんなところを通るとは思えない。早々に判断を下すと、南側に回り、半分以上かき消されている足跡を見つけた。
 マジシャン時代にも、似たような仕事を引き受けたな、と思い出す。あの時もこうしてモロクの砂漠をうろついた。
 足跡を消す余裕もなかったのだろうか。それだけを頼りに南下し、海に当たった為、西に進んだ。何もない高台のある場所を通りすぎる頃には、既に夜になろうとしていた。
 そこで手掛かりが途切れ、どうしたものかと思っていたが、人の手が入った建物の陰に、僅かにあの足跡。
 それは建物の中に続いており、中で休息を取ったのだろう、とすぐに想像できた。
 もしかしたら、まだ中に居るのかも知れない。
 背中に壁をくっつけ、ちらりと中の様子を伺う。
 中は誰かが使っていたのだろうか。広い部屋だった。休息した跡はあったが、人の姿も気配はない。
 相手はアサシンである。隠れている可能性を考え、サイトで辺りを照らすが、正真正銘、そこにいるのは一夜だけだった。
 それが判ると、息を吐く。緊張した分、力が抜けた。特に手がかりはないが、使われた痕跡の存在だけで満足する。闇色の目隠しを頭に巻いた。
 夜になると、外を歩き回るのは危険なため、追跡は明日にしようとマントを取った、
 その時だった。
 扉がカタリと動き、反射的に杖を取る。
 扉の横に、ぴったりと身体をつける。
 目隠しがあると、こんな時は助かった。扉の向こうにいる相手を、目で見るよりしっかり感じられる。
 相手もこちらの気配に気付いたのだろうか。扉を探る手を止め、問いかけてきた。
「誰かいるの〜?」
 少し間延びした男の声だった。息を整え、応える。
「…あんたは?」
「迷いこんじゃった、可哀想なウサーですよ〜」
 うさうさめそめそ。
 少し作った泣き声に、毒気を抜かれる。扉を明けてやると、自分よりかなり背丈の高い人物なのが、気配で知れた。
「おじゃましまーす〜」
 中に入り、無防備に座ったらしい。
「この辺りは殆ど来たこてがなくてね、人がいてよかったわあ〜」
 ひどく間延びした口調で、くつろいでいるのが判る。少し距離をとって座り、暫くして問いかけた。
「こんな人気のないところに、―――何者だ?」
「かわいそうな迷いウッサーだよ〜」
「聞きたいのはそんなことじゃない」
 男の呼吸が少し変わった気がした。少しの間。
「んー、仕事だよ。逃げたアサシンを追いかけてる。生かすと機密が洩れるからね」
 逃げたアサシン。
 間違いない、きっと終夜のことだ。予想はしていたが、やはりアサシンギルドも動いていたのだ。
「そんな、そんな事を他人に洩らしていいのか」
「冒険者なら、みんな知ってるでしょ?」
 軽く笑う声。それとは対象的に、身体が強ばる。
「どうしたのー? …震えてるよ?」
「震えてない」
 アサシンであろう、すぐそこに居る男から、得体の知れない恐怖を感じつつあった。
 もともと、アサシンには良い思い出がない。しかしそれ以上に、最初、この男が部屋に入ってきた時には気づかなかった、なにかが次第に、はっきりしていった。
「嘘だね」
 くすりと笑う、男の声。これだ、この笑い声。
 ただのウサギじゃない。反射的に身体を引いたが、腕を掴まれた。
「ウィズさん、終夜のお兄さんでしょ。教会の裏にいた、淫乱だって有名なウィズさん」
「なっ…」
 それは、自分の中では、すっかり過去にしていた事だった。
 毎晩あの教会の裏で、半分溶けた意識の中で、何人と寝たかは分からないが、確かに、そう、身体を差し出していた事実。
「、んで、それを」
「アサシンの仕事はねー、殺すだけじゃないんだよ。半分は情報屋みたいなものかな」
 また笑う声。その度に、ぞくりぞくりと恐怖が湧きあがる。
「離せ…離せ」
「こわい? さっきより震えてるよ?」
 相手の力は相当に強く、梃子でも動かないとはこのことだろうか。
 精々、杖くらいしか持たない魔術師の身で、前衛職に敵おうなんて。思うだけ無駄なことではあるが、それ以前に震えが止まらなかった。
 震えより抵抗する気力が勝ったのは、強引に押し倒されたからだった。
「つっ…!」
 強かに、床に頭を打ちつけ、痛みに顔を歪める。そして覚える、危機感。
 両の手を押さえられ、相手は片手で易々と自由を奪ってしまった。どんなに力を篭めても、少しも動かない。
「っの、離せ!」
「だぁめ。抵抗するなら、無理矢理やっちゃうよ?」
「何をやるって…んっ!」
 指が服の下に潜り込み、腹を撫でるのに驚く。器用に、人を殺す男の手が、服の留め具を外していく。
 小さい金属音が鳴った。ちゃりちゃりと。首から下げた、ロザリーの鎖の音が。
「あれ、ウィズなのに、ロザリー…?」
 男の声が萎む。胸元に触れる手が離れ、少し強引に一夜の目隠しを下ろした。
 首元まで目隠しを下ろし、一夜ははっと息を呑んだ。そしてそれは、相手も同じだった。
 アサシン、暗殺者、人殺し。
 消しきれない血の匂い、毒物の刺激臭、猫科を連想させるしなやかな体躯。
 極めつけはウサギのヘアバンド。
 厳密にはアサシンではなく、転生職のアサシンクロスで、
 先日、アルデバランでロザリーを拾ってくれた、あのアサシンクロスだった。








Special Thx @Iさん